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恋する乙女と規格外の妖精

初投稿作品です。拙作ですが、よろしければお付き合いください。

―――それは、一目惚れだった。


新入生代表として壇上に立っている彼の姿を見た瞬間、私は恋に落ちていた。

九田一鷹君、理知的な眼と高校生になったばかりなのにどこか渋みのある声。

クラス分けのとき、私は同じ中学出身の友達と話をしていて、誰とも話さずに本を読んでいる彼の姿を目にしてもさして興味を覚えなかった。

しかし、改めて正面から彼の姿を見て、その声を聞いたとき、私はどうして彼の存在を見過ごしていたのかと自分の見る目のなさに情けない気持ちでいっぱいになる。

でも、同じクラスになれたし、2年でクラスが分かれるまで一年もある。少しは仲良くなれるかもしれない。あわよくば、九田君の彼女になれるかもしれない。




―――そう考えていたらあっという間に一年が過ぎ去っていた。




はっきり言おう、九田君はぼっちもとい孤高を極めすぎていてとんでもなくガードが堅かった。

私と同様に新入生代表挨拶を見て一目惚れした子たちはすぐさま彼に対して攻勢をかけた。

けれども、九田君の鉄のカーテンが開くことはなかった。あまりにもきっぱりと断るその姿に惚れ直し、何度もアタックをかける人もいたが、ゴールデンウィークを過ぎる頃には、とりつく島もないと次第に諦めていった。

特に決定的だったのは5月の中頃にあった調理実習の後、いつもアタックをかけていた諦めの悪い女子数人が九田君に実習で作ったお菓子を持って行ったときのこと。


「この中で一番出来のいいやつを食べよう」


そう言い放ち、クラス中を唖然とさせたのは今でもよく覚えている。

結局、誰のを食べさせるかどうかで内紛を起こした彼女たちは九田君に「うるさいからよそでやれ」と言われ、そして二度と近づくことはなかった。

そんな九田君の存在を私はひたすら見ていた。見るだけに徹していた。

近づけばうっとうしがられるのは目に見えていたし、はっきり言うと自信がなかった。

見た目はひいき目に言っても人数自慢のアイドルグループの下の方にぎりぎり引っかからないぐらい。

頭もそれほどいいわけではなく、頑張ったところで中の上程度としか言いようのない成績。

運動は女子の中では上位の方だけど、勉強だけではなく運動能力も学年でトップクラスの九田君に釣り合うほどのものでもない。

趣味の読書もマンガや娯楽本が中心で、九田君のように文学作品に精通しているわけではない。

何度か少しでも話が合わせられないかと思って同じ作品を読もうと頑張ってみたが、私にはどうにも面白さが理解できず、読み切ることはできたが非常に時間がかかってしまった。

ちなみに、私が1週間かけて1冊読み切る頃に彼が読んでいる本のタイトルは少なくとも5回変わっていた。正直読むのが速すぎると思う。


そんなわけで、女子からすると非常にとっつきづらい九田君だが、男子からの評価は概ね高い。

普段は異常なまでに寡黙で、自分からは積極的なコミュニケーションは全く取らないが、頼ってくる同性のクラスメイトをむげに扱ったことがないからだ。

その能力の高さも相まって、研修旅行、前期中間テスト、体育祭、前期期末テストとイベントをこなしていくうちに男子の中では静かで頼れるボス的な位置に納まっていった。

正直その面倒見の良さを1%でもいいから女子に振り分けてくれればと何度思ったことだろう。

そのおかげで、生ものがイケる人たちの間での噂には事欠かない。


そうして私が声をかけたりすることができないうちに、九田君は女子を遠ざけ、男子の中でいい具合のポジションを築いてしまい、私が近寄るすべはすっかりなくなっていた。

その間に私は何もしなかった訳ではなかったが、いつも通り美容に気を遣い、勉強と運動を毎日やり、ときに本を読み、友達とおしゃべりにいそしむ。そんないつも通りから一歩も踏み出すことができないまま、一月、二月と経ち、そしてあっという間に終業式を迎え、私は文系クラスで九田君は理系クラスとクラスがあっさりと分かれてしまった。





入学式のときの衝撃が忘れられないまま、片思いと言っていいのか自分でもよくわからなくなるほどの消極的な感情をずっと残しながらの春休み。

趣味の娯楽本を探しに古本屋を巡っていると、特に古ぼけているわけでもない、きれいで目につくわけでもないけど、なんとなく目にとまってやまない本があった。

『絶対に叶うおまじない大百科』著:ラヴ=クラフト会

おまじないなのに大百科。しかも絶対に叶うという妙な自信を感じさせる一冊。というかラヴ=クラフト会って恋のおまじないばかり集めてこんな一冊の本にしてしまったんだろうか?

