おっこちた(2)
2/24 午後、文章追加
ショルダーバックに折り畳み傘と財布を入れ、家を出る。
目指すは矢津家。
傍らでつまらなそうに歩く尋也。まんまとからかいに嵌められて不機嫌なのだ。
「君、そろそろ機嫌を直しておくれよ」
「直すもなにも、どこも悪くありませんよ。子どもじゃないんですから、それぐらいでへそ曲げません」
――そういうとますます子どもっぽい。
そうは思ったものの、いっそ心配になるほどわかりやすいところが羨ましい……好ましいのも事実。
からかいたい気持ちもあるが、悪戯の方は昨晩堪能させてもらった。唇に指をあて、言葉が零れ出るのを抑える。
「えっと、ここらへんを、どっちだっけね」
「地図的には南? 右? こっちじゃないっすか」
「どこにいるのかわからなくなるくらい、どこも一緒の形だな」
「やめてくださいよ、不安になるなあ!」
ぐるりと周囲を見渡すが、目印になりそうなものがない。確認を怠れば、すぐに自分の居場所がわからなくなってしまう。
道は細く入り組んでおり、子どもが乱暴にほぐしたリボンのようなアスファルトの両脇を家々が囲んでいる。
近くの町も同じような造りだからわかるが、こういった場所は慣れれば問題ない。慣れれば。道路が多いから、自転車や自動車による移動が楽になる。
こういう時は、地元民にきくのが手っ取り早いだろう。
「誰かちょうどいい人いないかね。突撃隣の田舎にいこう」
「ふざけてるヒマがあったらちゃんと見てくださいよ。人はぁ、あー、あんなんしかいねえっすわ」
目を細めた尋也の視線の先にいたのは、二人で座り込んでたむろする若者。
昭和のように改造された学ランを着ているというわけではないが、コンビニ前で座り込んでいれば近寄りがたくもなる。人数は三人。
しかしコンビニはコンビニに違いない。改めて考えてみれば、中に入って店員に教えてもらえばいいのだ。
出口付近にいるものの、楽しく会話しているのだから目立たなければ絡まれることもなかろう。
そう高をくくって足を踏み出すと、ぐるりと若者の目と此方に向いた。
げらげらと下品な笑い声が突然に止まり、思わず立ち止まって直視してしまう。
瞬きをするまでのひととき、目がぴったりとあう。
「……あの子……と一緒か?」
「さあ。でも、そうっぽいよな?」
「じゃあ、やれってこと?」
「どーなんだろ。とりあえず、やっといた方が怒られないんじゃないか」
「そうだな」
若者たちは膝に手をおき、よっこらしょと立ち上がる。
急な行動と意味深な会話に頭を捻っていると、そっと尋也が後ろに立つ。横目で見上げれば、不機嫌に眉を寄せた顔が目に入る。
元々機嫌のいい顔は少ないが、きつく結ばれた口許には警戒が見えた。
虎斑にはさっぱりわからないが、彼が警戒するということは、何かよくない気配なのだろう。
逃げるべきか。今後は一歩後ろに上がる。一歩進んで二歩下がる、などこんな時に限って冗談が頭に浮かぶ。
「はーい、君たち何しようとしてるのかなー? 補導しちゃうぞ!」
冷や汗が一筋落ちたところで、新たな声が割り込む。
尋也が「ええ、何この展開」と呟いたが、そういいたいのは虎斑のほうであった。
心臓が痛いほどにはねた。なにせ、それは聞こえるはずのない声だったのだから。
「あ、凛ちゃん? 久しぶり、こんなところでどうしたのさ」
呑気な調子で話しかけてくるのは、一見大学生かと思うほど若く見える男。虎斑は彼が相当な童顔であると知っている。
名を、赤羽ナツキ。虎斑の保護者である青田の相棒――ただし元がつくが。
驚愕に固まっていると、その後ろから一人の少女がおずおずと顔を出した。
舌打ちをして、移動を開始した若者たちを挟んで棒立ちになる二人をみとめ、少女は己の服の袖をぎゅっと握る。
ふわふわとした柔らかで癖のある髪が、俯いた顔を覆い隠す。
色も薄く光が透けてしまいそうなそれは、確かに天使と呼ぶにふさわしい愛らしさだった。
虎斑の勘が囁く。彼女こそが『矢津 優唯』だ。
下げられた眉、華奢な身体。風に揺れる姿は一輪の野花のよう。
一方でちらちらと上目遣いで虎斑を覗き見たり、地面を見つめたりしている彼女の表情はそう呑気にいかない。
虎斑を見やるときはまるで親の仇の如き強い感情が籠っているのに、自分が見られていると気づくが否や申し訳なさげに瞳を揺らす。涙をいっぱいにためて、いっそ不憫になるほどである。
意味もなく首を左右に揺らす度、二つ縛りにした髪が跳ぶ。
挙動不審という言葉がこれほど似合うものを二人は知らない。
目的の人物と予想外の人物の組み合わせに、珍しく言葉が出てこない。
挨拶か、自己紹介か、はたまた。渦巻く質問の嵐のなかで、真っ先に飛び出してきたのは、結局赤羽に対してであった。
「どうして、ここに? あなたは、亡くなったはずでは?」
〇
まあ、色々あってねえ。
頬をかきながら、赤羽は柔く微笑む。仕事をしているとき以外は不機嫌な顔は、笑うとますます若く見える。
虎斑の言葉で尋也も、今更ありえない事実に気が付く。
死んだ人間が現世にいる、という事実に。
ついこの間葬式に出たばかりで、実感もわかなかったのかもしれない。
第一、こんな非現実な出来事をすぐに気づけというのも難題かもしれなかった。
もっともそれは《天使》である矢津によるものだろうと大方予想はつく。逆に言えば、そういう異能に至る何かが矢津にはある、ということだ。
異能とは心の反映であるのだから。
別段、生死に関わるものが悪性とは限らない。しかし、妙に嫌な予感がする。
――予想はしていたが、なかなか込み入ったことになっていそうだな。
動揺こそしたものの、赤羽という信頼できる人物が味方についているようだ。
十分信頼に足るであろう。
「とりあえず、矢津ちゃんの家に行こう。そこで詳しく話すから……どうやら、君たちにも関係がある話らしいしね」
「わかった。家主の君はいいかな? ああ、遅れたが名は虎斑という」
「えっ……あ、はい……」
目線を合わすことなく、矢津は頷く。尋也にも「行こう」と声をかけてみたが、返事がない。顔を見れば、白い肌が真っ青になっていた。