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花守り人(中編)

予想以上に長くなってしまいましたので、中・後編に分けることにしました。気が向いたら読んでやって下さい。

「私は、どうしても、これを花器に使いたいんです」

 予想はしていた。彼女は元来、花に関しては子供並みに強情なのだ。

「それは父の形見というだけでなく、父が懇意にしていた備前焼の陶工から、特別に譲ってもらった物なんです」

「大切な物ゆうことは、よ-くわかりました。けど、一度は手放した物を返せ、言うんはムシが良すぎるのと違いますか?」

「それはわかっています。でも、どうしても返して頂きたいんです」

 元の持ち主も、負けじと食い下がった。この徳利はよっぽど大事な物らしかった。

「けど、徳利として使うだけですやろ?私なら、別の方法で、この器を生かせます。大事にしましすから、諦めてもらえませんか?」

「……物に思いが宿る、って貴女は思った事ありませんか?」

 不意に、彼が真顔でそう言った。彼女はハッと息を飲んだ。

「この徳利が、貴女から見て価値がある、と思ったのは、僕の父がそれだけ、その器に思いを込めたからです。器は、その思いに応えた。器を手放すという事は、亡き父の思いを手放すという事なんです。それに気づいたから、無理は承知で頼んでいるんです。お願いします」

 そう言って、彼は深々と頭を下げた。その姿に、彼女は沈黙していたが

「……わかりました。その徳利も、貴方の手元にある方が喜びますやろ」

 意外にも、そう引き下がった。僕は驚いて、彼女を見つめた。

「有難うございます!」

 心底ホッとしたように、満面の笑みを浮かべて彼は言った。

 この徳利は、彼の売値のほぼ倍の額で僕の所に来たようだった。が、彼は文句も言わずに、買値を支払った。

「ほな、私はこれで……」

 そう言って、彼女は玄関へと向かったが、彼が慌てて

「あの、せめて譲ってくれたお礼に、何かごちそうさせて下さい。丁度昼時ですし」

「おおきに、けどお構いなく」

「それくらいさせて下さい。父が愛用していた徳利を気に入って下さったお礼も兼ねて」

 彼は先に立って、店を出て行き、彼女は諦めたように付いて行った。

 どんな事になるかと思ったが、彼女があっさりと引いてくれたので、僕自身は胸をなで下ろした。が、それから彼女はぴたりと姿を見せなくなった。今までも月に一度、来るか来ないかだったので、頻繁に来る客ではなかったのだが。やはりこの件で、すっかり信用をなくしてしまったのかもしれない、と思っていた頃。

 あの徳利の持ち主が風呂敷包みを抱えて店に現れたのだ。

「実は、お願いがあって来たんです。……こんな事、お願いしていいのかわかりませんが、貴方は彼女と親しい知り合いのようなので」

 そう言うと、彼は僕の前で風呂敷を解いた。


「えらいご無沙汰してしもうて、ご免なさい、お兄さん」

 水曜日に彼女が現れた。最も今回は、僕の方から葉書を出して、定休日にご来店頂きたい、と依頼したのだが。そんなオーソドックスな方法を用いたのは、僕が彼女の携帯番号もメルアドも知らないからだ。

 彼女にテーブルの前に座るよう促して、僕は風呂敷包みを目の前に置いた。驚いたように彼女は僕と包みを交互に見つめた。

「例の徳利の持ち主から、貴女に、と」

「…………来はったん?ここに?いつ?」

「一週間程前です」


「……あの徳利が縁で、僕達は暫く付き合っていたんです。最も彼女が清厳流の家元のお嬢さんなんて知りませんでした。『清原』って名字は、そう珍しくもないですし、彼女も何も言わなかったし。……でも、付き合い始めて4ヶ月後、丁度クリスマスの時に、家の事を話してくれました。正直、驚きました。

『黙ってて、ご免なさい。どうしても言えへんくて……家元のあととり娘なんてゆうたら、ひいてしまうやろ?』

『……男の兄弟は?』

『いてへん。私、一人娘やし……けどな、あととり娘やから家を継ぐって決めた訳やない』

 そう言うと僕をまっすぐに見て、こう言ったんです。

『あの家に生まれたんは、私の運命や。けど、継ぐと決めたんは私の意思や』

 ……頭を殴られた、と思うくらいショックでした。……僕も、彼女に隠していた事があったんです。年が明けて、少しで良いから会えないか、と連絡をして、下鴨のカフェで待ち合わせをしました。できるだけ静かな場所が良かったので。

 ……僕には、妻がいるんです。でも一緒には暮らしていません。妻は実家で、療養生活を送っているんです。妻の病気の切っ掛けは、生まれて半年も経たなかった僕たちの子供を失った事でした。妻は毎日、口癖のように僕に謝りました。子供を失ったのは哀しかったしショックでしたが、何かに憑かれたように僕に謝り続ける妻の姿を見るのも苦痛でした。だから、もう謝らなくていい、あの子の事は忘れよう、僕はそう言ってしまいました。それきり妻は子供の事を口にしなくなりましたが、言葉にしない分、哀しさや罪悪感を身の内に溜め込んでいたんです。

 その内、料理や洗濯の段取りが悪くなったり、その日あった出来事や会った人を忘れるようになりました。おかしいな、と思っていたら、真夜中にふと目を覚ますと妻の姿が無いんです。驚いて探しに行くと、家の近くの公園の中を彷徨うように歩いていました。

 病院に連れて行った結果、若年性痴呆症だと医師に言われました。原因は様々ですが、極度のストレスが引き金になる、と言われました。

 痴呆症なんて、老人がなるものだと思っていたので、信じられなかったし途方に暮れました。僕には仕事がありますし、今後の治療費やら何やらを考えると辞める訳にいきませんし、とても妻の面倒は見られません。それで、妻は実家に帰る事になりました。家を出るとき、妻は僕に署名捺印をした離婚届を差し出しました。

『私はいつか、可哀想なあの子の事も、貴方の事も忘れてしまうから』

 そう言って泣く妻を僕は抱きしめる事しかできませんでした。

 ……その離婚届に僕は署名しませんでした。でも、破って捨てる事もできなかったんです。

 その後、新居として購入したマンションも、お金になりそうな物も全て売りました。あの徳利も、その時手放したんです。小さい1Kの部屋を借りて暮らし始めたんですが、思い出す事は妻が元気だった時の事ばかりで。あの徳利に酒を入れて、二人でよく晩酌してました。

『ねえ、この徳利、最初の頃はいかにも頑丈そうなごつっとした印象だったけど、最近肌合いが柔らかくなってきたような気がしない?』

『そう言えば、親父が焼き物は使えば使うほど姿を変える、なんて言ってたな』

 そんな他愛ない会話を思い出す度、どうしてもあの徳利を取り戻したくなって……

 それが縁で、彼女と出会うなんて、本当に皮肉な話です。けど、彼女と一緒にいると何もかも忘れられました。この状態が、ずっと続くなんて思っていませんでしたし、いつかは事実を話さなければいけないと思ってましたが、それでも彼女といる時間を失いたくなかったんです。

 でも、彼女が『生まれてきたのは運命、選んだのは私の意思』そうはっきり言った時、自分の甘さとずるさに気づいたんです。

 ……僕は、会社を辞めて、妻の側で看病する決心がつきました。


後編は後日載せます……1500文字以内って何の話?とつっこまれても何も言えません。

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