あちこちツッコミどころ満載で気になって仕方がない。というわけで本を手に取りカウンターに持って行った。


「おじさん、これください」

「ん、こんなのうちにあったっけか? まぁ、いい。値札シールも貼り忘れるような本だ。100円でいいよ」


はい、と100円を手渡し本を鞄にしまう。


「まいどあり」


どんなおまじないが載っているのかさっぱり想像がつかないが、絶対叶うと銘打ってるからには自己啓発暗示系のおまじないが中心なんだろうかと思う。

運を呼び込むとかの超常系のおまじないだらけだったとしても、気休めにはなるだろう。それだと絶対叶わないだろうけど。

けれどもし、この恋が一歩でも前進できる可能性があるのだとしたら、そんな思いがどうしても捨てきれず私はこの本を手に取ってしまった。




家に帰り、自室で本を読み始めて早速後悔する羽目になった。ネクロノミコンを読んでも発狂しないおまじないに始まり、インスマス顔の男を遠ざけるおまじない、ドラム缶のような胴体を持つ巨大ロボットを一撃で倒すおまじない等々、恋のおまじないどころか日常に使えそうなおまじないがさっぱり載っていないのだ。

誰だよこんな本書いたバカと買ったバカ。ラヴ=クラフト会と私だよ!

目次を数ページ読むだけで本を床に叩きつけたくなる衝動をこらえつつ、ページをめくると、ようやくなんとか使えそうなおまじないを見つけた。

『自身の願いを叶える補助をするモノを喚び出すおまじない』

うさんくさい。とんでもなくうさんくさい。わずかに好感が持てるところがあるとすれば、願いを叶える補助という点だ。

古今東西願いを直接的に叶えてしまうものというのはろくなものがない。猿の手だったり、等価交換を強制していくる木だったりと。

あくまで補助、願いを叶えるのは最終的には自分の手で、というのは私としてはなんとなくポイントが高い。

ページをめくり、該当箇所を読み始めて頭痛がしてきた。要求事項が厳しすぎる。

満月の晩、深夜2時から3時までにかけて直径20mもある大型の幾何学模様を地面に描き、その中心で魚類の命と両生類の命と喚び出しを行う人間の血を代償にして、おまじないの呪文を唱えるというのだ。なお、魚類も両生類も命を必要とするので生きた状態で置くことがポイントだそうだ。

