15 風穴
親業を学び始めてしばらくたったある日のこと、わたしとハルキは、クイズ番組を見ながら夕食を囲んでいた。
そのときすでに、受験までひと月余り。さすがのハルキも神経が高ぶっているとみえて、些細なきっかけで言い争いになることがますます増えていた。
しかしその日はたまたま機嫌がよかったのか、クイズが出題されるたび得意気に「この答え、○○じゃね?」と話しかけてくる。
どうやら久しぶりに穏やかに過ごせそうだ。
が、そう思ったのも束の間。
「あれ? △△じゃないの?」
ある問題でハルキと違う答えを口にすると、何が気に障ったのか突然表情を強張らせてこちらを睨み、「なんで⁉ バカじゃん⁉」と思い切りきつい口調でわたしを罵ったのだ。
和やかに見えていた食卓の空気が、あっという間に凍りつく。
解答を見るとどうやらハルキの言う通りで、わたしは問題を最後まで聞かずに答えを出していたらしい。
なるほど、確かにこっちが間違ってた。
でも。
そこまで人を馬鹿にすることないんじゃない?
苦々し思いを噛みしめながら、黙々と食事を口に運び続ける。
似たようなことは何度もあった。
ハルキはいつも、こちらの気持ちなどお構いなしに思いつくまま暴言を吐く。
そういう年頃なのだと受け流そうとしてきたが、それでもなかなか平静ではいられない。
親だって心は痛むし、傷つくのだ。
『少しは相手の気持ちを考えなさいよ!』
『そんなんじゃ、友達いなくなるよ?』
そんな言葉が喉元まで出かかる。
だが、ここで感情的になればまた同じ繰り返しになるのは、わかり過ぎるくらいにわかっていた。
決めたのではなかったか? ありのままのハルキを受け止める、と。
だったら、今こそ絶好のチャンスではないか。
感情がぶつかり合うときにこそ、相手の声にとことん耳を傾けてみるべきだ。
心の中からそんな声が聞こえてくる。
しかしそう思いながらも、ハルキの心に近づくことが苦しくてたまらない。
自分の考えも感情も、すべてをいったん横に置いて、ただひたすらにハルキの気持ちのみに寄り添う。
ただそれだけのことが、どうしてこうも難しいのだろう。
心を握り潰されそうな痛みに身が竦む。
それでもここで逃げ出すわけにはいかない。
ゆっくりと深呼吸をしながら、顔を背けそうになる衝動をぐっと抑え込み、慎重に言葉を選ぶ。
「お母さんは――全部問題が読めていなくて、最初のところだけ計算してたと思うんだけど――最後まで読むと違うんだね?」
感情を抑えた自分の声が、妙に嘘くさく感じられる。
でも、これが今のわたしの精一杯。
ハルキは、そんなぎこちないわたしの問いかけに、挑むような目を向けた。
そして怒気を孕んだ声で、こう言い放った。
「そうだよ。なのになんで、 決めつけて 、間違った答えを 、押し付けてくんの ?」
え?
予想もしていなかった反応に、頭の中が真っ白になった。
見えているつもりだった景色が次々と反転し、目の前にまったく別の光景が広がっていく。
「ちょっと待って。ハルキは――わたしが間違ったのを馬鹿にしてたわけじゃないの?」
「そんなんじゃないよ」
憮然とした表情でハルキが答える。
「もしかして……勝手な思い込みを押し付けられることが、嫌だったの……?」
「そうだよ、だってお母さんは 、いつもそうじゃん」
初めて見る、傷ついたように歪んだハルキの顔。
そのときになって、わたしはやっと思い知った。
こんな顔をさせてしまうくらい、当然のように自分の考えばかりを押し付け、ハルキを傷つけてきたのだと。
あの本に出逢って、すっかりわかったつもりになって。
なのにいまだに無自覚のうちに、ハルキを自分勝手な困った子だと決めつけ、彼の心を踏みにじり続けていた。
わたしはなんと愚かなのだろう。
そんなことにすら、気づいていなかったとは――。




