表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ハピネス

作者: ネギリョウ

初小説です! よろしくお願いします

あれだね 子供は同じ絵本をよくもまぁ飽きもせずに何回も、読んで読んでと親にせがむよね。 うん えっ 私は誰かって?

私はそんな何度も読まれた絵本の案内人って所かな。 そんな私はとてもお喋りでね、いつも周りには「こんなお喋りなやつが絵本の関係者とは信じられん、お前は哲学書か自己啓発本らへんが相応しい」なんて言われていて、それはそれで光栄だがね。 すまない、こんな感じに毎回話がそれちまうんだよ。

つまりだね、最初に言っておきたいのは私の知ってる絵本というのが「ポピュラー」ではないってことなんだ。 まぁ 世界には有名な絵本ほど、よく読まれてるよね。 けど、どんなに有名な絵本でも一人が読む回数はそんなに多くないさ。 いずれ大人になって、いわゆる「次の世代」ってやつに。

ごめん 今の所もっかいやらせて頂きたい。

いわゆる「ネクスト ジェネレーション」ってやつに受け継がれて読まれて行くってだけさ。 いやぁ 私はたまにかっこいい言葉に憧れてしまって。 これも私が絵本にむいて無い理由の一つだね。 ってなわけで私が案内してる、というかお勧めしてると言っても良いね。 その絵本は十年に一人とか百年に一人の感じで読まれている、絵本なんだ。 とにかくまぁ 読んだ人はよく読むねぇ。 面白い話、食事中や入浴中なんて話じゃなく、そうだね、飛行機から落下傘で落ちてる間とか、強盗が家にいるのに、ベッドの下に隠れて読んだりとかそんな感じでだよ、笑っちゃうだろ。

つまり、何て言うか悪い言い方だと呪い的な、あぁ うそうそ、今の無し。 えーとそうだな中毒、いやダメだ、無し。

もっとソフトな表現は、うーん、あれだ。 私の案内してる絵本を読んだ人はものすっごくそれにハマっちゃったんだね。

よし、といことで前口上はこれぐらいで、もしかしたら絵本の進行具合によってはまた私の登場があるかも知れないな。

ふふふ 大丈夫、その時にこんなお喋りに付き合えないと思ったら、遠慮無くページをめくってくれていい。 その時の君はもう立派な読者だよ。 読者ってのは無敵って意味さ。 では最後に、毎回言ってる文句があるんで一つ。


「あなたの一冊になって共に歩めることが私の何よりの幸福であります、読者様にも幸せがありますように」


あっ ちなみにこの言葉に信仰的な意味合いは無いから。 ささやかな願いということで一つ。


「歯のチェックよ、来て」

母はプレゼントを枕の下に隠して娘を呼んだ。 誕生日の最大の笑顔を待ちきれず、母は口元を緩めてベッドで娘を待った。 間髪いれず「はーい」と甲高く伸びた返事が返ってくる。 まだまだ素直な年齢だ。 白いパジャマを着た娘が母の腰に飛びついた。

「はい あーん 右上げて、左上げて、右下げて、左下げて、覗き込んだら」

母は娘の唇を親指で伸ばしたり、引っ張ったりして歯を見た。 娘はうふうふと笑ってくすぐったそうにする。

「バッチリね、どうしたの、一つ大きくなった成果がもう現れたわね」

「えー じゃあ今日は仕上げの歯磨き無しなの」

娘は手に持った歯ブラシを母の前に出して言った。

「あら、準備してきた割には嬉しそうね、せっかくだからやりましょうか」

「うそうそ、置いて来る」

娘は慌てて母の腕から抜け出し、早足で部屋を出た。

「ちゃんとドアを閉めてきてね」

母は枕の下に隠したプレゼントを、今度は背中に隠した。 きちんとドアを閉めて娘が戻ってきた。 娘は夕食の時にプレゼントのことを聞いていたのでその目は爛々と輝いている。 歯磨きにもその気合いが現れていたのだろう。

「じゃあリコ、そんなに高いモノも買えないし、貴方には本当に欲しいモノがあったかも知れないけど」

母は背中からプレゼントの袋をゆっくりとリコの前に出した。 母が夜寝る前までプレゼントを渡さなかった理由の一つは不安だったからというのと、もう一つ。 プレゼントのモノに関係していた。

