11 少年A
ハルキが生まれて間もないころに、神戸で連続児童殺傷事件が起きた。
世の中を震撼させた異常な犯行。
母親たちは一様に、この事件の理解しがたい残虐さと、わが子がこういった理不尽な殺意の被害者になる可能性に身震いした。
しかしわたしは、当時まだ1歳にも満たなかったハルキの身を案じる以上に、この子が将来こういった事件の加害者になったらどうしようと、そればかりが不安でならなかった。
おそらくわたしは直感的に、この犯人と自分たちに共通する「何か」を感じ取っていたのだと思う。
事件の数年後、少年Aの母親による手記が出版された。
世間では、Aはたいそう甘やかされて育ったに違いない、だからこんな大それたことを平気でしでかす人間になってしまったのだと、そんな憶測が飛び交っていた。
本当にそうなのだろうか。
わたしは並々ならぬ関心をもってその本を手に取った。
果たして手記には、人々の批判に対抗するかのように「自分はAを厳しくしつけてきた」という内容が綿々と綴られていた。
ページの向こうから伝わってくるのは、わたしと同質の厳格さ。
決して愛情がないわけではなく、彼女なりにAのことを考えて精一杯正しいと思える子育てをしてきたであろうことは、容易に想像できた。
それではなぜ、Aはあんな事件を起こしてしまったのか。
Aの母は、いったい何を間違えたのか。
ひょっとしてわたしもまた、彼女と同じ間違いをしているのではなかろうか。
その疑問を胸に抱えたまま、気がつくと10年が過ぎていた。
10年間。
悩み迷いながらも、精一杯育ててきたつもりだった。
だが今や、わたしが必死になればなるほどハルキは固く冷たく心を閉ざし、ますます危うさを増していく。
玄関の壁のひび割れは、まさにわたしとハルキとの間に横たわる溝だった。
消えることのない深い亀裂を目にするたび胸の奥が鋭く痛み、長いこと抱き続けた疑問がふたたび大きく膨れ上がってくる。
Aの母親は、いや、わたしはいったい、何を間違えたのか。
わたしたちには、いったい何が欠けていたのだろうか……。
その本に出会ったのは、ちょうどそんな頃だった。
あてもなくネット上をさ迷ううちに、ふと目にとまった子育てブログ。
「子どものためというよりも、お母さんの気持ちを楽にしてくれる内容でした」という紹介文に吸い寄せられた。
『お母さんはしつけをしないで』
虐待や犯罪心理が専門の、臨床心理士が書いたという。
それまでも、子育てに迷いしつけのマニュアル本を手にしたことが何度もあった。
だがどれも、読めば読むほど理想とかけ離れた自分を責めて苦しくなるばかり。
でもこの本は、何かが違う。
そう直感したわたしは、すぐさまそれを手に入れ読みはじめた。
最初にとりあげられていたのが、まさにわたしが一番関心を持っていた『キレる17歳』についてだった。
西暦2000年前後に続発した、少年Aをはじめとする殺人やバスジャックなどの凶悪な少年事件の犯人たちだ。
この本によると、彼らの多くはやはりAと同じように幼いときから親に厳しくしつけられ、真面目で品行方正、成績もトップクラスだったという。
しっかりと手をかけられ、たくさんの期待や愛情を注がれながら育ってきたはずの彼らが、なぜ凶悪な事件を起こすようになってしまったのか。
夢中でページをめくり続けるうちに、その疑問に対する答えがくっきりと浮かび上がってきた。




