24 アダルトチルドレン
ハルキのことで悩み続けたこの時期に、わたしはネット上である掲示板を見つけた。
今はもう無くなってしまったその場所は、ハルキとの関係を見直すきっかけとなったあの本の筆者が作ったものだった。
『子供の問題は親の責任、愛情不足。お母さんがもっと頑張らないと』
そんな正論に追い詰められて苦しんでいる母親たちに、そのカウンセラーはいつもモニターを通して世間と真逆の言葉を投げかけた。
『いい子でなくても、いいお母さんでなくてもいいんだよ。
子供のことは後回し、まずお母さんがありのままの自分を好きになって。
そうすれば、子供は自然に変わっていくから』
ハルキのことで行き詰るたび、水面に向かう魚のようにわたしはその掲示板を訪れた。そこで似たような苦しみを抱えた母親たちに励まされ、先を行く者の足跡に一縷の希望を見出した。
中でもユミと名乗る母親がそこで語ってくれた内容は、その後のハルキとわたしの歩みに大きな影響を与えた。
ユミにはふたりの子供がいた。
長女は勉強も運動もできる真面目で優秀な子で、ユミの母親の大のお気に入りだった。
しかし中学のときにいじめに会い、なんとか高校には入学したものの不登校になり、頻繁にリストカットを繰り返すようになった。
ユミは娘のそんな状態を受け入れることができず、必死に説得を重ね刃物を取り上げ、思いつく限りのことをして立ち直らせようとした。
しかし何をしても娘は学校に行こうとはせず、リストカットもやめようとしない。
どうしていいかわからなくなったユミは、不登校の親の会や依存症の自助グループに通いつめ、娘をいじめた生徒たちへの怒りや娘へのやりきれない想いを泣きながら語り続けた。
辛い気持ちを何度も聞いてもらい少しずつ落ち着きを取り戻したユミは、やがて不登校や依存について学び始める。そしてどちらにも家族の病理が深く関わっていると知り、次第に自分自身の親子関係を見つめなおすようになっていった。
そしてようやく気づいたのだ、自分は両親に溺愛され幸せな子供時代を送ったと思い込んでいたけれど、決してそうではなかったと。
ユミの父親は酒癖が悪く、そのせいで両親は喧嘩が絶えなかった。母親は父への不満ばかり口にし、ユミはいつもその聞き役、慰め役だった。
可哀そうな母親のためにユミは父が機嫌を損ねないよう気を遣い、家でも学校でも常に聞き分けのよい「いい子」、非の打ちどころのない「優等生」として生きてきた。
そうしてユミが調整役となることで、家族は表面上の平和を保ってきたのだ。
ユミは本来の感情を凍らせたまま大人になり、親になった。そして自分の生き方に何の疑問の持つこともなく、偽りのポジティブ思考と正論で子育てをした。
不登校やリスカはそんなユミへの無意識のメッセージ、ありのままの自分を認めてもらえない娘からの精一杯のSOSだったのだ。
そのことに気づいたユミは「いい母」であろうとするのをやめて、蓋をしてきた感情に向き合う決意をする。
そんな母親の姿を見るうちに、それまでどんな説得も頑として聞き入れなかった娘にようやく変化の兆しが見えてきたのだという。
このときのユミの書き込みでわたしは「アダルトチルドレン」という言葉を知った。
アダルトチルドレン――それは、安全な場所としての機能を失った家庭で育ち、生きづらさを抱えるようになった人々のことだ。
アルコールやギャンブルなどの依存症、両親の不仲、虐待、過保護、行き過ぎた支配。表面的には何の問題もない家庭であることも少なくない。
いずれにせよ子供らしくのびのびと振舞うことが許されなかった子供たちは、ある段階で健全な心の発達が止まってしまう。
何をするにも自信が持てずに、自分を責めてばかりいる。
何かを楽しむことに、罪悪感を覚えてしまう。
完璧主義、依存症、自傷、感情鈍麻、離人感――。
そこに書かれていたのは、どれも幼いころからわたしを苦しめてきたことばかりだった。知るほどに、長いこと胸につかえていた疑問が解けていく。
あの家の歪さがわたしに受け継がれてしまったというのならば、今のハルキの問題は、母親のわたしが抱える生きづらさに起因しているはずだ。
まず向き合わなければならない相手は、やはりハルキではなく自分自身なのだ。




