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死に至る病魔  作者: 室木 柴
クリア・シュガードール
1/7

プロローグ

 

 タマゴに生まれたかった。

 矢津 優唯は、ことあるごとにそう思う。聞いた人は眉を潜めるか馬鹿にするが、いわば暗示か口癖みたいなものだ。


 彼女は幼い頃の記憶がほとんど残っていない。三歳ほどまでの記憶がほとんど綺麗さっぱり無くなっているためだ。たったひとつだけ、覚えてはいるものはあるが、本当に些細な記憶。マザーグースの残酷な一片。


 別段他を覚えていなくても あまり不便を感じたことはない。

 日にちの感覚もなく、日が昇れば目覚め、日が暮れるまで遊び、日が落ちれば眠る。

 それが当たり前の生活を送る年頃。問題はない。あえてある問題といえば、事故で亡くなったという両親を思い出せないことだろうか。


 だから矢津には、素直に『まさしく』と思える両親がいない。兄弟もいない。親戚に引き取られたものの、結局『家族』にはなれなかった。


 十五歳になった現在では、余所の田舎町へ追いやられ、一人暮らし状態。毎月生活費を貰えるため、やはり不便はない。

だがふっと胸が塞がるような苦しみを覚える。虚しさ、寂しさ。冷気とは違う寒さ。


 でも大丈夫。なぜなら寂しさを感じても、長く続かないから。

 矢津には友達がいる。ずっと昔から一緒で、矢津にとっては自分のような暗い人間とも優しく接してくれる、大切な大切な友達。


「ねえ君、本当にそう思っている?」


 そう信じていた存在が、首を傾げて尋ねかけてきた時。彼女の中心のあたりが ぐらりと揺れた。

 今まで『正しいか』なんて問いかけられたことはなかったのに。疑い、悲しみ―憐みと軽蔑。『友達』から―家族や人からはともかく、『友達』から。自分が恐れているそれを向けられるのは、初めてだった。


「思ってるよ。どうして、そんなことを聞くの?」


 一拍おいて吐き出した問い返しは、酷く震えている。太もものうえで両の拳をぎゅっとにぎりしめ、追い詰められた子猫みたいに。

 それほど、彼女にとって『友達』の問いは異常だったのだ。

 潤んだ瞳は怯えていたが、同時に威嚇とも取れる鋭いものが瞳の端にちらついた。


 少女のあまりに短い牙に気が付いた青年は、そっとため息を吐く。黒い服を着た若い男。見た目は、丸い大きな目も相まって、いかにもお人好しといった風。

 そのせいで、腰に巻いたホルダー付きのベルト――そこには、20センチメートルほどの長さの、恐らく警棒――が目立つ。だのに、全体としてみると何故かしっくりと収まっていた。


 もっとも、いる場所がありふれたアパートの一室で、しかも女子高生しか住んでいない一室に似つかわしくない存在だ。加えて日本であるのにも関わらず室内でブーツを履いている。


 けれども矢津にとってはいつものことだ。気にすることではない。

 恐らく元は警官か警備員だったのだろうな、と矢津は漠然と予想した。

 彼は困ったように頬をかき、やがて膝をおって目線を合わせる。

 正面からみた彼の瞳は、恐れを知らぬ少年のごとく純粋に輝いていた。


「安心していいよ、矢津 優唯ちゃん。ぼくは君の味方。まだ友達ではないけれどね」


 安堵させるために微笑んだのだろうが、それは矢津の強い不安を確信に変えた。

 彼女の脳裏に、幼い頃の思い出が蘇る。


――ああ、タマゴのほうがよっぽどマシだ。



 唯一の記憶。

 ピンク色のシフォンスカートだけが映る光景。着用している母らしき女性の、暖かくも滑らかな膝の上。矢津はうつらうつらと船をこぐ頭を乗せ、必死に母に話しかけていた。


「まま、なんのごほんをよんでるの?」

「マザーグースよ」


 声も思い出せないけれど、確かに母はそういった。そよぐ風を思わせる声音が、大好きだったはずなのに。


「まざーぐーす?」

「そう。海の向こうにあるお国のお話。あっちじゃ子どもに聞かせるものだけど…あなたには、どうかしらね」


 今から思えば、苦笑したのだろう。後から気になって自分で調べたが、本当に子供向けか首を傾げてしまった。それとも自分のおつむが弱いのか。


「んー、よくわかんない」


 ましてや文字を読むにも呆然とする幼女では、つまらなそうに唇を尖らせるのも当然。


「ふふ、そうね」

「ながいお話?」

「いいえ、短いお歌よ。ハンプティ・ダンプティが塀に座った…」



「《ハンプティ・ダンプティが塀に座った

ハンプティ・ダンプティが落っこちた

80人の男にさらに80人が加わっても

ハンプティ・ダンプティをもといたところに戻せなかった》」

「え?」


 彼はただでさえ丸い目を更に円く見開く。


「ハンプティ・ダンプティ。マザーグースよ」


 初めて聞いた時は、なんて醜い卵だろうと思ったものだ。

 支離滅裂に語り、勝手に落ちて。色んな人を困らせて、皆頑張っているのに戻ってくれない。どうも救いようがない、そのくせ『喜劇』とも見えるのに理不尽に腹を立てた。


 だが、どうだろう。今の自分、矢津 優唯は。

 臆病者。愚か。弱くてワガママ。彼女は自らをそう思う。歪に形作ったまま、放りっぱなし。これが醜くなくてなんだというのか。

出来損ないは、ばらばらに割れた卵よりみっともない。


 矢津 優唯は、出来損ないだ。


「ごめんなさい、」


 謝罪だけをいっても意味がわからないだろう。どうにか適切な単語を探すも、どれも不適当。違うの、こんなあたしで、間違えた、わざとじゃない、あたしは。


――ほら、みろ。ハンプティ・ダンプティより、ずっと意味不明。


 両手の指を組み、人差し指同士をくるくると絡ませる。視線は逸れて床の上を彷徨う。

 床にはピンク色でふわふわのカーペット。掃除機をかけたばかりで、ゴミひとつない。

 口をもごもごと動かし、先ほどまでの威勢はどこへやら。


「うーん、どうしたものか」

「ごめんなさい」

「謝らないでよー」


 片手で矢津の頬に柔らかく指を添え、そっと持ち上げる。強制された感覚もなく面があがった。幼稚園児に言い聞かせる教師みたいだな、とどこか呑気な心が思う。


 視界に戻ってきた顔は、またも笑顔。しかし、眉がハの字になっている。

 ただの微笑みよりも、よほど彼らしい。見る人を和ませる茶目っ気のある表情だった。


「ぼくの名前は、赤羽ナツキ。警官……だった、二週間前まで」

「その、知ってるかもだけど、あたしは矢津 優唯。学生」


 互いに挨拶を述べた彼らは知らない。

 青年の出現が意味するものを。

 矢津 優唯は気づかなかった、今までとの『友達』との違いに。

 赤羽ナツキはわからなかった、この現状の正確な原因を。


――この世界に存在する『天使』を彼らは正しく理解していなかった。


 天使。人間の前に突如として現れる不可思議な存在。

 自分が現れた場所にいた人間を親とし、成長する。

 だがそれは、怪物ではなく。人間にとても近く、どうにでもなれる生き物。


 二人はそれを知らない。



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