花守り人(前編)
「一閑人」の定休日は水曜である。特に深い意味は無い。
「水に流れる」で、商売をしている店では水曜を休みにしている所が多いのだ。とはいえ、店は閉めていても雑務を済ませる為に来ている事もあるのだが、それを見計らったように、やって来る客というのがいる。
「ほんまに男の人なんて信じられへん」
男である僕の前で、ほぼお決まりになった台詞を彼女は吐いた。最も、この台詞も何度聞かされたのか覚えていない。
「信じられないのは男じゃなくて、男を見る目じゃないんですか?」
そう言った瞬間、険のある視線が飛んできた。
「お兄さん。それが傷心の女性に向かって言う台詞なん!?信じられへん!」
ちなみに彼女は僕の妹ではない。最初に会った時から僕をそう呼び、それが定着してしまった。
店を開いて間もない二月の末だったと思う。この街では珍しく雪が降り、朝になっても坪庭がうっすらと雪化粧をしていた。
古い家は隙間風が入ってきて、とても冷える。元来、古い家屋というのは夏の湿気に対応すべく、風通しが良く作られているのだ。足下の電気ストーブから離れたくないので、コ-ヒ-を入れに行くべきか行かざるべきか、それが問題だ、とハムレットよろしく悩んでいると、玄関で物音がして「ご免下さい」と人が入ってきた。
こんな寒い日に物好きな、と目を向けると、そこには黒のロングコ-トに藤色のスト-ル、灰色がかった皮の手袋をはめた若い女性が立っていた。決して珍しい服装でも、高価そうな装いだった訳でもない。が、彼女を見た時、僕が連想したのは「令嬢」という死語だった。
優しげで柔らかい風情の整った容姿、品の良い雰囲気。まさしく「はんなり」を絵に描いたようだ、と思った瞬間、彼女の口から零れたのは
「お兄さん。表の信楽の壺、いくら?いくらでもええし、売ってくれへん?」
というビジネスト-クだった。僕は本気で、よしもと新喜劇のようにコケそうになった。
表の壺、というのは底に穴が空いていたので、傘立て代わり使っていた古い物だった。それを説明したが、彼女はどうしても、と言って譲らず、根負けして売る事にした。
「後で受け取りに来ますし」
そう言って帰って行った後、昼過ぎに彼女の使いという男性が二人やってきて、壺を持って行った。
何者だろう、と首をひねっていると、彼女から招待状が届いた。それは三月下旬に某デパートの催事場で催される、華道清厳流の展示会だった。初日は招待客のみ、と書いてあったし、あの壺がどんな使われ方をしているのか興味もあったので、そういった場には滅多に足を運ばないが、ノコノコと出かけていった。
様々な花が活けられている華やかな空気の中、目に飛び込んできた物があった。それは古い黒目鉢の中に、あの信楽の壺が据えられ、そこに活けられたしだれ桜、八重桜、満天星、松。僕は花に関しては全くの素人だが、その存在感と美しさに圧倒された。その花を活けたのは清原春華。次期清厳流の家元になる女性だった。
「お兄さん、来てくれはったんですか?おおきに」
背後からそう声を掛けられ、振り返ると、あの女性が京友禅の訪問着に西陣織の帯を締めて、微笑んでいた。
それから時々、彼女は一人で「一閑人」を訪れるようになった。
清原家は安土桃山時代まで遡るというこの街でも指折りの名家の一つ。その家は女系一族で、当代、先代、先々代ともに婿養子を取っていた。
次代の伝統文化を担う若手の一人と言われ、彼女自身も自分の立場に甘んじる事なく、他の流派、盆栽やフラワ-アレンジメント、必要かどうかわからないがガ-デニングまで勉強している。環境、才能、容姿、そして惜しみない努力。非の打ち所がない女性だが、一つだけ欠点がある。
男を見る目が無いのだ。
優しい誠実な人だと思ったら、アル中のDV男だったとか、真面目で堅実な人だと思ったら、ギャンブル好きで多額の借金を抱えていたとか、ストイックで大人しそうな人だと思ったら、収入の大半を風俗につぎ込んでいたとか。
今回は女にだらしのない男で、自分の友人に手を出していたという。
「けど結婚する前にわかって良かったじゃないですか。そんな男と一緒になったら人生めちゃくちゃですよ」
「そういう問題じゃないやん!もっとマシな慰め方できひんの?」
「はいはい。おわびにコ-ヒ-おごりますよ」
「……お兄さん、それ嫌み?私がコ-ヒ-あかん事知ってはるやろ?」
「そうでした。紅茶を用意させて頂きますよ。キ-ムンでしたね」
ちなみに、表向き彼女はお育ちの良い、おっとりとしたお嬢様で通っている。周囲もそういう目で見ていると思う。が、僕に言わせれば猫かぶりも甚だしい。いや、猫というより化け猫かもしれない。
差し出された紅茶のキ-ムン香を楽しんだあと一口飲んで
「……やっぱりお兄さんの入れてくれはる紅茶が一番美味しいわぁ」
と可愛い事と言うかと思えば
「いっそ、このお店閉めて、カフェでも始めたらええやん。どうせ元取れてへんのやろ?」
と可愛くない事を言う。それにしても男を見る目もないのに、何故自分で相手を探そうとするのか、わからない。家族だって不安だろう。大体、彼女の立場なら、人柄・家柄ともに申し分のない話がいくらでも舞い込んできそうなものだが。
「そうだ。良い物が入ったんですよ」
僕は二ヶ月前に買い取った、古備前の徳利を見せた。店頭に飾っていたのだが、お酒を入れるには大きすぎるのか、売れずにいた。でも一輪挿しにするなら丁度良いと思ったのだ。
「ええ器やね。白玉椿を活けたら映えそうや」
パッと彼女の目が輝いた。やはり彼女にとって花は一も二も無く重要な存在らしい。
「椿を活けるには、あと半年近く待たないといけませんけどね。二、三日預けますよ。気に入ったら、考えてくれませんか?」
そう言って彼女に徳利を預けた、その一時間後。そろそろ自宅に戻ろうかと思っていた矢先。バタバタと走ってくる音がして、「すみません!」という声と同時に男性が慌ただしく上がって来た。まだまだ残暑の厳しい中を走ってきたのか、幾筋もの汗が流れていた。
「ここに、古備前の徳利があるって聞いたんですけど」
「……あれは、今し方、人に預けてしまって……」
「返してもらえませんか!?親父の形見なんです!この通りです!」
そう言うなり、その場で深々とあたまを下げてきた。思わず僕はめまいがした。この二ヶ月間、全く売れなかったのに、ほんの時間のズレでこうなるとは。つくづく商いというのは縁なんだな、と痛感していた。