22 ハルキの背中
パソコンを手に入れたハルキの生活は、予想通り乱れていった。
学校から帰ってくるなり夜中まで、食事以外はほとんど自室でネット漬けだ。
夕べもアニメを見ながらそのまま眠ってしまったのだろう、朝起きて慌ててシャワーを浴びると、濡れた髪のまま登校していった。
もうじき卒業とはいえ、小学生が宿題もせずに毎朝遅刻、授業中も堂々と寝ているなんてありえないと、わたしの中の常識が声高に叫ぶ。
それでも黙って見守れたのは、期待していたからかもしれない。
これだけ好きなようにやらせれば、すぐに気が済み、まっとうな生活に戻ってくれるに違いない、と。
しかしそんな希望的観測を打ち砕くかのように、卒業式を終え春休みに入って1週間が過ぎ半月が経っても、ハルキは昼夜の区別なくパソコンにのめりこんだままだった。
4月から通う中学の説明会はなんとか足を運んだものの、その後の準備に身が入らないのは傍から見てもよくわかった。
最初の授業が提出期限だという課題にもなかなか手をつけようとせず、「面倒くせぇ」とぼやくばかり。
入学式はすぐ目の前なのに、一向に気が済む気配の見えないハルキの様子に不安は増し、とうとうネットゲームにまで手を出したと聞いた時には息が止まりそうになった。
このまま不登校になったら、どうしよう。
やはりパソコンを好きなように使わせるべきではなかったのだろうか……。
次から次へと湧いてくる不安を打ち消そうと、暇を見つけては子育てや不登校に関する情報を読み漁った。
そのとき目にした多くの不登校関連のサイトには、もし子供が「学校に行きたくない」と言い出したら、無理強いせず見守ることが大切だ、と書かれていた。
少なくとも、受容に舵を切ったわたしたちの対応は間違っていないはずだとホッとする。
しかし、不登校にともなう昼夜逆転やネットへの依存、部屋から出てこないといったことに関しては、重度の引きこもりにならないよう制限する必要があると説くものが少なくなかった。
読むほどに、胸が激しくざわついていく。
本当に、このまま好きにさせていいのだろうか。
わたしたちがしているのは、実はただの甘やかしではないのか。
しかし、どうしても今のハルキに我慢をさせていい方向に行くとは思えない。
ふとそのとき、ハルキとの関係を見直すきっかけとなった本の一節がふと浮かんできた。
『子どもの問題を直したいのなら、いったん直そうとするのをやめ、問題を認め、許してやるのです』
ああ、そうだ。
いつもハルキの気持ちを無視して親の価値観を押しつけてきた。
いい子になってほしくて、失敗させたくなくて。
でもそれが、彼の力を奪ってしまった。
ハルキに生き生きとした人生を送って欲しいと願うなら、これまでの逆をいかねばならない。
非常識に見えても遠回りに思えたとしても、ハルキが自分で考え、選び、失敗する余地を与えることが、結局は一番の近道なのだ――。
それからも不安な気持ちが頭をもたげてくるたびその本を開き、さらに似たようなスタンスのサイトや掲示板を探し回り、自分たちがやっていることは決して間違っていないと自分に言い聞かせた。
そんなある晩のことだった。
おやすみを言うため、ハルキの部屋をノックした。
そこにあったのは、いつものようにパソコンに向かうハルキの後ろ姿。
でもなぜだろう、誰にも邪魔されずに好きなことをやれて満足のはずなのに、その姿がひどく頼りなげに見えて仕方ない。
ハルキの背中は、わたしにこう問いかけているようだった。
――ねえ、こんな俺でも、好き?
お手伝いしなくても
ゲームばかりやっても
夜更かししても
問題児でも
それでも俺のこと愛してくれる?
それは、子供のわたしがずっと胸の奥に秘めていた問いだった。
――ねえ、お父さん、お母さん。
いい子でなくても、わたしのこと好き?
頑張れなくても、役に立たなかったとしても
それでもわたしが大事だって思ってくれる?
声にならなかったその問いかけは、今でも心の奥底にくすぶり続けている。
きっと、ハルキも同じなのだ。
どんな自分も愛されてるとは思えなくて、不安で、でも確かめたくて。
ハルキは今全身全霊で、その答えを取りに来ているに違いなかった。
わたしは、それにちゃんと答えてやれるだろうか?
どんな君でもいいよ。
最後には自分で考える力を、君は内に秘めているから。
それをただずっと、信じて見守っているから。
心の底からそう答えられる日が、いつかくるのだろうか――。