誰がやるんだ。こんなおまじない……でも……もし、叶うなら。

少しでも現状から前に進めるのだとしたら……私はこれに賭けてみたい。




そして迎えた満月の晩。手には川で釣ってきた魚と田んぼで捕まえた蛙を入れたバケツ、そして一本の棒を持って、私は近所の公園のグラウンドに立っていた。

脳内で幾度となく模様を描くシミュレーションはしてきた。後はイメージ通りに体を動かすだけ。

そして、私の結果も定かじゃない無謀な挑戦が始まった。


―――と思ったら20分ほどで割とあっさり模様は描き終わってしまった。縮尺もばっちり、おそらくセンチ単位の誤差もなく描き切れたはず。

残った時間でひたすら中心で呪文を唱え続けるだけの簡単な作業だ。

さて、始めますか―――

「いあいあ!」



同じ呪文を繰り返しずっと唱え続けていると、段々と思考がシャープに、そして加速していくのがわかる。

こんな時間に怪しげな呪文唱えてる姿を近所の人に見られたら通報されちゃうよなぁ、なんてことも考えつつひたすら覚えた呪文を唱え続ける。

この感覚は久しぶりだ。

勉強を限界まで頑張っていたときのこと、テスト2週間前からほぼ毎日、私はこの頭が冴えて時間がべたりと飴のように延びるかのような感覚を覚えていた。

単純作業をひたすら繰り返していると、体の動きとは別に頭だけが独立して思考が加速したまま、体だけは決めたままの動きをひたすら繰り返す。

たとえ思考が加速しても結局考えるのは私が今動かしている体の現状のことばかり、決して私の口は呪文を唱えるのをやめない。

私は何かに取り憑かれているんじゃないかと思うような思考さえ生まれる、この奇妙な状況が一体いつまで続くのか。


そんなことを考えているうちに、ポケットに入れていたスマホのアラームが鳴り出した。3時か……。


あぁ、やっぱりガセネタだったか。ラヴ=クラフト会め、恋する乙女をだますとはなんてひどいヤツらだ。


「お前たちも災難だったね。うちでは飼ってやれないから、また元の場所にって―――え?」


捕まえてきた魚と蛙が死んでいた。どういうこと? 確かに連れてきたときは元気に生きていた。


いつの間に死んでいた? なぜ? 一体どういうこと? まさか、本当にあのおまじないの犠牲に?


ショックを受けながらも、私は背後にひんやりとした空気の流れと、父さんからも感じたことがないようなその場を支配する強烈な圧迫感を感じて後ろを振り返った。


「KKKKIIIIIIISSSSSYYYYYHHHHHHAAAAAAA!!!!」


そこにいたのは、くろくて、ぶよぶよしたしょくしゅを、なんぼんもはやして、たくさんまっかなめだまのある、べたべたとした、なにかがくさったようなにおいの―――


「―――かわいい」


おもわず、くちにだしてしまうほど、とってもかわいい、ようせいさんがいた。


なんていとおしい、なんてかわいい、なんてたくましい、まさにりそうの、こいのようせいだ。


「お願い、妖精さん、私、九田君の彼女になりたい。お願い、私が九田君の彼女になるのに協力して!」


私がそう言うと、妖精さんは空気に溶けるように消えていった。私の願いは叶うのだろうか。

数分ほど、模様の真ん中で突っ立ったままだった私は少しずつ考える力を取り戻していった。


「現実だったのかな。それとも幻覚だったとか。でも、お魚も蛙も死んだままだし、多分現実……だよね。お前たちはなんにも悪いことしてないのに、私の勝手でこんなことになっちゃってごめんね。家の裏手に埋めてあげるから、恨んでるなら私に会いに来なさい」


バケツの中のお魚と蛙に謝って、私は帰宅した。模様はそのままにして申し訳ないけど、ちょっと消す気力がわかないのと、週末には野球少年団がグラウンドを整備するだろうと放置することにした。とりあえず今はもう、何もする気力がわかない。





あのおまじないをやってからあっという間に2ヶ月が過ぎ、前期中間テストも終わりテストが返却される頃、私はとんでもない噂を耳にした。


「九田君の成績が、がた落ちしてる?」

「うん、そうらしいよ。8組の子が言ってた。なんか平均より少し下ぐらいで男子が大丈夫かって大騒ぎしてたんだって」

「それは騒ぎにもなるよ。あの九田君だよ?」

「お、気になる?」

「ちゃかさないで。怒るよ?」

「待って待って、みーちゃんが怒るのはすごく嫌な予感がするから待って。まだお話には続きがあってね、最近すごーく寝不足で体調不良で、それが原因じゃないかって話らしいんだよ。本当に何があったんだろうね? って、みーちゃんどこ行くの!?」

「九田君のところです!」

「そこで走り出す行動力があるならなんで普通に告白しないかねー」


耳に痛い良江ちゃんコメントを無視して、すぐに私は走り出した。思い当たることなんて一つしかない。


私のおまじないだ。


あの妖精がなぜか九田君を弱らせているとしか考えられなかった。取り返しのつかないことをしてしまった。私のせいで九田君の成績を落としてしまった。

私があんなおまじないをしなければ、私は自分の気持ちを優先してなんてことをしてしまったのか。

悔やんでも悔やみきれないけど、何があってもあの妖精だけは追い返す。絶対に。

そして、すべてを告白して九田君に謝ろう。謝って許してもらえることではないとわかっている。九田君の成績が戻ってくるわけもない。責任なんてどう取ったらいいかさっぱりわからないけど、それでも精一杯謝ろう。


