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死に至る病魔  作者: 室木 柴
クリア・シュガードール
6/7

おっこちた(1)

 虎斑たちが留守を預かることになっている家は、至って普通の民家であった。横幅十数メートル、縦幅僅か3~4メートルの細長い庭。庭に面した縁側の奥にはちゃぶ台とテレビが姿をのぞかせていた。


 家を囲むくすんだコンクリートの塀にはところどころヒビが入っており、それなりに年期がはいっている。正直、特別な点は何も見受けられない。


 昔、虎斑も青田と数日間の旅行に出かけたことがあるが、その時だってしっかり鍵を施錠するだけで留守番を頼むだろうか。

 花の水やりだのは近所の友人に頼むのでも充分だろうに。

 家人に見つからぬようチラチラと家を観察する虎斑の肩を尋也が肘でつつく。


「先輩、不審者みたいだからやめてください」

「いやね、本当に青田さんは彼らを脅したとか迷惑をかけたわけじゃあないのかなって」

「考えすぎるのは悪い癖っすよ。ホラ、インターホン鳴らしますからね」


 いうが早いか、虎斑が玄関の方向に向き直るより前に目の前のボタンを押す。

 籠った高い音が湿った夏のぬかるんだ耳朶を打つ。

 奥から「はいはい今行くから待っててね」という低い声が聞こえ、廊下を踏む騒がしい足音が近づいてきた。


「はーい、お待たせしました」

「こんにちは。私たちは青田 貴成さんの」

「ああ! 凛ちゃんと、えっと、尋也くん?」

「え、アッハイ」

「見た目が特徴的だからすぐわかったわあ。それじゃあコレ鍵。よろしくね!」


 現れ出た奥さんと思われる中年女性が、ぎゅっと尋也の手のひらを握り呆然とする間に薄っぺらく長い鍵を握らせる。

 挨拶もそこそこのうちに彼女は廊下に向かって大声で呼びかけ、慌てて呼び止める彼の声もかき消されてしまう。


「ほらあんたたち! 出かけるよー!」

「ちょ、ちょっと」


 勢いに押されて、完全に引け腰になってしまっている。虎斑もまた呆けて一歩距離を置いた場所から観察するに落ち着いてしまっているのだから二人揃って大概だ。


 そんな体たらくの若者が想像以上にエネルギッシュな精神を持つ年頃の女性にかなうはずもなく、他の家族も続々と現れて車のなかに消えていく。


 本来突如として訪れたのは虎斑たち側のはずなのだが、嵐の如き家族にしばらく二人は音をあげて去っていく車の後を見送り続けたのだった。


 

 夏の日は長い。縁側を網戸に変えると湿った土の匂いが風にのって鼻孔を抜ける。若い青葉の苦く爽やかな香りが混じって、肺を満たす。酸素が入れ替わっていくような風は好きだ。

 けれど、長いくせして「今日が終わるぞ!」と中途半端に急かされるようで、虎斑はあまり夏の夕暮れを好かなかった。


 しだいに落ちていく夕日をしりめに、時計を見る。もう十分に夕食時だ。

 夕食を作るのは苦ではない。だが他人の台所をどう扱っていいものか、少し悩む。


 特に何も言われなかったから、好きにしてよいと解釈しても問題はないだろうが。使う前に隅々まで観察し、脳内に元々の場所をインプットする。忘れそうな場所はスマートフォンで撮影。便利な時代だ。

 

「せんぱーい、どうっすかー」

「特に書置きはないねえ。あんまり気にせず使っていいってことだと思うけど、怖いからなるべく家の中はいじらない方向でいこう」

「うぃーっす」


 適当な尋也の質問が遠くから聞こえてきた。何を持ってきたかは知らないが、今日は居間で雑魚寝することになるのは確かだ。

 そんなことは何も問題でない。彼が居間と荷物をチェックしている間に、夕食を作る。

 買ってきた食材を並べ、明日以降のものはビニール袋の中に入れて区別がつくようにして冷蔵庫へ。


 明日は矢津に会いに行く。精神的な消耗は避けられない、相当な気合が要る。栄養がしっかり取れるのがいい。


「よーし、張り切って作るぞー」


 いつもは手抜きも多いのだが、初日ぐらいは張り切る。といってもプロでもない虎斑の家庭力は人並みなのだが、気持ちの問題だ。


 鶏の腿肉、じゃがいも、玉ねぎ、ズッキーニ、ピーマン、トマトピューレ、その他諸々。トマトの酸味と野菜の旨みがたっぷりのラタトゥイユ。

 カラフルな野菜をサイコロそっくりに切り分けて、コトコト煮込む料理。


 手順はそう難しくもない。もう三十分したら塩とハーブも加えるが、その間に別の作業をする。フランスパンを分厚く切って、半分をそのまま、もう半分をすりおろしたニンニクと合わせたバターを塗って焼く。

