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三冬《みふゆ》を照らす灯(前編)

 山茶花の花の赤や白、葉の緑が冬枯れの風景の中で目に鮮やかだ。この時期の花には、冬の寒さに負けずに咲き誇る、凜とした強さを感じる。

 そんな時、「彼女」と出会った。

 それは南天をかたどった鼈甲の帯留だった。実の部分は色の濃い赤珊瑚がはめられていた。あまり古い物ではないせいか状態が良く、なにより、これほど質の良い鼈甲は今となっては希少価値なのだ。これなら華道清厳流の若宗匠が喜んで購入するかもしれない。そう思って、僕はその帯留を購入して「一閑人」へ持ち帰った。

 外出から戻ると、ほぼ儀式のように僕は湯を沸かす。この季節に飲む熱いコーヒーほど美味いものはないからだ。ブレンドを入れる用意をして、ふと振り返ると。

 テーブルの前のイスに、若い女性が座っていて、熱心に編み物をしている。年は18才くらいだろうか。黒い髪を肩にかかるところで切りそろえて、前髪をピンで止めている。そして学校の制服のようなワンピース姿。どう見ても今時の女性ではない。

 彼女は青緑色の毛糸で、馴れた手つきで編み棒を動かしている。僕には何編みかわからないが、手の込んだ網模様の入ったものだった。

「何を編んでいるんですか?」

 いつもの事と言えば、いつもの事なので、僕はたいして驚きもせず、そう訊ねてみた。すると。

『……マフラー。冬が来る前に終わらせたくて』

手を動かしながら、彼女は答えた。

「好きな人に渡すんですか?」

 色から判断して言ってみると、彼女は俯いたまま耳まで真っ赤に染めた。が、

『渡せへんのん……和彦さん、美絵子の恋人やから』

 寂しそうに、そう呟いた。

「美絵子さん?」

『……私の、自慢の親友。美人で明るくて、ハキハキしはってて、男の人にも人気があって……』

 そう言いつつも、彼女は手を止めない。丹念に、手の込んだ渡せないマフラーを編み続けている。それは、そのまま彼女の「和彦さん」への思いの深さとも思えた。

「そんなに好きなら、渡せば良いじゃないですか。好意を向けられて、嫌がる男なんていませんよ」

『……美絵子に悪いから。

美絵子な、私のほんまに大事な友達やねん。私、昔っからよく本音言わへん、とか、距離置いて対応しはる、とか人に言われんねん。そんなつもりないんやけど。でも、どうすれば、そう言われへんのか、わからへんねん。でも、美絵子はそんな事言わへん。いっつも本音をズバズバ言わはる。だから、私も美絵子には何でも話せるんや。……和彦さんの事以外は』

 そう呟くように話すと、彼女の姿はスッと消えた。

 丁度、お湯の沸いた音がして、僕はブレンドを入れると、カップを手に彼女が座っていたイスに近づいた。思った通り、そのイスの前のテーブルに置いてあるのは、鼈甲の帯留。この持ち主の記憶なのだろう。


 翌日現れた彼女は、今度はクリーム色の手袋を編んでいた。が、その手袋にはマフラーと同じ網模様が入っていた。

「マフラー渡すの、止めたんですか?」

『これは美絵子の分。二人に渡す事にしたん』

 苦笑したように笑って、彼女は答えた。僕は思わず呆気にとられた。そして。

「……あなたは、その二人の事が本当に好きなんですね」

 彼女は小さく頷く。その手袋もマフラーと同じように、丹念に編んでいた。

 彼女は決まった時間ではなく、手のすいた時を見計らったようにして現れた。そして語るのは、いつも「和彦さん」と「美絵子さん」の事だった。彼女は二人と同じくらい親しいらしく、両方からそれぞれ相談されているようだった。

 やがて「和彦さん」は大学に進学し、彼女と「美絵子さん」は就職をした。その頃から、「和彦さん」と「美絵子さん」の間にすれ違いが生じ始めたようだった。

 早く社会に出て年上の人と接する機会が多くなった「美絵子さん」には、学生の「和彦さん」が幼く見えてきたようだった。そして早く結婚したい、と願うようになったらしい。だが「和彦さん」と一緒になろうとすると、彼が大学を卒業し、就職してある程度落ち着いてからでなければならない。勿論、学生結婚という手もあるが、不安定な状況で結婚をするのは「和彦さん」には抵抗があるらしかった。真面目で誠実な人柄が、彼女の話ぶりからもうかがえた。

