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ともあれ相手が何を怒っているのかは理解した。別に悪意を持って殴りつけてきたわけではないことも。
「分った。次からは気をつけるから。じゃ」
哲平はおもむろに立ち上がって歩き出した。深く関わらない方がいい。理性と本能と経験とがそう告げていた。
どういう素性の持ち主なのかは知らないが、どうやら「漢の世界」的なものにひどく偏った印象と憧れを抱いているようだ。
それだけなら別に個人の趣味というもので、大した害もないだろうが、思いが昂じるあまりに女子の身で男子校に入学しようなどというのは立派な埒外人物である。
そのうえ色々な意味で超実力者である直巳の全面的バックアップを得ているとあっては、これはもう古来からの格言に従うに如くはない。即ち、君子危うきに近寄らず。
「あ、逃げた」
先を急ぐ哲平をしかし二人は追ってくる。周りの男連中から突き刺さる視線が痛い。
耐えろ。他人に徹するんだ。たとえ少しばかり、いやかなり、いやいやとてつもなく可愛いかったとしても、平穏な学園生活を送りたいのなら振り向いてはいけない。
「ノリが悪いだけじゃなくて、男らしくもないんだ。つまんないひと」
不平そうな声が背中を叩く。それがまた哲平の心のやわらかい部分をくすぐった。
鈴を振ったような可憐な声音、というわけではない。むしろ元気な男の子みたいな、芯が強くて尖ったところがあったりするのが、かえってミサトの素直な気持ちを伝えてくるかのようだ。
──もっと仲良くしたいのに、と。
「実は男じゃないんじゃないの?」
「その通りよ、ミサト」
ミサトの文句に合わせて、直巳がとんでもないことを言い始める。
「さすがに慧眼ね。哲平は男じゃない……少なくとも、男と呼べるほどのものは持っていないわ。あんなもの、あってもなくても大して変わらない。そうね、いっそ取ってしまいましょうか。その方がすっきりしていいもの」
哲平の金玉は文字通りに縮み上がった。直巳は冗談は言わない女だ。そしてその気になればたいていのことは実行可能である。
法的にはともかく、実質的に哲平の一家は白瀬家の所有下にある。もしも直己が強く要求すれば、哲平の両親はきっと断らない。保護者の承認が必要な感じの手術だってアリだ。
……というか、俺のはそんなに貧弱なんだろうか。いくら直己が知ってるのが、中学校に上がる前までのものとはいえ。
「それじゃあ、鉄板は女の子なのに学ラン着てるんだね」
少女、ミサトはなぜだか嬉しそうに言った。
「ぼくと反対だ」