18 6年ぶりの添い寝
受験生になってから、ハルキは頻繁にわたしにマッサージを要求してくるようになった。
「腰、押して」
そのセリフを聞くたびに、ああ、またかとうんざりする。
さっきまでのんびりテレビを見ていたくせに。
こっちだって仕事で疲れてるんだと心の中で悪態をつきながら、「それなら先に、お母さんの肩を揉んでよ。そしたらやってあげる」と言い返す。
「何でそっちが先なの?」
「じゃあ、なんでハルキが先なの?」
ハルキがムッと顔をしかめる。
「そうやって、質問で質問に答えられるのって、一番むかつくんだよね。聞いたことに答えてないじゃん」
「じゃあ答えるよ、ハルキが確実にやってくれるようにだよ」
「それって、俺がズルすると思ってるってことじゃん!」
確かにその通りだった。わたしから見た今のハルキは、いつも厄介ごとを人に押し付け自分だけ楽をしようとするズルい奴なのだ。
「前から言ってるじゃない、その姿勢じゃ腰が痛くなるのは当たり前だし、それだけ寝不足だったら体調も悪くなるって。自己管理の努力もせずにこっちに肩代わりさせるなんて、ずるいでしょ!」
感情的になり、思わず手に持っていたハンドクリームを床に投げつける。
ハルキが怒りで顔を赤くしながら叫んだ。
「そんなことを言われるなら、やってくれなくていい!」
しばしの沈黙、にらみ合い。
やがてハルキは吐き捨てるように「部屋に行く」とだけ言って、立ち去ってしまった。
あー、やっちゃった。
ダメだ、このままじゃ。
わたしは後を追うようにハルキの部屋をノックした。
「もう一度ちゃんと話そう。お母さんはね、ハルキが際限なく要求してくるんじゃないかと、どうしても不安になっちゃうのよ」
ハルキは怒りと不満をあらわにした表情で、また同じ言葉を繰り返す。
「おれは、いやなことを言われるくらいなら、自分で休んであとでいろいろやったほうがいい」
その言葉に、ふと気づく。
「……もしかしてハルキは、腰を押してもらってコンディションを整えて、頑張る準備をしているの?」
ハルキは何をいまさらというように「そうだよ」と答えた。
ああ、そうか。「腰、押して」は、「ちょっと甘えさせて」なのだ。
甘えることで、不安な気持ちを落ち着かせようとしているに違いない。
ハルキが幼いころ、いつもわたしは甘えようとするハルキを切り捨ててきた。
「なんでこんな忙しいときに」「やるべきことをやっていないのに」といろいろ理由をこじつけていたけれど、結局はハルキの気持ちを受け止めることが苦しくてならなかったのだ。
寝室もそうだ。
小学生になったときから、わたしたちはハルキをひとりで寝るように仕向けた。
一緒に寝たそうなそぶりを見せても、もう赤ちゃんじゃないんだから自分の部屋に行けと言い続けた。
音楽を聴きながら眠るように教えたのは夫だ。
きっと夫自身も、子供のころからそうやって寂しさを紛らわしてきたのだろう。
でも、6年生になってもまだハルキは、冗談のような口ぶりで「添い寝してよ」と言ってみたり、膝枕で耳かきをして欲しがったりする。
――もっとくっついて甘えたい、一緒に寝たい。
満たされないままの幼子が、ハルキの中に見え隠れする。
ふとした拍子にハルキが見せる刹那的で享楽的な面は甘え足りないせいではないかと思うと、罪悪感と拒絶感が掻き立てられて苦しくてたまらない。
そして不安になるのだ。
このままでは、わたしと同じような欠落感を抱えて生きるようになってしまうのではないか。
そんなわたしの葛藤に気づいた夫が、「1日だけ、3人で一緒に寝てみない?」と言ってきた。
金曜日の夜なら、もしも寝付けなくても大丈夫だから、と。
無理。生理的に、無理。
それに一晩一緒に寝たからと言って、劇的に何かが変わるとも思えない。
そう思いながらも、心のどこかで感じていた。
きっとこれは、今のハルキに必要なことなのだ、と――。
次の金曜日、わたしたちは6年ぶりに親子3人で枕を並べた。
幼稚園の時以来の、川の字。
あの頃と違うのは、隣で寝ている息子はもうとっくにわたしの身長を追い越し、うっすらとヒゲまで生えていることだ。
半端ない抵抗感を押しのけなけなしの母性を絞り出し、隣で寝ているハルキの頭をそっと撫でてみる。
ここまでだ。
これが、今のわたしにできる精一杯。
そんなわたしの葛藤を知ってか知らずか、当のハルキはでかい図体を小さく丸めて、されるがままになっていた。
そしていつの間にか満足そうに寝息を立てて、穏やかに眠りに落ちていた。