リコは興奮の度合いを瞼の開きによって表した。 白目も黒目も丸くなるほど瞼を開きプレゼントに手を伸ばした。 興奮はついに口からも出た。

「わぁ 綺麗、それにリボンもたくさん」

リコはプレゼントの包装の裏と表を交互に見た。 赤い色の紙に包まれ金色のリボンが見栄えの為だけに巻かれている。 本来テープで留められるはず部分にそれは無く、包装は紙を巻いてリボンで固定されているだけだった。 母はこれを見た時に思ったのだった。 きっとリコは包装の紙を綺麗に剥がして、捨てないでとっておくだろうと、でもテープが貼られた場所は上手く剥がせず、良くて白く剥げ悪ければ破れてしまう。 そんな破れた包装紙一枚で娘の最高の一日に汚れを付けるのは許せなかった。

リコは母に開けても良いか聞こうとした時に気づいた。

「 ママ、先に開けちゃったの? 紙が留められて無いよ」

リコはびっくりして、言葉の最後は怒ったようになった。

母は想定していたのだろう。 ゆっくりと訳を話し出した。 すると理解するにつれ、リコの顔はみるみる笑顔になった。

「すごい、ママは天才だよ。私のこと何でもわかっちゃうんだ」

母は満足したが内面、不安はまだ残されていた。 まだプレゼントの中身をリコは見ていない、今思うと包装紙の演出はただのハードル上げではないか。母は自分の不安をごまかす様にリコを促した。

「ほら、開けて見なさい、金色のリボンより良いモノだと良いんだけど」

リコは「うん」と返事をすると重なった紙を開いていった。 ベッドにプレゼントを置いて一枚ずつ丁寧に。 赤い紙が全て裏返されて、白色の裏地の真ん中にプレゼントが現れると、リコはゆっくりと手に取った。

「新しい絵本だ!それに見たこと無いよ、この絵本」

リコは表紙をじっと見つめた。 母には絵本でリコの顔が隠れたので、表情の変化がわからなかった。 母はそっと絵本を傾けてリコの顔を上から見ようとしたが、リコは俯いていた。 母は焦った。

「リコ、どうかな。 面白そうじゃない?」母は声高に聞いた。 実際に質問していて、母は自分が面白そうでこの絵本を選んではいないのがとても恥ずかしかった。

結局、本屋に置いてあった強く宣伝されている高価な絵本には手が出せ無かった。 かと言って手を抜いた訳でも無かった。 母は数日に渡って古本屋を回り、話題になった絵本や流行になっている物を探したが、無く。

諦めかけた時に古本屋の主人に声をかけられ、今リコが手にしている絵本を購入したのだった。 リコの母は正直者で優しい性格だったが、優柔不断で押しに弱かった。 絵本は売り付けられたのだった。 俯いている娘を見て母は思った。

明日はリコを連れて買い物に出かけ、欲しいモノを買ってやろう、お金何てどうにかできる、というかどうにかするべきだった、昼食代に交通費、削ろうと思えば削れたのだ。

母は後悔しながらリコに話し掛けようとした、すると視界いっぱいにリコの笑顔が近づいた。

「素敵な絵!なんておっきな木、それにとてもおっきな絵本ね、本棚に入るかな」

母は微笑んだ。 だがリコはその笑顔が気にかかった。 リコが不注意で何かを壊したり、汚してしまった時に母は謝るリコに対して、優しかった。しかし「気をつけてね」と言って微笑む時に、リコは思った。その顔は嫌い、と。今の母の笑顔はそれと似ていた。

しかし今日のリコは誕生日の嬉しさで、そんなことは忘れて、すでにベッドに入っている母を跨いで、電気スタンド側に回った。

大きな電気スタンドは本を読むには十分なほど明るかった。

「リコも、もう少ししたら字の勉強ができるようになるね」

母はリコの額にキスをするとリコの枕と首の間に出来たトンネルに腕を通した。

「私もう、いっぱい言葉知ってるよ。 学校って所はいつになったら行けるの?」

「そうね あと二回、誕生日が来たら行けるようになるよ、リコは学校は何をする場所かわかる?」

母は絵本の表紙を見ながら聞いた。 目の付く所に汚れが無いか調べながら横目でリコを見ると、リコは、「んとね、んとね」と呟きながら瞼が閉じるのを我慢していた。 母はゆっくりリコを抱き寄せると、自分の心音をリコに聞かせる様に頭を胸にくっつけた。 そのまま手に持った絵本をスタンドの台に置いた。

母はリコが眠るのを確認するとベッドから出ようとする。 まずは足から出して次に上半身。 難しいのが絵本を読もうとしてリコの首に回した腕だ。 空いた腕で体重を支えてゆっくりとリコの頭と枕の間にできたトンネルから自分の腕を抜く。