8組の教室前の戸は開いていて、昼休み中だからかあんまり人はいない。九田君もいないけど、前のクラスの友達がいた。


「咲原さん、九田君どこにいるか知らない?」

「伊藤さん? ずいぶん慌ててどうしたの、九田君なら体調が悪いって言ってたから多分保険し―――」

「―――ありがとう!」

咲原さんにお礼を言ってすぐさま私は1階の保健室へと向かって走り出した。

「やっと告白する気になったのかな」って咲原さんがつぶやいてたのもばっちり耳に入ってるけど、告白は告白でも私のやったおまじないに対する謝罪の告白だ。

何でやったかを問い詰められたらそのまま愛の告白に移行する羽目になるだろうけど。




「うわああああああぁぁぁーーー!」


「いやーーーーーーっ!!」


私が保健室にもうすぐ着くというタイミングで九田君の叫び声と、少し遅れておそらく保健の先生のものと思われるかん高い悲鳴が響いた。


保健室に着いた私はすぐさま戸を開ける。

真っ先に眼に入ってきたのは窓にべたりと張り付く黒い何かと、窓から少し離れた位置でうずくまる保険の先生の姿。

あの黒いやつが私がおまじないで呼び出したものだろう。呼び出した直後に見たときにはなぜか可愛らしいと思っていたが、今見てみるとこの世のものとは思えないとか、おぞましいとか、何というかうまく言葉にできない。


「九田君に謝ろうとか、言ってる場合じゃない。あいつは、私が倒す」


意識を完全に切り替え、全速力で走り込んで窓を思いっきり蹴りつける!


「っつぇああああ!」

「GUOSSSSSSHHHHHHAAAAAAAAAAA!」


窓に張り付くあいつごと窓を割りながら思いっきり蹴り飛ばす。保健室が1階にあってよかった。

ついでに窓ガラスも思った以上にうまく割れてよかった。おかげで、そんなに大きな怪我はない。

いかにも毒々しい気持ち悪い色の体液をまき散らす化け物とともに、私はグラウンドへと飛び出した。

目の端には混乱するほかの生徒の姿がちらほらと見えるが、そんなことを気にしていられる状況じゃない。

先ほどまで数本だった触手が倍以上に増えてうごめいて、私から少し距離を取り、たくさんの目が一斉に私をとらえる。


こんなときはどうすべきか―――なんて、考える必要ない。


全速力で、先手、必勝!


臨戦態勢の妖精(仮)からいくつかの触手がしなって私に向かって振り下ろされる。

しかし、父さんが振り下ろす木刀の速度に比べたらどうってことない。

がむしゃらに振り回されているわけではなく、私を打ち据えるべく動いているのなら、避けるのはたやすい。

確実に避けつつ、全速力で前に向かって走る。

そして、あと一歩というところで、残りの触手が振るわれた。

だが遅い、やるなら最初にそうすべきだったんだ。今はもう、私の一撃の方が先に決まる。

この一撃で、こいつが倒せれば何も問題ない。

たとえ相討ちになろうとも私は九田君のためにこいつを倒す。

目の前の黒いべたべたの塊を見ながら、私の頭は目の前とは違う光景を高速で切り替えながら映し出していく。

最近はずいぶんとご無沙汰だった走馬燈だ。

その中で印象的だったのは父さんと稽古していたときの思い出。


『美郷、女の子ってのはな、男みたいに硬く強くなろうとしなくていい。男と同じ方向で強くなろうとすると、ぶつからなくていい壁にぶつかる羽目になる。女の子は柔らかく強くなるべきだって言うのが父さんの持論でな。それをどう思うかは美郷次第だが、もし父さんの言うとおりにやってみたいって言うなら、まず打撃に関しては自分の性別を生かせ、柔らかさを生かせ、全速力を柔らかく、すべての勢いを染み渡らせるように当てるんだ。男でもやれば当然できるようになることだが、ことこの手の技術は女性の方が上達しやすい。ほら、打ち込んでこい―――』


この勢いを、柔らかく、染み渡らせるように。

当てる瞬間、こいつの体の中心より少し奥の方が光った気がした。

そこに向かって私の渾身の一撃を爆発させる。

そんなイメージで先に左手を当ててクッションのようにして、重ねるように右の掌を思いっきり、しかし勢いは殺さずかつ柔らかく、叩き込む!!


