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真夏のあやかしの恋(前編)

 わかっていても言いたい事がある。……暑い。

 その上、この街は盆地で湿度が高いので、焼けるというより茹で上がりそうだ。

 坪庭に水を撒き、扇風機をかければ室内は随分涼しくなるが、開けっ放しでは、どこからともなく虫が入ってくる。結局、最後はエアコンに頼らざるを得ない。

 暑い中、出歩くのも億劫なのか、もともと客足の遠い店に、客の影すらなくなる。来るのは変わり者の常連くらいだ。ネット販売という便利なものがなければ、我が「一閑人」はとっくに店終いだ。

 その日も閑古鳥の鳴く中で、早々に店を閉めようとしていた時、玄関で足音がした。人の気配はするが、上がってくる様子が無いので見に行くと、そこにはヨレヨレで汗染みのついたシャツ、くたびれたズホン、汚れた靴をはいた、三十半ばの男が立っていた。どう見ても半ホームレス状態だった。汗の強烈な臭いに、失礼とは思ったが、顔を歪めてしまった。

「あの……ここは買い取りはしてくれるんですか?」

 おずおずと訊ねてきた。返答に困って、僕は相手を見つめる。何軒も店を回って、その度に断られてきたのは容易に想像がついた。

 相手は懐ろから、ある物を取り出した。男とは、そぐわない物だったので、思わず目を瞠る。それは、かなり錆び付いてはいるが、珊瑚の垂れ飾りのついた銀の簪だった。

「……いくらでも良いんです。これを買ってもらえませんか」

 そう言った瞬間、相手は崩れるように、その場にへたり込んだ。

「ちょっ……大丈夫ですか!?」

 仕方なく僕は、相手を店内に入れ、テーブルの前に座らせた。脱水症状でも起こされたら困るので、スポーツドリンクと冷たいお手ふきを差し出すと、相手はぼそぼそと礼を言って、一気に飲み干し、顔を拭った。汚れを取ると、意外にも引き締まった顔立ちをしている事に驚いた。

 ホッとしたのか、相手は盛大に腹を鳴らせた。

「……良かったら、うちのお客さんからのもらい物なんですけど」

 と、僕はりんごのクッキ-を箱に入ったまま差し出した。これは先日、例の詩人の先生が取材旅行のお土産に買ってきてくれた物だ。とは言え、詩人が何の取材に信州まで行ってきたのかわからないし、何より避暑地に男が一人で行ったとも思えない。それでも、こうしてお土産を持ってくるあたり、性格はともかくマメな男だと感心する。

 相手は瞬く間に箱菓子を全て平らげた。暑いかとは思ったが、僕はコーヒーをおとして差し出すと

「こんなに美味いコ-ヒ-、久しぶりです」

 涙混じりに呟く。そう言ってもらえると、こちらとしても悪い気はしない。

「……さっきのは、簪ですか?」

「ええ。いくらでも良いので売りたいんです。とにかく手離したいんです。……俺の不幸の元凶ですから」

「元凶?」

 彼は、元々はある一流企業で若くしてかなりの地位にいたのだという。大人しくて優しい妻、可愛い娘。そして有能な部下でもある美しい愛人。何の不満もなかった。

 ある日、妻に付き合って骨董市に行った時。ふと目についたのが、この簪だった。妻も愛人も着物など着ないし、買ったところで無用の長物なのだが、何故か心惹かれて購入した。

 その直後、彼はあるプロジェクトの責任者に任された。成功させれば、その会社での彼の地位は約束されたも同然で、彼自身成功させる自信があった。ところが、そのプロジェクトは、最初から暗礁に乗り上げてしまった、という。

 彼は、この小さなミスを隠して上司に報告した。時間をかせげば何とかなる、と思ったのだが、壁にぶち当たったように、いっこうに進展しない。それを隠すために、嘘に嘘を巧妙に重ね、しまいには彼自身が身動きが取れなくなっていった。

 そんな時、妻が離婚届を突きつけてきたそうだ。「愛人のいる人と、これ以上は暮らせない」というのが最後の言葉だった。彼も仕事の事で手一杯だったので、面倒事は御免だとばかりに、妻の要求を受け入れ、家もまとまった金額も慰謝料として妻に渡した。勿論、娘の親権も。

 悪いことは重なるものだ。上司が不審に思って、こっそり別の部下に進展具合を調べさせた。結果、彼の嘘が発覚。会社はかなりの損失を出し、彼は即プロジェクトから外された。後を引き継いだのは、何と彼の愛人の部下だったという。彼女は見事に成功させ、かなりの地位に就いた。その後、恥をしのんで彼女に上司に取りなして欲しい、と頭を下げたが、

「貴方に、もう用はないの」

 と含み笑いを浮かべながら拒絶された、という。結局、彼は会社を辞めた。

 家族も仕事も失い、一流企業で働いていた、というプライドが邪魔をして、中々職を得る事も出来ず、気がつくと坂を転がり落ちるように不幸のどん底にいた。それでも何故か、この簪だけはずっと手放さずにいたそうだ。

「でも、もうこの状況から抜け出したいんです。そのためにも……」

 僕は黙って聞いていたが、やがてレジから十万取り出して、相手の前に置いた。驚いたように彼は目を上げた。

「有難う……有難うございます」

 彼は押し頂くようにお金を手にした。そしてコ-ヒ-を飲んで帰っていった。

 正直、彼の話は本当かどうか、僕にはわからない。けれど、この状況から抜け出したい、という思いは本当だと思った。高くついた簪だが、人助けだと思う事にした。

 とりあえず、シルバ-クリ-ナ-で黒ずみを取り除き、磨き布で磨いてみると、思わず息を呑んだ。それは三ツ割五七桐の模様の見事な細工の物だったからだ。彼に支払った額は決して高くなかったのかもしれない。

「予想外の別嬪さんだったんだな」

 光に当てて、思わずそう一人ごちた。

 そんな事をしているうちに、気がつくと終電を逃してしまったので、僕は店の二階で休む事にした。

 深夜、何となく寝苦しくて目が覚めた。二階は一階より熱がこもるせいかもしれない。そう思って、僕は水でも飲もうと、階段を手すりにつかまりながら降りた。古い町屋の階段は、ほほ九十度の傾斜なのだ。これはおおげさに言っているわけではない。

 一階に降り、ふと目を転じた時。僕は驚いて座り込んだ。腰が抜けたのだ。悲鳴を上げなかっただけマシだった。

 店の奥に、青白い光に包まれた、着物姿の娘。長い黒髪に振袖姿。まるで市松人形のような。顔を袖に埋めて泣いている。

『……哀しい……恋しい……哀しい……』

 そう呟きながら。どう見ても人ではない。娘の髪には、あの簪。

「……また、妙な物を……」

 思わず僕は、そう漏らしていた。


1500文字以内を目指す、と書いていながら、また長くなってしまいました。後編もできていますので、よろしればお付き合い頂けると幸いです。

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