第1話 プロローグ 1、東京へ幾三 その1
一、東京へ幾三
それぞれに違うとは思うが、人というものは、心のヒダを掻き分け掻き分け、ずっと奥深く分け入った、その秘めたる某所に、それぞれに独特の『原風景』というものを持っているもののようである。その風景は、ふんわりと心を包んでくれる柔らかいものなのだろうか、情緒たっぷりの趣のある風景だったりもするのだろうか。
陽光の下、明るい光りの傍らには、必ず影が存在する。人が生きることは、それと同じように、幸福の裏側に漆黒の闇が見え隠れしているのかも知れない。
心に影が差す時、凍りつきそうな時、体の細胞が堅くなってしまった時、その風景は、優しい母の胸に抱かれるように、柔らかく暖かい光りが射しこむように、身体や心を解してくれるようなものなのだろうか。
人は、それぞれに『彩』の違う、心の残像を持っているのだろう。
それとも、心に綴られた記憶のページ毎に、何気なく、お気に入りの『栞』が挟み込まれていることを知っている人達は、特別な人達なのであろうか。
数多くの人達の中には、そういった心に残る『原風景』の彩が薄かったり、消え去ったりしてしまった人達もいるのかも知れない。もしそうであるならば、心の中に、何らかの確かな情景を持っている人達は、人生の闇に光りや風情を感じられるだけ、幸運と言えるのかも知れない。と、幾三は考えていた。
ー俺の場合は、目に沁みていくような薄青の大海原や、爽快な空の紺碧を背景に、新緑の大草原が清風に撫でられ、そよそよと波紋が広がり続けるような情景を見ることが多い。そんな風景の中に、悲喜こもごもの様々な思いが、浅く深く残り続けている。
灼熱の太陽の下、肌に纏わりついてくるような潮風や、鼻をツンッと刺す若葉の匂い、野趣感たっぷりに心がほっこりとする穏やかなもの。或いは、数十年の時を隔てても、少年期の穢れなき、極めて危険だったかも知れない悪戯を思い起こすと、未だに背中にじっとりと冷や汗が滲み出す、『命有ってのものだね的』恐怖の情景等々・・・。その中で、何よりも鮮やかに残り続けるもの。それは、幸福そうな母の笑顔、何かを忍んでいるような横顔、そして、強気の割りに、何故かいつも淋しそうだった親父の背中とか色々・・・。
振り返れば、心を流離う情景や残像は山ほど有る。それはそれで幸運なことかも知れないなあ。
どんなに悲しかったことも、どんなに嬉しかったことも、こよなく幸福だったことも、すべては光陰の如きひとつの場面、過ぎ去りし時の、こよなき愛しき残像、それは人それぞれの思いの中・・・。
楽しかったことや優しかった思い出だけを、鮮明に心に描いて歩いていければどんなに幸福なことだろう。現実を生きていくことは、確かに過酷なこともあるようだ。心が泥に塗れてしまうこともあるだろう。二度と立ち直れないような、深い悲しみに沈むこともあるかも知れない。そんな時には、明日のことなど考えたくもないだろうし、憧憬の眼差しで見ることなど出来ないに違いない。
人生は、幸福な時間だけを感じて生きつづけることは不可能なのであろう。いつの日か、人は、必ず、誰でもが深い悲しみに沈む。『会うは別れの始め・・・』である。どんなにかけがえがなく、どんなに愛するもの達も、行く年生けるもの、そのすべてに命が有り、すべてに、それぞれの限りがあり、別離がある。
そうであるならば、どんなにつらく悲しい場面が心に突き刺さったまま離れなくとも、鼻や耳を触ると、心のスイッチが一瞬にして切り替わって、幸せな情景や思い出が、現実として心に思い描けるようになれれば、どんなに素晴らしく幸福であろう。『原風景』という、情景や輪郭がぼやけた曖昧なものではなく、目を閉じれば、こよなくかけがえのない愛するもの達の声が聞こえ、触れ合うことが出来る。過ぎ去りし優しかった過去の光景が、ありありと現実として目前に広がる。柔らかく優しい幸福な情景が、肌で現実として感じられる。そういったことが出来たら、どんなに幸福だろう。実際に出来るようになればいいなあ! と、幾三はつくづくと思っているのであった。
源五郎丸幾三、齢三十八。本社へ転勤する当日の早朝のことであった。