「イイイイイイイイイェェアアアアアアアアアアーーーーー!!!」


限りなく柔らかく当てたので左手の甲を叩く音も聞こえない、押し込むような、それでいて私の助走から全体重がきれいに乗った会心の一打。


「SSSSHHHHHAAAAAGGGGGGOAAAAA!!」


私が今まで生きてきた中でこれ以上ないという一撃は、こいつにも確かに届いたようだった。

びくびくとのたうちながら、やっとの事で触手を振り回すが、見るからに力がない。余裕を持って飛び退くと、妖精(仮)はのろのろと触手を空振りした。

放っておいてもそのうち死ぬかもしれないが、念には念を入れて、私が先ほど割った窓ガラスの破片のうち手頃なものを手裏剣のようにして目を狙ってどんどん投げていく。


「SYRRRRRRROOOOOO……OOOoooo……」


そして、ついに動かなくなった妖精(仮)は原型をなくし、ただの黒い粘液となって広がっていった。

溶け出した先から地面を黒く染め、こいつに触れたグラウンド脇の草場は軒並み黒く枯れ落ちていった。

地面の方もぐずぐずの状態になり、湿っぽい感じの何か腐ったような臭いがただよってきた。

そして、もう大丈夫だろうと気を抜いた私の左手に激痛が走った。

ぐ、すごく痛い。左の手の平を見てみると、あいつの粘液で真っ黒に染まっていた。指は普通の色なのに、手の平だけが真っ黒いそして痛い。

一体これはどうなっているのだろうか。とりあえず、保健室に戻って消毒しようと振り返ると保健の先生は泡を吹いて倒れていた。

ていうかグラウンドの方も改めて見渡してみたら結構な数の生徒が倒れている。

もしかしたら保健室に運び込まれるかもしれない。

まぁ、他の人のことは気にしていても仕方ない。さっさと消毒して包帯を巻いておこう。まだお昼ご飯食べてないから早くしないと。

私は保健室の窓枠の大丈夫そうなところに手をかけ、体を一気に持ち上げて部屋に入る。


「あ、そういえば土足になっちゃう」


泥汚れはどんなものだろうかと上履きを見てみると、右の方にあいつの黒い粘液がべったりとついていた。

なんとなく気持ち悪いのでその場で脱いでしまった。左だけだとバランスが悪いので、ついでに脱いでしまう。


「……どうしよう」

「どうしようもこうしようもない。とりあえず雑巾で拭いてから考えろ」

「へ?」


こ、ここここここここの声は―――

おっかなびっくり振り返ると、そこにはベッドから起き上がった九田君の姿が。

うん、そうだよね。九田君がいるに決まってるよね。だから私がここに来たわけだし。

いや、でも、しかし、心の準備が全く整ってないところで九田君の声を聞いてしまって私の心臓が早鐘を打つ。


「あ、あの、えと……」


何を話せばいいんだろうか、色々考えてたはずなのに、九田君を前にして私の頭はちっとも働いてくれない。

でも、まずは―――


「ご、ごめんなさい!」

「何に対する謝罪だ。伊藤さんに謝られるようなことをされた覚えはないが。っと、まぁそんなことはひとまず置いておけ。伊藤さんの怪我の治療と、靴についた黒い何かを落とすのが先だ」

「あ、はい、わかりました」


九田君は、ベッドから降りて上靴を履くと、すぐさま気絶している保健の先生を抱えてついさっきまで九田君が寝ていたベッドに横たえると、薬の収まっている棚から、消毒液と絆創膏と包帯と雑巾を持ってきた。

手際よく動く九田君の姿はやっぱりかっこいい。


「何を突っ立って見てる。さっさとそこの椅子に座れ、治療がしづらい」

「は、はい、失礼します」


九田君が用意してくれた椅子に座り、対面で治療が始まった。

消毒液を手にかけられるが、どうにも感覚が鈍い。

この感じだと怪我をしている、というわけではなさそう? 脳内麻薬が多量に出ているせいかおかげさまで痛みは大分薄らいでいる。

左手が気持ち悪い黒色に染まっているのも、痛みの原因もまず間違いなくあいつの粘液が手に付いたせいだろう。

本当になんだったのだろうかあれは。


「左手のこれはすっかり沈着してしまっているようだな。拭き取れるとよかったんだが、見たところ怪我をしているわけではなさそうだ。ただ、このままだと目立つからとりあえず包帯をしておくぞ」

