8. 隧道、復讐
僕はトンネルの中を歩いていた。音はなく、頭上からは凍るように冷たい水滴が針のように落ちてくる。ここはどこだ。一瞬、僕はそう思った。しかしすぐに気が付いた。そうだ、ここは僕の世界だ。僕の造りだした辺鄙な土地だ。現実とは切り離された理想郷に、僕はいるのだ。
僕はその何もない隧道の中を、無心になって歩いてみることにした。何でもいいからとりあえず僕は動いてみようと考えたのだ。
水滴がうなじに刺さるのを感じながら、僕は進んでいった。水滴が当たるたび、僕の心はだんだんと重くなっていった。それは不安の雨だった。豆粒のような液体が、何十倍もの大きさをもつ僕の身体を壊しているのだ。ああ、なんて頼りないのだろう。僕はさらに気分が沈んだ。
生暖かい風が後ろから吹いてくる。風が吹くということはこのトンネルにも入口や出口があるということだ。僕は少し希望を持って進んだ。歩幅は決して大きいものではなかったが、確実に僕は進んでいる。せっかちになる必要はないのだ。
ぱりん、と突然何かが割れる音がした。ガラスの破片が粉々になったような、脆い音だ。僕は驚いて足元に目をやった。しかしトンネルの中は暗いので、何を踏んだのかよく分からない。歯がゆい気持ちになって、僕はその場を通り過ぎようかと思った。しかしやはり気になって、僕は破片を右手で拾い上げてみることにした。地面に置かれた破片はいくつもあった。なぜか破片の周りには少々の硬さを持ったヘドロが溜まりをつくっていた。ヘドロはどろどろとしていて、触っただけでも気分が悪くなりそうだった。僕は悪態をつきそうになりながら、破片を手に取った。
触った感触では破片はやはりガラスのような材質だった。僕はそれを目の前に近づけてみた。しかしこんな場所では遠くから見ようと、眼前でみようと同じだった。僕は落胆した。しかし僕は諦めきれず、破片を持ったままゆっくり腰を下ろした。そして、自分の前に広がっているはずのヘドロを少量掴んだ。穢れて汚れの塊となったヘドロはこの真っ暗なトンネルとは相性が合うように思えた。僕は掴んだヘドロでしばらく暇つぶしをしてから、端無くもこの物体が自分の旅において何か重要な意味を持っているように思えてきた。それは徐々にそういう感情になったともいえるし、突如そうなったともいえた。どちらにせよヘドロを掴んだことによって僕の頭の中で微かにうごめくものが出てきた。僕はそのうごめくものに手を伸ばして捕まえてみることにした。顕微鏡を使ってその生き物をステージに置き、じっくりと観察する。結果はすぐに出た。途切れていた記憶がもう一つの結合部分と繋がった。そうか。そういうことだったのか。僕は光線が通り抜けたような閃きを感じた。
トンネルに置かれた、破片とヘドロ。これは僕が意識の底で破壊したあの「闇」の残骸だった。僕が公園のベンチに座っているときに行われた、あの太陽と闇の対決だ。あの時敗北した闇がいまここにあるのだ。僕は全身に鳥肌が立つのを感じた。死んだはずの闇が僕に復讐するために追いかけてきたような気がしたからだ。奴は僕を前にして喜んでいるようだった。だがそれは僕の期待していたことではない。奴が浮かべる笑みは不敵な笑みだ。勝負には負けたのに、奴は心を満足させて帰ってきたのだ。
僕は気が動転して倒れそうになった。なんとか体のバランスを保とうとする。体勢を立て直すと僕は立ち上がり、その場から逃げ出した。公園のベンチでのんびりくつろいでいた、あの時の自分を苦々しく思った。