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葛の葉の軸(後編)

「この世界は広いようで、あんがい狭いんですな」

 早樫氏はそう言って笑った。三度目の葉書で、僕は何とかこの家に招かれる事に成功した。無駄な労力だとは思ったが、このまま放っておくのも何だか気持ちが悪いのだ。

「ま、これなんですわ」

 そう言って、軸の入った木箱を差し出した。失礼して、その場で広げてみる。現れたのは秋草の中に立つ憂い顔の美女。上村松園の描く美人画に似ているが、無名の画家の物だ。それほど古い時代の物ではない。紙の質感から言って戦後に描かれたものだろう。時代というなら、黒の着付に紅裏をかえした白襟というのも合っていない。葛の葉は安倍晴明の母親なのだから、十二単でも着ているべきだろう。そして見事な白狐の尾。

「正直助かりましたわ。これは何といいますか、曰くつきでしてな」

「夜中に軸から葛の葉が出てくるんですか?」

 相手は笑って手を左右に振ると、先方には言わないようにと念を押して、話してくれた。この軸は、元々は友人の後妻の持ち物だったが、10年ほど前、彼女が突然自殺してしまった。その後、友人は妻の持ち物を全て手放す事にし、自分に渡されたのが、この軸だったそうだ。

「……自殺しはった人のもん、いうのは、何や気味が悪うて。しかも絵ェが白狐ですやろ。手放して、後々面倒な事が起きてもかなわんし。まして出して眺める気もせえへんし。もてあましてましたんや」

 僕が提示した金額に、相手は一つ返事をした。意外な程、あっさりと事が済んだので、ホッとした反面疑問が浮かんだ。何故、青柳氏は自分で、この軸を取り戻そうとせず、僕を代理人に立てたのだろう。骨董屋という肩書きは交渉するには役立つかもしれないが、それだけではないような気がした。


 梅雨時期らしい、重くて厚い雲が広がる中、青柳氏が来店した。雨の日というのは客足が遠のくものだが、彼は雨の日に好んで出歩くとしか思えない。

「どうなった?」

 僕は無言のまま、テ-ブルの上に軸を広げて見せた。彼の目は特に動かなかったが、葛の葉を食い入るように見つめていた。

「いくらかかった?」

 支払った金額を伝えると、彼はいつもの冷笑を浮かべた。

「タダで譲られたはずなのに、ちゃっかりしてるな」

「だからと言って、一銭も支払わない訳にはいきませんよ。こちらの要望を聞いてもらったんですから」

「わかった、わかった。ご苦労さん。その倍の金額を払うよ。手数料として」

 そう言って、懐ろに手を入れたのを、僕は制した。

「それより教えてくれませんか。何故、僕という代理人を立ててまで、この軸を取り戻したかったのか。貴方はこの軸の経緯をよくご存じみたいだ。……元々の持ち主の方は自殺されたそうですね」

 彼は黙り込んだ。また話を反らしてごまかすつもりか、と僕は嘆息を漏らした。その時、パタパタと屋根を打つ雨音がして、瞬く間にバケツをひっくり返したようなどしゃ降りになった。慌てて僕は、坪庭の前のガラス障子を閉めた。

「……俺の知り合いに、子供の頃に母親を亡くした奴がいてな」

 振り返ると、彼は軸に目を向けたままだった。そのまま静かに話し始めた。

「父親はそいつが15の時、再婚した。そいつより一回り年上の女で、父親が初婚だった。そのせいか、どこか初々しさがあって、母というより姉ができたような気がした。そいつにとって「母親」は同級生達の母親みたいなイメ-ジだったからな。相手も継子のそいつにいろいろと気をつかってくれた。父親は出張の多い仕事だったから、自然と血の繋がらない母と息子は二人きりで過ごす事が多くなった」

 彼は嗤った。自嘲するように。

「ある日、父親の留守の間に、とうとう一線を超えた。その後も、夫であり父でもある男の目を盗んで関係はずっと続いた。義母は、もう止めましょう、と泣きながら訴えたが、そいつは自分を抑えられる程大人じゃなかった。それに義母も口ではいろいろ言っていても、結局はそいつを受け入れていたからな。……そして、事が起こった。義母は睡眠薬を飲んで、自ら命を絶った」

「……どうして。何も死ぬことなんか……」

「さすがにマズいと思ったんだろうな。義理の息子の子供を身ごもったのは」

 雨は相変わらず、激しく屋根を叩いていた。けれどその音が聞こえないような空気が、店内を包んでいた。

「父親は三度目の結婚をする時、前妻の持ち物を全て手放した。そいつも義母に義理立てして、一生独り身でいるつもりはない。でも、そいつは彼女が亡くなった時の雨に濡れた山梔子の匂いが今でも忘れられない。……義母の物を持ち続ける事で罪を意識する。それが受けるべき罰なんだ、そいつはそう思っているのさ」

 彼は軸を手にして丁寧に巻いた。巻物の扱いになれている人の手つきだった。

「やっぱり激しく降った雨ってのは、止むのも早いな」

 ふと目を転じて彼が言った。確かに頭上の雨音はいつしか消え、振り返ると外がうっすらと明るくなっていた。彼は再度懐ろに手を入れ、財布を取り出そうとした。が、僕はそれを制した。

「お代はいりません。お持ち帰り下さい。そのかわり貴方が結婚する時、その軸を譲ってくれませんか?」

「……同情か?商売人らしくないな」

「そんなんじゃありません。ただ、他の女性に罪の意識を抱えている男と結婚するんじゃ、妻になる相手の女性が気の毒だからですよ」

 彼は目を見開いた。が、やがて静かに微笑した。それはいつもの冷笑ではなかった。

「俺に出すコーヒーはマンデリンじゃなくてキリマンジャロにしてくれ。今度来る時まで、ちゃんと用意しておいてくれよ」

 いつもと同じ声色で言うと、さっさと店を出て行った。

 ガラス障子を開けると、どこからか鳥の鳴く声がした。この季節特有の蒸した空気。だが雨の後の空気が、どんな天気の時よりも一番澄んでいるのだ。彼はそれに気づいていて、雨の日に出歩くのかもしれない。

「……いや、ただの雨男かもしれないな」

 そう一人でポツリを呟くと、僕はガラス障子を閉めた。

「一閑人」奇談は1500文字前後を目指して書いていますが、この話は下書きの時点で、とても長くなってしまいました。むりやり短くすることも考えましたが、あえてこのまま載せました。次回からは1500文字以内でおさまるように書きたいと思います。

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