「これは、しょうがないです。自業自得、ですから」


左手の黒い部分が目立たないようにと九田君はさっさと包帯を巻き終えると、私の目をじっと見つめてきました。

すぐさま私は視線を下に逸らします。

九田君包帯巻くの上手いですね。私が片手で巻くよりおそらくずっときれいだと思います。


「さっきの謝罪といい、あれの原因は伊藤さんか?」


ついに聞かれてしまった。聞かれた以上ごまかすなんて選択肢はあり得ない。私は謝罪するために九田君に会いに来たんだから。


「はい、実は―――」


だから私は、九田君にすべてを話し始めた。




そうして、私はあれをどうやって呼び出したのか、どうして呼び出したのかについてすべて話すことになりました。


すべてです。ええ、すべて話しました。


私が九田君を好きだということ、私が九田君の恋人になりたいと願ってあの妖精のような何かを呼び出したことを話してしまいました。


すべて話終わると九田君はため息をついて「なるほど」とうなずきました。


「ここ数ヶ月続いていたあれが、伊藤さんのせいというのも意外だったが、まさかその原因が俺を好きだということだなんて夢にも思わなかった」

「ご、ごめんな―――」

「謝らなくていい。謝罪はすでに聞いたし、伊藤さんは十分に反省しているだろうから、もう二度とこんなことはしないだろ?」

「それはもちろん」

「なら問題ない。では、改めて聞くが、伊藤さんは俺が好きだと言うことは間違いないな?」

「はい、間違いないです」


話をしている間中、下を向いていましたが、改めて確認されると恥ずかしさで段々頭に血が上って行くのがわかります。

特に耳が熱いです。鏡を見たら多分真っ赤なのは間違いないでしょう。

あの妖精を呼び出す経緯をすでに話した上で改めて九田君から九田君のことが好きかどうかを聞かれるってこれなんて拷問でしょうか?


「ちなみに、いつからだ?」


そこまで聞きますか。いいでしょう、もう私に隠し立てすることなんてありません。望まれるまますべて答えましょう。


「入学式のときからです」

「新入生挨拶のあのときか。まさか高嶺の花だと思っていた伊藤さんから、そんな時から一目惚れされていた上にこんな形で告白させることになるとは思わなかった」

「高嶺の、花?」


え? なんで? どうして? 私が高嶺の花? 九田君にとっての?

さっぱり訳がわからない。

私は思わず、ずっと下げていた顔を上げて九田君の顔を見ます。

九田君はすごく優しそうにほほえんでいた。真っ正面で九田君のこんな顔は初めて見たかもしれない。いや、九田君の顔を真っ正面から見るのがそもそも初めてなんだけど。


「ようやっと顔を上げたな。そう、高嶺の花だったんだよ。少なくともE組とF組の男子の中ではね。多分ほかのクラスでも憧れていた男子は相当数いたと思う」

「ええと、そうだったんですか? でも私、去年一年間男子から告白とかされたことなかったんですけれど……」


下校中に変質者に遭遇して動けなくなってる子を変質者を撃沈させつつ助けた翌日に助けた子から私の王子様発言はされたことがあるけど。


「休み時間中に『完全痴漢撃退マニュアル』とか『最強を作るケトルベルトレーニング』をはじめとする格闘技術関連本やらトレーニング本を、しかも割とマイナーなもの中心にをカバーも掛けずに読んでる女子にどう声をかけたらいいかわからなかったんだよ。まぁ、声をかけた奴もいたけど、伊藤さんがあんまりにも怯えてるのを見て接触を諦めたりとか、俺が伊藤さんに関わらないように男子に圧力をかけたりとかしてたからな」


えぇと、確かに今も男子はだいたい苦手です。父さんから男ってのは怖い生き物だぞーってすり込まれてたせいか、父さんと弟を除いたほとんどの同学年以上の男性に警戒感を抱いてしまってうまく話ができない。ていうか、九田君が男子が私に関わらないように圧力を?