上手くベッドから起き出た母は息を吐いた。 スタンドの電気を消して部屋を出る。 母は思った。 あの絵本で良かったのかも知れない。 たとえ絵本を読んだ時にリコがつまらないと言っても、それはまた明日の話だ、それに絵本以外でリコを喜ばす方法何ていくらでもある。でも私は何でこんなにも不安だったのだろう、と

母は内職のボタン付けの準備をしながら考えた。 リコを信じられずにいた自分を考え、リコの笑顔を見た時に感じた安堵感を思い出した。 母があの時感じた思いは二つだった。 一つはリコが笑顔になって絵本を気に入ってくれたこと。 もう一つは。

母は舌打ちをした、ボタンを付けていて針で親指を刺していた。 痛みが指に集まるのを感じる。 ドーム状に血が膨らむのを眺めてから母は親指を口に入れて舌で傷口を塞いだ。

母の目から一粒の涙が頬を滑った。 嗚咽が込み上げる。

母が安堵したもう一つの理由は自分自信に対してだ。

母は娘のリコを第一に考えてるつもりだと思っていてもそれは間違いだと思い知らされた。安物の絵本を売り付けられたと、自分に言い訳しながらびくびくと娘の態度に怯え、誕生日に娘の一人すら喜ばすことのできない自分に怯えていた。

結局最後は、娘に助けられて、安いプレゼント代で自分の生活が守られたことが嬉しかったのだ。安堵の微笑みを見せた時に母はきっとその微笑みは醜かったに違いないと思った。

涙が止まらなくなった。 親指からは血の味はとっくにしなくなっていたが、口から離せなかった。

母は外が明るくなり、鳥の鳴き声が聞こえると椅子から立ち上がった。 未だに自分の中の弱さに決着をつけてはいなかったが一晩考えた結果、まずはリコに絵本を読んでやることから始めようという結論にいたった。

母がやかんを火にかけ、顔を洗って戻るとリコが昨日プレゼントした絵本を抱きしめテーブルに座っていた。

「すっごく楽しかったのに眠っちゃったね」 リコは母の顔を見て瞼を擦りながら言った。

「なんかママ、顔怖い。 目の下黒くなってるよ」

母は慌てて言い訳を考える。 やかんから煙りが出て高音が鳴った。 蒸気の勢いがますに連れ高音はさらに音階が上がる様だった。

「おはようリコ。あのね、大人になると疲れた時に目の下が黒くなる時があるの。でもね、これは病気とかじゃないからすぐ治るのよ。 リコも口の中におできができると痛いでしょ、でも気づいたら痛くなくなってる、それと同じよ」 リコは「ふーん」と言うとそれきり、ミルクをコップに注ぐことに関心が行った。二つのコップにミルクを注ぐとリコは母に言った。

「今日はお留守番?それともジルおばさんの家?」

リコは自分のコップを持ちながら母に聞いた。 リコはどっちでも良かった、留守番だろうとおばさん家だろうと、どっちにしてもお昼には母が一度様子を見に来るし、お昼を食べたらお昼寝をして少ししたら母は仕事から帰って来るからだ。 リコと母が離れる時間は長くなかった。

「今日はおばさん家よ、お昼ご飯には帰るから三人で食べましょう」

パンとスプーンが乗った皿がリコの前に置かれる。スプーンにはイチゴのジャムが乗せられていた。

母はミルクを飲むと台所で歯を磨きだした。椅子の上に置いてある絵本を見ると言った。

「おばさん家に絵本を持って行って良いよ」

リコは「ううん」と言うとニコニコしながらパンを飲み込んだ。


「一番最初はママに読んでもらいたいから、我慢して待ってる」

母は自分の中で渦巻く感情が、雲間から射す日の光りに照らされる様に晴れる思いだった。 自分の存在が如何に小さく、それでいて問題は些細なことなんだと思った。

母は必ず今日仕事から帰ったら真っ先にリコに絵本を読もうと心に決めた。

「ありがとう」

母はリコの頬に手をあてそういった。

起きぬけのリコの頬は冷たかったが、母は心地良かった。 口元のパン屑を指で取り、頬にキスをした。

「じゃあ、行ってくるね。おばさんを困らせちゃダメよ。おばさんを喜ばせたらママは嬉しくて、きっとドーナツをお土産に買っちゃうかもね」

リコは驚き「本当!」と言うとおばさんの喜びそうな事は何だろうと真剣な表情で考えた。母は満足感に浸りつつ、出かける準備を整えた。

親子は同時に家を出る。絵本は椅子の上に置かれたまま。



街の影が深くなり、所々、街灯に明かりが灯りだす頃、親子が家に帰って来た。 リコの手にはドーナツの袋が握られている。 親子が住む街で一番安くて甘いお菓子がこのドーナツだった。 おばさんの家にリコを向かいに行った時、母は喜んだ。