ラタトゥイユは目を離す暇があるし、トーストはすぐにできる。その間にアッサリとしたコンソメスープも作っていく。


 尋也は青田以上によく食べるので、一品完成させるのは楽だが量産しなくてはならない。これがなかなか骨の折れる作業であった。


 料理をする間に、浅く広い夜の闇が一帯を覆う。

 からりとした爽やかな晩だ。濁りのない赤色が散らばる野菜たちは、大人しい外界と反対に弾ける太陽のようだ。

 素人にしては美しく盛り付けられたと思う。しかし尋也は座布団を敷いてちゃぶ台の前で胡坐をかき、さっさと食べ始めてしまった。

 コメントがないのは寂しい。けれど「いただきます」と手を合わせただけでもよしとする。


「ねえ、先輩」


 虎斑もスプーンを持ったところで、彼が声をあげた。


「先輩」

「なんだい」

「明日、会いにいくんすよね」

「そうだな」

「公園での話、すみません」

「それだけかい」

「そうっすね」


 そのあとはまた黙り込む。心地よい空気だった。

 冷たく暖かな世界が、自分たちの世界にとって優しいかはわからない。



 一夜が明けた。

 慣れない布のうえに数時間転んでいたためか、全身がガチガチだ。片方の肩をあげるだけで骨が鳴る。

 隣を見ると既に男の影はない。散らかった寝床があるだけだ。シワクチャになった青黒い寝袋がポイと丸まっている。


 呻き声を漏らし、のそのそ這い出す。三枚程度に重ねられた毛布とタオル。布団に他人の汗をつけるのは気がひける。だがこの家にはソファがない。

 布ならば、多少金はかかるがコインランドリーが使える。呑気にベッドを借りようと考えていたが、最近はそうおおらかにはいかないらしい。


「……小雨、か?」


 肌を濡らすしとしととした気配に、微睡んだ瞳を窓へ向けた。

 昨日はあんなに晴れていたのに。熱した空気が上空で雲となり、降りてきた。理屈は大雑把にわかる。けれど夜さえ陽気な乾きに満ちていたのだ。少し驚きたくもなる。

 降り始めたばかりなのだろう。寝間着のまま縁側に出れば、まだら模様の地面が網膜に映った。


――ランニングか。


 彼が運動を好むのは知っている。寝間着も同様に散乱、玄関に行けば靴がないはず。

 雨である以上、酷くなる前に返ってくる。服の裾を掴み、頭上までたくしあげた。柔肌が晒され、小さくくしゃみをこぼす。



 二の腕丸出しの乳白色に染まったコットンシャツを着る。細身のパンツと合わせて履けば、虎斑にしてはしとやかな姿になった。

 上からエプロンを羽織り、台所へ向かう。 夕食をともにすることは度々あれど、朝を同じにするのは初めてだ。尋也の好みがよくわからない。


「昨晩のうちに聞いておけばよかったなあ。とりあえずハズレのなさそうなのを作るか」


 冷蔵庫から取り出したのは、卵、味噌、納豆のパック、豆腐、油揚げなどなど。味噌もきちんと買ってきた。近頃は小さな物も売っていて助かる。

 小さめの鍋と長方形のフライパンを取り出し、コンロの上に置く。

 今日の朝食は割と和風。ぷりっとした卵焼き、お味噌汁、キャベツとトマトのシーザーサラダ。ご飯には納豆をかけてもらおう。

 魚も焼ければいいのだが、それは買ってこなかった。


 彼は出汁の味が濃いものと砂糖が多いもの、どちらが好きなのだろう。

 スナックはよく食べているが、チョコ類は一度に少ししか食べれなかった気がする。

 ではじゅっと舌で旨み成分を感じられるものにしよう。

 久し振りに頭を悩ませながら、彼女は調理を進めていった。


 尋也が帰ってきたのは、それから10分後のことだ。

 玄関に入るなり漂ってきた匂いに、スンと鼻を鳴らす。


「せんぱーい、今戻ってきましたー」

「汗流して着替えておいでー。その頃にはご飯もだいたい出来てるよー、多分ね!」


 台所のある方向に呼びかければ間延びした返事が廊下に響く。

 それを聞くと昨晩も使った風呂場に向かう。この家は風呂場にタオルを置く棚と洗濯機があるので着替えには便利だ。


 服を脱ぎ捨てると白い肌が露わになる。一応日に焼けている顔や手足と違い、胴の生白さは生まれついたまま。健在だった。

 鏡に映る色を苦い思いで一瞥し、風呂場に入っていく。

 彼は運動が好きだ。


 15分ほどかけてだらだら着替えを済ませ、居間に移動した。


 珍しく、当社比で落ち着いた格好をした彼女に驚きつつも無言で席に着く。

 机の上に並んだ料理を見て、思わず箸を握った。走って腹も空いている。

 落ち着いているように見せかけても、唇の端を焦ったそうに噛む。それだけで虎斑には青年の心が丸分かりだ。


 自分の料理を楽しみにされて気分の悪いものもそういない。

 ニコニコ笑って尋也の正面で正座する。


「はい、いただきます」

「うぃっす。いただきます」


 器用に箸を操ってパクパク口に食事を放り込んでいくのを清々しい気持ちで見守り、自身も箸をパックの中で回す。

 糸をあっという間に増やしながら、今後の予定を告げる。


「ご飯食べたらお洗濯物をカゴに入れてね。一週間滞在の予定だから、洗濯物もしないと」

「コインランドリー?」

「そうだね。洗うのは明日でも構わないと思うけれど。それで、洗い物してから例の子の家に向かうから」

「わかりました」

「途中でお土産買っていこうか」

「うぃっす。んで、あの、全然関係のない話なんですが」

「なんだい?」


 促す虎斑の前で、急に歯切れ悪く「あー」だの「うー」だの唸る。

 だがやがて意を決したように口を開いた。


「昨晩、寝てる時にラップ音がしたんですよ。この家なんかいるんですかね……!?」

「それは虎斑のカスタネットだ」

「……」

「楽しんでくれたかな」

「……」

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