「圧力ってどうして?」

「高嶺の花ってだけじゃ伝わらないよな。俺も伊藤さんが好きだったんだよ。だから俺の試験対策用ノートをコピーさせる代わりに男子には伊藤さんに手を出させないようにしたんだ。おかげさまで同学年の男子の半分ぐらいは俺が伊藤さんが好きだってことを知ってる」


ちょっと衝撃的すぎる事実です。学年一番の学力の使いどころがどことなくおかしいけど、でも、私のために九田君が動いてくれていたということが今はうれしくて仕方がない。


「けど、そこまでするならどうして私に告白したりしなかったんですか? 告白されたら私一秒とかからずにOK出してましたよ?」


うれしくなってテンションが上がってきたせいか、はたまた九田君が思ったよりも気安いからか、私は九田君の顔を見ながら素直に思ったことを口に出せるようになっている。

友達に聞かれてたら自分から告白できないくせにお前が言うなってツッコまれそうですが、もうこうなったら勢いで押し切ろう。


「はっきり言うと自信がなかったからだ。伊藤さんは男子が苦手だと思っていたし、そんな子にどう接触したらいいかさっぱりわからなかった」

「私もそうですよ。てっきり九田君って男子だけでつるんでるのが好きなんだとばっかり思ってました」

「頼られるとNOって言えない人間なんだよ。なまじ他の人よりはできることが多い方だから頼られて力を貸してを繰り返してたらこうなってた。それを言うなら伊藤さんだって同じだろ?」

「確かに、私の場合勉強で頼られたことはないですけど……体育の授業のときとか変質者が出てきたときの対処法の相談とか色々頼られるのはうれしいです」

「そのときの笑顔がいいなって思って好きになったんだよ」

「ええと、ありがとうございます」

「どういたしまして」


私って楽しそうにしてるときどんな顔して笑ってたのか今更ながらすごく気になってきた。

九田君が好きになってくれた顔だから悪くはないはずだけど、どんな顔してたんだ、私?




そうして色々話していくうちに、あっという間に時間が過ぎて昼休みが終わる。

外の様子は控えめに言って大混乱だった。

何食わぬ顔で教室に戻ったものの、グラウンドだけではなく、校内からあれを見て倒れた人もいるらしく、原因不明の集団昏倒事件ということで全校生徒が急きょ下校させられることとなったのだ。

今日のことについて、放課後に話をしようと九田君と約束していたけれど、約束して分かれて30分もしないうちに放課後になってしまった。


「まさか、こんな大事件になってしまうとは」

「まさかあの子が、こんな大事件を起こすだなんて。そんな風には全然見えませんでした」

「うぐぅ……」


そういうわけで帰り道。友達の誘いを断って私は九田君と下校していた。

何かあったという気配をちっとも隠せなかった私は、英美ちゃんに九田君と一緒に帰るということをあっさり白状させられ「明日結果報告よろしくねー」と念押しをさせられてしまった。

何かと周りの空気とかうわさだとかに疎い私に九田君の現状についての第一報をくれた英美ちゃんの頼みだ。断れるわけがない。


開口一番思わずつぶやいてしまった一言に、ニュースとかでインタビューを受けた人のよくあるコメントを、きわめて無感情な九田君らしい棒読みで返してきてくれたおかげでぐうの音しか出ない。


「伊藤さんは何というか、外見と行動内容のギャップが凄いな」

「外見については母さまの教育のたまものかと、『顔のパーツが多少残念でもきれいに整えられた黒髪ストレートのセミロングと健康的な肌つやがあって、だらしなくない程度で女性らしい肉付きしてれば世の中だいたいの男は化粧と服で騙されてくれる。実際に私はそうやってこの人に捕まえてもらった』ってのが母さまの口癖です」


母さま本人は働きたくないをこじらせていかに完璧な専業主婦になるかを考えて行き着いた。と言っていたけど、母さまがいつも家にいてくれるのは、父さんや私たち3人姉弟にとってはとてもありがたいことだと思っている。だから父さんは父さんだけど、父さんが母さまというから私の家では母さまを母さまと呼んでいる。