迎えに行ったおばさんの家の玄関でのやり取りを思い出していた。

「リコちゃんがね、これを私にくれたんだよ」

そういっておばさんは手に持った紙を母に見せた。 そこにはリコが書いた花の絵と、三人の人が描かれていた。

「えーっとね、どれが私だっけ?リコちゃん」

母の足元にいたリコは母の持つ絵に指を突き上げて説明を始めた。

「真ん中がおばさんで、こっちが私。 それでこれがママ。 おばさんの周りにお花をいっぱい描いたの、お花いっぱいだとおばさん喜ぶかと思って」

母は笑った、元気に笑ったのでリコは気持ちが良くなって、おばさんに「どお?どお?」と聞いた。

「ええ、嬉しいわ。おばさんが花好きってよく知ってたね」

「だって、お家に飾るぐらいお花が好きなんでしょ?」

リコは母の手を握った。 母はおばさんに問題は無かったか聞いて、楽しかったと答えて貰うと、また元気に笑った。

おばさんと別れて少し歩いた所で母はリコに「決まりだ」と言った。

「これはもう、ドーナツ買うしかないわね」 リコは母の手を強く握りしめた。 笑顔で母を見上げた。

「私ね、あのね。 いっぱい考えたの、おばさんの喜ぶこと。 んでね、最初はお花摘みに行こうと思ったんだけど、一人では行けないから。おばさんに言ったら連れてってくれるけど、そしたらおばさん疲れちゃうでしょ。だからまた考えて、お花の絵を描くことにしたの」

母はリコが一生懸命に言葉を選びながら説明をしていると感じながら、リコに合わせてゆっくり相槌を打った。 本当に自分の子は頭が良いのだ、と思った。 親バカだとわかっていても、思ってしまう。 この子は天才で将来が楽しみでしょうがない。 母は口元の緩みが治まらなかった。 リコは母の口元を見て言った。

「ママも、ドーナツ楽しみなんだ!」

母はまた嬉しくなった。 帰り道を少し遠回りして、ドーナツ屋に寄ると当たりはだいぶ暗くなった。 家につくころには周りは真っ暗、アパートの光りだけが等間隔に灯っている。 ドーナツ屋では店主の長話に付き合わされ親子は空腹だった。 リコが上手に会話をするからドーナツ屋の主人は気分が良くなったのだ。 それでも主人はドーナツを二つもおまけしてくれたので、母は家に着いても頬はまだ緩みっぱなしだった。

「リコ、手を洗ってきなさい、ご飯は簡単に済ませて、ドーナツを食べながらテーブルで絵本を読みましょう」

リコはそれを聞くと身体が震えた、大好きなドーナツとプレゼントの絵本が両方なんて、リコには耐えきれない幸せが押し寄せるようだった。 飛び跳ねると手に持ったドーナツも飛び跳ねた。

「本当に!本当に!食べながら良いの?ドーナツ食べながらご本良いの?」

リコは母のスカートを掴んで離さない。 母はリコの顔を両手で挟むと額にキスをした。

「えぇ、本当よ。だから早く手を洗って、ママの手伝いをお願いね」

リコは母の足元を行ったり来たりしながら動き回った。 片手にはすでに絵本を抱えている。 台所とテーブルは近く、母なら二、三歩で往復できる距離だが、母もリコが近くにいるだけで満足だったのだ。

