1 扱いにくい子
ハルキが小学生になった春、大きな街の小さなアパートに引っ越した。
新しく見つけた職場は目の回るような忙しさで、学童のお迎えはいつも時間ぎりぎりだった。
とっぷりと日の暮れた通学路、ランドセルを背負ったハルキを追い立てるように家路を急ぐ。
家に帰ると休む間もなく洗濯物を取り込み、夕飯の支度に取りかかった。
お金にも時間にも余裕のないそんな暮らしの中で、わたしはいつもハルキのマイペースぶりやちょっとした我儘に苛立った。
「宿題終わったの?」
「ダラダラしてないで、早くお風呂に入りなさい」
「必要なものは前もって教えてって、いつも言ってるでしょ。いったい何回言ったらわかるの!」
わたしの母も、口うるさい人だった。
それが嫌でたまらず、「母のようにだけはなるまい」と子供心に固く誓ったはずだった。
それなのに、いつの間にかその母とまったく同じことをしている。
そんな自分が許せずに、わたしはますますハルキにきつく当たった。
わたしが苛立ちをつのらせていたのには、もうひとつの理由があった。
それは、叱られたときのハルキの反応がとても鈍いことだった。
幼い頃にはわたしの顔色をうかがい、何かあれば泣きべそをかいて必死に謝ってきたハルキ。
しかし小2、小3と学年が進むにつれ、どんなに叱っても無表情のままで、何の手応えもないことが気になっていた。
学校でも、次第に先生の言うことを聞かなくなり、他人の家の塀に勝手に登って遊んだり、近くにある病院の屋上で走り回ったりして、担任から電話がかかってくることが増えていた。
男の子にはよくあることだと、今なら思えるかもしれない。
けれど当時のわたしにはそんな余裕などなく、今のうちにどうにかしなければと思い詰め、とくとくと説教をして脅し、ときには激しく怒りをぶつけた。
しかし何をしても、当のハルキはどこ吹く風。
いうことを聞いてくれるのはごほうびをちらつかせたときぐらいで、よくないと知りながらもほかに方法が思いつかず、わたしはしばしばハルキの鼻先にニンジンをぶら下げた。
褒めるべきか叱るべきか。
思うようにならないこの子を、いったいどうしたらいいのか。
ハルキを見るわたしの胸には、常に苛立ちと漠然とした不安が広がっていた。