「外見の理由はわかった。で、どうしてそこまで妙なところでアグレッシブになってしまったんだ?」

「そこは武術大好きな父さんの影響かと。『20歳まで徹底的に体を鍛えておけばその後30年は貯金だけでだいたいなんとかなるから』というのが父さんの持論で、特に女の子は女の子にしかない危険が多いから男以上に頑張らないといけないというよくわからない理論で鍛えさせられました。姉弟に課せられた家訓のようなもので『授業以外で勉強したときは同じ時間体を鍛えなければならない』というのがありまして、これが結構きついんですよ」


本当にきついんですよね。自慢じゃないけど、頭の作りがあんまりいい方じゃないので、予習して授業だけ聞いていればテストでいい点が取れるなんてことはなく、テスト前でどんなに勉強を頑張ろうとしてもだいたい3時間。無理しても4時間ぐらいしか勉強時間がとれなかった。

成績が全国でも上位レベルの弟たちが言うには運動中も半分ぐらい勉強のことを考えてれば大丈夫とのことであるが、そんな風に並列思考ができるならとっくにやっているし成績もよかったはずだ。

私の場合は一度運動を始めると自分の体のことにほぼすべての意識を集中させてしまうので勉強のことを考えている余裕が全然ない。

そのおかげと言っていいのか、私と同じぐらい勉強と運動をしているはずの中2と中1の弟たち2人掛かりで模擬戦をやっても、未だほとんど負けなしだ。1対1ならまず負けないし、父さんからも10本に2本は勝ちを拾えている。


「なるほど、どこからその行動力がやってきたのかよくわかった。率直に言って凄い家庭だな」

「ですよね、私もそう思います」


もともと表情の変化の少ない九田君からでもはっきりと驚きが伝わってくるぐらいにやっぱりうちの環境は特殊なようだ。

いや、普通の女の子はそこまでして体を鍛えるようなことはしないってのは他の子の家庭状況を聞いて知ってはいるんだけど、九田君の表情からそれを伝えられるとそこはかとなく堪えるものがある。


「伊藤さんのお父さんは、その、プロの格闘家とかそういう仕事をしているのか?」

「いえ、普通の商社の普通じゃない営業です。安定感のない仕事は母さまが許さないので。もし、安定感のないやりたいことを仕事にするなら定年後か離婚を覚悟でやれと母さまに言われているそうです」

「それはまたすさまじい」

「父さんはどうも武術好きが高じすぎて世界レベルで異常に広い人脈を持ってるんそうなんですよ。その人脈を利用して、毎日定時で帰って有給をフルに使ってさらに一月まるまる休みもらっても社長が許してくれるぐらい会社には貢献している超敏腕営業らしいんです。父さん曰く俺一人であの会社の営業50人分だそうですよ」

「うん、色々伊藤さんの家の事情がよくわかった。そうか、俺はそんな家に挨拶に向かわなきゃいけないのか。伊藤さん、お父さんって娘さんとお付き合いさせていただいていますとか言ったら、俺を倒して手に入れろって言う人?」

「え~~~~~と、まず、間違いなく言うと思います。って九田君、もしかして……」

「そういうつもりだが、駄目か? 伊藤美郷さん、どうか俺と付き合ってくださ―――」

「はい、よろこんで!」

「本当に1秒かからなかったな」

「う………」


し、仕方ないじゃないですか。まさか、九田君から付き合ってくれって! 告白してもらえるなんて!

過程はどうあれ、こんな風に九田君とおつき、あ、い………

あれ? 結果として叶っちゃいました。

ちょっと想像していた形と違ったけれど、あの妖精(仮)は本当に妖精だった?


「伊藤さん、どうした? なんか非常に複雑な表情をしているが」

「ええと、ですね。九田君にお話したおまじない大百科のおまじないで私が九田君の彼女になれるようにと願って呼び出した恋の妖精(?)の様なアレのおかげで結果的に九田君とお付き合いできるようになったので、その」

「あぁ、確かにそれは複雑だ。だけど、あんなのを呼び出せるのも倒せるのもおそらく伊藤さんだけだと思う」

「ですよね」


深く考えるのはよそう、うん。今は九田君と付き合えるようになったことをよろこび、これからのことを九田君と一緒に考えよう。




なお、この後色々とあって九田君と私は高校生怪異ハンターとしてデビューすることになり、学生結婚した後も世界中を飛び回ることになるのだが、それはまた別のお話。


END

本作品を最後まで読んでいただきありがとうございます。

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