「リコ、ご本持ちながらじゃ危ないわ、テーブルに置いておきなさい」

母の優しい声にリコは頷いた。リコはテーブルの二つの椅子の前に食器を並べて、三つめの椅子の前に絵本を置いた。

「なんかご本が凄く軽くて、持ってるの忘れちゃった」

リコの頭の中はドーナツと絵本でいっぱいだった。どちらか一つでも嬉しいことなのにそれが両方一辺なんて初めての事だ。

食卓の真ん中には、ロウソクがある。母はマッチを擦るとロウソクに火をつけた。

マッチを冷蔵庫の上に置く。

リコがロウソクの火に顔を近づけたり遠ざけたりしていた。 母は椅子を引いてリコを座らせる。母がリコの髪を撫でると、リコは母を見つめた。食後の幸せを思い興奮してその目はロウソクの炎にも負けない程爛々と輝いている。 笑顔で見つめ合う親子の前でロウソクの火が揺らめいた。 ドアが乱暴に、ノックする音。 リコと母は同時にドアの方へ体を向けた。 母が返事をしようと声を出すと、それを遮る様に三度目のノックがする。 リコは怯えた。三度目のノックは暴力的で同時にリコが怖がる男の声がしたからだ。

「おい!俺だ。早く開けろよ、俺の大事な大事な……」

男の声は極端に抑揚があり、誰が聞いても酔っているとわかる。 男は胃が痙攣したのか唸った後に「俺の、俺の」と言葉を続けようとした。

母はリコの不安な顔を見つめてから、振り切る様に背を向けるとドアに向かい手を伸ばした。

リコは目の前のスープを見つめた。じっとしている我慢ができなかった。 これから母と二人で夕食を食べて、母と今日一日、どんなことがあったのか話して、そのあとは絵本とドーナツ。 リコはそれが壊れる予感がした。 スープからは湯気が上がっていて、具は多く無いが、良い臭いがしている。 リコはスープに鼻を近づけて目をつむり、スープの湯気と香りを吸い上げた。 息を吐き出すと同時に椅子から飛び降りる。 着地に失敗して膝を床に打ったが、母の後ろ姿に向かって走った。 思い切り母の尻に顔をぶつけるようにしてしがみついた。母はびっくりして可愛く「きゃ」と悲鳴をあげた。 しがみついたまま、リコは何も言わない。

「リコ、ごめんね、ごめんね」

四回目のノックがした。 母はリコを抱きしめ、耳元で謝る。 リコは口を強く結んで母の服をより一層強く掴んだ。

「何で、開けないんだ! いるんだろ、お前等が帰る所を俺は見てるんだよ」

母はリコにひたすら謝る。 その声は徐々に速度上げているようだった。 祈りのように感覚を空けずに「ごめんねごめんね」とリコの耳元で囁いた。 リコは自分が母を虐めている気がしてきた。 リコはただ母にドアを開けて欲しく無いのだ。 このまま何も無い様に母が「リコ、スプーンはあるの?」と質問して大丈夫だと返事をすると食事が始まる、そうなって欲しいだけだった。

リコは母の服を握る手の力を抜いた。母の声が消えて母はリコに再び背を向けドアを開けた。

男はよれたシャツを着ていて、荷物も無く、壁にもたれて立っていた。 口を開くと歯並びが悪く何本か抜けた口内が見える。 「俺が帰ったんだぞ?早く開けろよ」

男は母に肩をぶつけ、大股で部屋に入った。 母はよろめきながら男に言った。

「ちょっと、用事があるならここで聞くわ、何をしに来たの!」

母は力強く言っていたがそれは泣き声のように掠れている。

男は「あぁん?」と母へと言うとテーブルの周りを歩きながら、食卓のパンを掴んで、食いちぎって食べた。 少し噛んで手に持ったパンを母に向けて左右に振った。

「腹が減ったから」

男はそのままパンを食いながら冷蔵庫を開ける。 ミルクを見つけ瓶に口をつけて飲んだ。 母は男に近づいて空になった瓶を取り上げた。

「ねぇ、お金は無いし、私達も食事をしてないの、今はパンとスープしか無いからそれを食べたら帰ってちょうだい」

冷静にそう言う母に対して、男は手に残ったパンを一気に頬張ると母をじっと見つめながら咀嚼した。 部屋には男の漏らす息遣いと乱暴にパンを咀嚼する音しか無い。 リコも母も俯いて動かない。 男は咀嚼しながら「うーん、うーん」と唸り喉を大きく動かし、飲み込んだ。 するといきなり男は母の持っていたミルクの瓶をはたき落とした。 瓶は勢い良く床で弾けて割れた。 大きな音にリコと母は体を固くする。 母は目をつむっていた。「それが父親に対する態度か!なんだよ?金が無いから俺は家に帰っちゃダメか!」

男は怒鳴りつつ言葉の節目の度に母の肩を勢いよく押した。押される母は壁に叩き付けられた。

「ごめんなさい、そういう訳じゃ無いの!お願いリコの前でやめて下さい」

母は悲鳴の様に男に謝った、眼には涙が溜まっていて、男の些細な事でこぼれ落ちる。男は怯えきった母と、リコの二人を見つめる茫然とした姿を見ると舌打ちをしてから顔を歪めた。それは醜い笑顔だった。