常日頃は、能天気に、ほとんど物を考えない男が、自発的かつ意識的に自分の心模様の中に浸りきり、珍しくも脳細胞のシナプスが活発に蠢き、その奥のニューロン系の深い所が明滅を繰り返して、何故か物思いに耽っているふうであった。新生活の始点だというのに、軽い興奮状態もなく、心が弾けているようにも見えず、あくまでも物思いに耽るレベルではあったが・・・。
本社は、東京駅から近いので、タクシーで行こうとしていた。少し、窓を開け、鼻の穴を大きく開いて、大都会の空気を意識して吸ってみた。だが、鼻腔の手前に設置されたチリや埃の進入を防ぐための鼻毛フィルターが、一気に目詰まりを起こし、粘膜をくすぐる感覚が発生して、くしゃみが出た。久し振りに空気がマズイと思った。
いつもは何気なくさりげなく心地よく、頬を撫でていってくれる爽やかなそよ風も、大都会のどこか油脂にまみれたニオイのする風は、赤の他人から勝手に頬を撫で摩っていかれることにも似た、不自然な違和感を覚えた。
排気ガス等の『煙霧類濃度』が異常に高いように感じ、咽喉辺りを空気が通り抜けるたびに、ミクロの異物が、気持ち悪く口から肺辺りまで一気に沁み渡ってゆくような、少々息苦しい気がした。
ー煙草を吸うより、よっぽど身体に悪いかもしれないな。と、思った。だが、裏を返せば、如何に自分が対応力のない、ただの田舎者であるかを、思い知るような気がしないでもなかった。
ーそれにしても、東京はどでかいなあ! 俺も、いずれこの空気にも慣れ、都会人らしくなってゆく日が訪れるのだろうか。
車がせわしなく走る道路と、人がいそがしく急ぎ足で歩く歩道に、境界線を引くように、きっちり成型された敷石が見栄え良く並べられ、その中に、僅かな盛り土が在り、銀杏やプラタナスや花みずき等々の木立が立ち並んでいる。緑と言う素晴らしい自然の宝は、コンクリートジャングルの無機質な空間に、人の目を癒し、生命の息吹を感じさせ、町の景観を向上させる役割を、見事なまでに果たしているようである。女性の繊細な美しい肌や、絶妙なコスチュームや、店先の色鮮やかなディスプレー等々を紫外線から守り、町並みを歩く人達を、暴風や砂塵や車から護る楯となり、誰からも褒められることもなく、さりげなく役に立っているに違いなかった。
源五郎丸幾三は、長崎県の九十九島近隣の、海と山のある風光明媚な片田舎に育った。その所為かどうか真意は定かではないが、自然と言うものは人にとって、最高の親友であろうという持論を持つほどの自然派というか、いわゆる田舎者と言うか、それはどちらでもいいが、多少の野性味が見え隠れする朴訥とした無骨漢であった。だが、根っこの所は、優しく情に厚い男であった。
都会に在る樹木は、大自然の中で、風雪や豪雨や鳥や虫や動物達と戯れ、伸び伸びと骨太に育つ田舎の木々に比べると、コンクリートやアスファルトの狭間で、窮屈そうに細い根を張り、もやしっ子が精一杯枝葉を伸ばして頑張っているように見えた。そんな健気な姿を見ると、何故か、少々切なさに似た感傷が湧き出してくるような気がした。
ーそれにしても、俺と言えば、田舎のオゾンたっぷりの美味い空気を思いっきり吸って、美味い米をたらふく食って、新鮮な野菜や魚も、腹いっぱい食べさせてもらって育ってきた。海草や魚介類なんかも思いっきり食べさせてもらったお蔭で、腕や足や眉毛や髪の毛とか、いわゆる『毛』と言う類の物は『剛毛』と言えるほど、ヘヤードライヤーを片手に、日々格闘を繰り返すくらいにふさふさと生えてはいる。ちょっと小太りで横幅もあり、人様から良い男と言われたりすることはないが、たま〜に「個性的なお顔ですね」とか「一度見たら、しっかり印象に残るお顔ですね」と、言われたりしたこともあった。というのに、身長はギリギリ百七十センチって!? 自己診断ではあるが、とりあえず人様に笑われるような顔ではなく、目鼻立ちのしっかりした、覚えられやすい程度の顔をしているに違いない。だが、どうも身長だけは、すくすくと育ったとは言えなかったかも知れなかった。何故なら、兄達や弟も百八十センチは悠々と超しているというのにであった。その間に挟まれた俺だけがなぜに? ・・・!