「リコ、お父さんが絵本読んでやるよ。ほらこっち来いって」

男はリコに手招きをすると食卓に座った。相変わらず男の呂律は歪んでいて、いちいち言葉の語尾が上がった。リコは黙って男を睨む。その目は語っている。 悔しくて悔しくてしょうがないと。 あの男が食卓に座るのも悔しいし、絵本を触られたのも悔しい。しかしこの時リコが一番悔しかったのは、荒らされた夕飯でも、男に持たれた絵本でも無かった。 リコは目を疑ったであろう、その光景を。 母が男の隣に椅子を用意して座ったのだ。リコは今まで母と長く暮らす中で使われていない食卓の椅子がなぜ捨てられずに残されていたのか理解した。 いや正確には本当はわかっていたが信じられずにいたのだ。リコは毎回食事の時に自分の気持ちをごまかしていた。 昔は誰も座らない椅子にぬいぐるみを置いたりしたが、今は絵本を椅子の前に置いて、空想していた。

「ママ、そこは絵本の場所だよ、座っちゃダメだよ。絵本がかわいそうだよ」

リコの声は小さく、二人の大人には聞こえなかった。 男は母にリコを呼べと言って絵本を片手にスープを飲もうとさじをとる。 スープの湯気はすっかり無く、リコが嗅いだ臭いを最後に食卓から料理が放つ、香りや暖かさは無くなっていた。 それに気づいているのはリコだけだった。

「ほらリコ。お父さんにご飯食べられちゃうわよ。 こっちに来て一緒に食べましょう」

母は怯えながらも無理に笑いながらリコに手を差し延べた。 母の意識はリコに声をかけながらも隣でスープに顔を突っ込む様にして飲む男に向いていた。 母は不安だった。男はこの料理だけで満足してくれるだろうか、足りなくなったらどうしよう、と。 鍋のスープは残り少しだし、そもそも具が少ないと怒られるかもしれない。 今からじゃあ買い物がしたくともお店は閉まっている。

母はそわそわとし考えこんだ。 それはけして男に対して怯えからくる不安だけでは無かった。 母は尽くしたいと感じていた。久しぶりに帰ってきた昔愛した者に満足してもらいたいと。そして母は食卓にあるドーナツを見た時に思った、「これなら」と。

「おい、お前のクソガキは耳が聞こえないのか?さっきから全然動かねぇじゃねぇか」

男とリコには血の繋がりは無かった。男は母の連れ子であるリコに対して最初から無関心だった。リコが自分に発する不信感を男は微妙にだが感じとっていたのだろう。男はリコを見るといらついた。

「俺が絵本を読んでやるって言ってんだろ、黙って言うことをきけよ!」

男は興奮し、リコにさじを投げつけた。それはリコの足にあたり、床を滑った。 さじは木製だった為、余り威力は無く、リコは黙って男を睨み続けた。 母は慌てて、ドーナツの袋を掴んだ。

「ほらあなた、スープとパンだけじゃ足りないでしょ?これ、ドーナツ。二つもおまけして貰ったのよ」

母は「今開けますから」と言い袋からドーナツを取り出そうとする。

「おまけだぁ? なんだドーナツ屋と仲良しか、なぁ俺を捨ててドーナツ屋と暮らすのか?」

男は急に声のトーンが下がり、母の肩を撫でた。 その後男は母に抱き着き耳元で愛してると言ったが、呂律は回らず何を言ってるのか母もリコも理解できなかった。 母は男の髪を撫でながら、男が言うわけのわからない言葉に頷いた。 男はやがて何も言わなくなると抱き着いた腕を解き母の胸を掴んだ。

「ドーナツ屋とヤッたのか?」

男の声は怒声に変わり、えっ、おい、と母に問い詰める度に胸を強く押しては掴んで手前に引き寄せた。 ドーナツの袋が床に落ちる。母は男の豹変に理解が追いつかず、質問されても表情は男を抱いていた時の笑顔のままだったがその顔は胸の痛みで苦痛に歪み、やがて恐怖に歪んだ。 母の目まぐるしく変わる気持ちは自分に抱き着いてきた男への憐れみと愛しさを感じた末、今や恐怖に塗り変わっている。

「や、やめて。リコが見てるわ、あなたは誤解してるわ。それに何ヶ月も帰らず私を愛していないのは貴方の方じゃないの」

男は母の喉を掴んで持ち上げるとテーブルに向け、投げた。 食器が割れる音と母の悲鳴が重なった。 リコは絵本の表紙にスープが飛び散るのを見ていた。 母の泣き声だけがする部屋をリコは絵本を拾うために歩き出した。 男は自分の足元にリコが動いたのを見ると焦りを感じた。

酒の酔いと母に対する嫉妬で怒り、衝動的に動いた結果がこの惨状だ。そこを少女がてくてくと自分の前まで歩いてくるのだ。

男はリコが怖かった。まっすぐ自分に迫る少女が不思議で仕方なかった。 この年の子供はたいてい男の怒鳴り声を聞けば泣き出す。 しかしリコは男を無表情に睨みつけ、迫り来る。

「な、なんだよ。来るな!それ以上近づいたら蹴り飛ばすぞ」


リコは男が言うことも無視して男の足元にある絵本だけを見つめ歩く。 男は自分の言葉が無視され、また恐怖する。 リコが近づくので男は擦り足で下がった、後ろに倒れそうになるが、後ろは壁であとがなかった。

リコが絵本の前で止まると男は「へっ」と間抜けな声を出し、リコの近づいてきた目的に気づいた。そして安堵感で表情がにやけた男は絵本を取ろうとしゃがんだリコの肩に足を掛けるとそのまま押した。 リコは母が投げ飛ばされた方向にコロコロと転がり、倒れたテーブルにぶつかった。 テーブルの端に母の足が見える。倒れたテーブルの後ろに母の体は横たわっているのだろう。テーブルで隠れているためリコには足しか見えなかった。母は投げられた衝撃で体が固まっていて、呼吸は荒く、泣き声と共に深く息を吸い込んでいるようだった。リコは母が苦しんでいると思った。 リコはテーブルを回り母に抱き着きたかったが目の前の男が絵本を拾ったのを見るとその気持ちを抑えた。母の足をもう一度見ると、目をつむった。リコは男の暴力を恐れた、しかし母の足を見た時、この暴力が大切な母に与えられると感じた。 リコは目を開けると片方の膝に手を置いてゆっくり立ち上がり、今までしてきた様に男を睨んだ。

「リコちゃん、この絵本が欲しかったのか、そうか絵本を俺が触っているのが気に入らないのか、ひゃははは、そうなんだな」

男はリコの目の前で絵本をつまみ、左右に揺らした。男はリコを蹴った時点でもう目の前の少女に対して何の恐怖も感じていなかった。リコの名前をゆっくりといやらしい声色で連呼しながら摘んだ絵本を揺らした。 リコは少し違和感を感じる、目の前の絵本には付いた筈の汚れやシミが消えている気がした。じっと見つめると表紙に描かれている大きな木は風に吹かれてざわざわと葉の音がして、見ているリコには太陽の暖かさが感じられる。リコは誰かに、後ろから肩を捕まれ応援されてる気がするのだ。 絵本が左右に揺れる度にリコの耳には「負けるな、負けるな」と声が聞こえる。 リコは一人じゃないと思った。 男が絵本を両手で掴んで表紙を見た。

「なんか辛気臭ぇ絵本だな。まぁ良いや、じゃあ読んでやるからなぁ、リコぉ」

男が絵本開こうと指を掛けた時、リコは叫んだ。

「ダメっ、その絵本はママが一番最初に読んでくれるのっ!絶対最初はママって決まってるんだから……絵本を開かないで!」

男はリコの迫力に手を止めた。また得体のしれない恐怖を感じたが、それをごまかすようにへらへらと薄ら笑いをしながら、リコに近づいた。 男はしゃがんでリコに目線を合わせると、片手で絵本を差し出した。

リコが受け取ろうと絵本を掴もうとした時、男は勢いよくリコの喉に絵本の背表紙を突き刺した。 リコの身体は一瞬浮き上がると後ろのテーブルにぶつかり、浮いたまま喉を絵本とテーブルに挟まれた。 リコの喉は柔らかく、絵本は皮膚がピンと張る程に食い込んでいる。 息ができなくなるより先にリコの骨が悲鳴をあげる。リコは喉に残った空気を吐き出すと、かすれた咳をした。圧迫が強くなり喉の骨がみしみしと軋んだ。 リコの視界は少しずつ狭くなりやがて真っ暗になった。 リコは最後の力で腕をあげると自分の喉に突き刺さる絵本を撫でた。