思えば、高校一年生の秋の大運動会の頃に、一番下の二歳違いの弟から背丈を抜かれそうになった際などは、血相を変えて自転車屋さんに行って、タイヤのチューブを五、六本貰ってきて、それを柱にくくり付け、足をゴムの力に頼って伸ばそうとして、約一ヶ月くらい『身長、特に足伸ばし月間』と、自分で勝手にキャンペーンを敢行したことがあった。連日、努力に努力を重ね、一日平均最低二時間くらいは足を引っ張りまくったが、弟に「兄ちゃん、なんばしよっと? 」と、言われたりして「ん? 足の筋トレ」と誤魔化したつもりであったが、その後、弟が興味津々の表情で、毎日ウロウロと観察するような仕草を見せ、顔を合わすたびに、微妙に目だけで笑うような、奇妙な含み笑いのような仕草を見せ続けたために、弟の後頭部を一発平手で張り倒してやめた。そのあと、ドキドキしながら、学校の保健室の身長計で一ヶ月の成果を測りに言った。だが、必死の努力の甲斐なく、百七十センチあったはずの身長が、何度測りなおしても、なんと百六十九センチに縮んでいて、暫くの間、溜息まじりに相当落ち込んでいたことを思い出していた。その後、高校三年の身体検査の際に、百七十センチに戻った時などには、うら若き女性であった保険の先生の背後で、思いっきりガッツポーズを決めていて、「なんばしよらすと? 」とか言われ、女先生は、それ以上は何を突っ込むこともなく、淡々と「はい、次の人」と、言っていた。それなのに幾三は『一人勘違い』をして、真っ赤な日本猿のような顔になって、壁に向かって、平仮名の『の』の字かなんかを、何度も何度も繰り返して、人差し指でなぞりながら、こよなく恥ずかしい思いをしていたりもした。友達に「おまえ、そげなとこで、なんばしよっと? 」と、驚いたような顔で言われて、我に返ったりしたが、その後、暫くの間、クラスメートから「あいつ、ちょっとおかしかぞ」とか言われたりもした。
小さな頃に、兄達としょっちゅう相撲遊びをしていて、いつも頭から突っ込む『突貫小僧』だったから、骨が微妙に縮んだのか? そのせいか? と、確か大学一年生辺りの時期に、暇に任せて本気で悩んだことも有ったような気がした。
そんな俺に比べれば、都会の木々は栄養分も少なく、大きなキリンが幼児用の小さな丸椅子に座らされているような、せまっくるしい窮屈な狭間で、文句一つ言わず、黙々と上に上に伸びようとしている。本当に偉いなあ! と、思っていたりもした。
ー田舎を離れた郷愁? こんなに繊細な情緒的感性が有った? まさか、この俺の中に? 洒落にならないなあ。と、自分で自分を笑いそうになった。 (東京に幾三、その二に続く)