リコは薄れゆく意識の中呟いていた。

「この絵本はどんな話だったのかな、大きな木が表紙に描かれていたからきっとその木の話かな……。ママもこの絵本が好きになれば良いな」

そしてリコの意識は途切れる。

リコの絵本を撫でていた手が動かなくなるのと同時に、その手に血飛沫が縦に飛ぶ。 男の頬が裂けていた。男は立ち上がり絵本から手を離し、両手で頬を抑えた。 まるで虫歯で歯が痛いかの様に手を当てているが、その手からは血があふれる。

「あなたを絶対に許さない」

母は血が滴った包丁を両手で持ち、その切っ先を男に向けて言った。その声からは手に持つ刃物と同じ固い銀色の意志が込められていた。 今まで男に見せていた弱々しい表情は無く、じっと男を睨みつける。その母の眼差しは娘のリコとそっくりで、男はリコに睨まれた時と同じく酷く怯えた。

「出てって、もしも次私達の前に顔を出したらあなたを殺すわ、、、いいえ、やめたわ。しっかり準備をしたらあなたを殺しに行くから今の内に遠くに逃げなさい」

男は頬を抑えながら情けなく必死に懺悔の言葉を母に伝えようとするが、その言葉は裂けた頬から血のあぶくを吐き出すだけでいっこうに言葉には成っていなかった。男は自分の言葉が母に伝わらないと分かると怯えた表情のまま後ずさり、そのまま振り返り部屋から出て言った。

母はドアが閉まるまで包丁を構えた格好で立っていたがドアの閉まる音が聞こえると包丁を放り投げ、リコの元に滑り込む様に駆け付けた。リコの喉は本の背表紙の形に赤黒くなり、顔は血の気を失っていた。

母はリコの口から息を吹き込み、胸を叩く様に圧迫した。

何度も繰り返しながら、母はリコの小さな身体の中心を手の平で押しながらその中心にある小さな命に向かって話し掛けた。

「私は弱い!自分勝手で、優柔不断で、その上男を見る目も無いわ。 でも貴方だけは守るって誓うから!だって貴方は私の娘だもの、誰にも!勝手に奪わせない、だから」

母は手を止め、絵本を拾った。

「この絵本、喜んでくれてありがとう。貴方は無意識に私を守っていたのよ。 私はそれに気づかず自分のことばかり」

母はまたリコの唇に自分の唇を重ねた。リコの胸を押していると、母の涙はリコの顔の上に落ちた。 母はまた手を止めドーナツの袋を拾った。

「ママは貴方の気持ちを踏みにじり、傷つけたわ。許して欲しい、ママのドーナツは全部リコにあげるから……」

そういうとまた口から息を吹き込んだ。母は諦めたく無かった。「だから、だから」と繰り返す言葉は徐々に悲鳴となって部屋に響いた。

母はリコの手にドーナツと絵本を持たせようとしたが、リコの手はどちらも掴まない。 母は力無く倒れるリコの手に絵本を持たせようと、絵本を掴んだリコの手をぎゅっと、力強く包んだ、その手に額を重ねると小さく娘の名前を呟き、母は天を仰いだ。

母は「だから」の先に続く筈の言葉を、悲しみの叫びに乗せて願うが、しかしその願いは天には届かず、親子の手に包まれた絵本の中に届いて行った。



結局あれだね、絵本の案内どころじゃないね。 あっ!どうも、役立たずの案内人です。

どうだろう?私はね奇跡ってあんま好きじゃないんだ。 いやだって奇跡なんて存在したらそりゃあなんでもアリなことになるでしょう? それに奇跡って言葉ほど都合の良いものは無いよ。 それでも私はね、ハッピーエンドってのが大好きでしてね。 やっぱりお話は幸せな終わりかたが良いですよね。 奇跡はまぁ最初から用意されてたってことで納得しましょう。 では私、絵本の案内人はこれで失礼します。 もし絵本を誰かが開く時があれば、その時私が案内しますよ。 では皆様が幸せな終わりを迎えられることを祈ります。



リコは自分の胸の上で泣き崩れている母の頬に手を重ねて言った。


「ママ、ご本読んで」



おわり

感想お願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 世界観、人物描写がしっかり作り込まれており、詳細に記されているので、頭の中に絵が浮かびます。 [気になる点] 最後はハッピーエンド、ですか? だとしても、ラストに近づくにつれて徐々にテンシ…
2011/09/09 20:14 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