 だが、「美絵子さん」には、そこまで待てなかったのだろう。とうとう二人は別れてしまったらしい。

 彼女は何とか二人にヨリを戻してもらいたがっていたようだったが、「美絵子さん」には、すぐにでも結婚できる相手を探すほうが重要だったようだ。

『……美絵子に言われてもうた……鈴子、和彦さんの事、好きやったんやろ?告白してみたら?って……美絵子、知ってはってん。きっと、私のこと、うっとおしい思ってはったんやろな……』

 彼女は悲しげに呟いた。銀行員のような制服を着ていたので、彼女は安定した堅い仕事についたのだろう。きちんと家でしつけられたような清潔感のある人なので、そういう仕事が向いているように思えた。

 「鈴子さん」は、それからも二人とは付き合い続けているようだった。その後「美絵子さん」は「和彦さん」が大学在学中に十才年上の男性とめでたく結婚した。やがて

『……和彦さん、就職決まらはったん。一緒にお祝いした時、私、とうとう告白してしもうた……』

 彼女は恥ずかしそうに笑って、そう僕に報告してくれた。

「なんて言われたんです?」

『……少し待ってくれへんか。今まで鈴子ちゃんは何でも話せる友達やと思ってきたから。これからは、きちんと鈴子ちゃんと向き合いたいんや、って……嬉しかった、ほんまに』

 四年越し、もしかしたらそれ以上かもしれない。ずっと思い続けていた相手が、誠実に自分と向き合おうとしてくれているのが、本当に嬉しかったのだろう。彼女の笑顔は、見ているこちらまで嬉しくなるくらい幸せそうだった。

 やがて彼女は『和彦さん』からプロポーズされ、結婚祝いとして母親からプレゼントされたのが、あの南天の帯留だった。「一生の宝物にする」と言って、彼女は大事そうに受け取っていた。

 次に現れる時は、幸せな新婚生活のノロケ話でも聞かされるのだろう、と多少の覚悟はしていたのだが、実際に現れた彼女の表情は優れなかった。

「何かあったんですか?」

『美絵子……駆け落ちしてしもた……』

「……駆け落ち!?」

『ご主人と上手くいかんようになって……夜、出歩いて遊ぶようになってもうて……何や、ライブハウスでギター弾いてる人と一緒に……噂では東京に行かはったって……

 美絵子の嫁ぎ先、結構良い家やったから、名前に傷つけたってカンカンになってはって、美絵子の実家のご両親も土下座してお詫びして、あの恥さらしな娘は勘当するって……』

「連絡は?」

 彼女は力なく首を横に振る。

 確かに一旗揚げようと思うなら、大抵は東京を目指す。この街で生活し、この街を出ないことに一種の誇りを持ち、それで満足している人より、そういった野心を持った相手に魅力を感じたのかもしれない。それで上手くいけば良いが、そう甘くもないだろう。

 彼女は親友を心配し、すっかり憔悴しきっていた。


 次に現れた時、彼女はなんと赤ん坊を抱いていた。

「あなたのお子さんですか?」

 彼女は首を横に振った。そして。

『美絵子の子……美絵子、亡くならはったん』

「え!?」

『東京の古いアパートの一室で。……一緒に駆け落ちした相手、上手い事いかんようになると、美絵子がパートで稼いだお金、全部飲み代やギャンブルに使うてしまうような人やって……今は、他に女の人つくって、帰ってきいひん、て。

 この子、お願い。あんたにしか頼めへん。あんたに育てて欲しいんや、て……』

 彼女は赤ん坊を抱き寄せた。その目には涙が浮かんでいた。そんな彼女の頬を赤ん坊の小さな手が無邪気に触れる。それを愛おしそうに見つめて

『……この子、杏奈っていうんです。美絵子の部屋から、大きなイチョウの樹が見えて、綺麗に色づいた頃に生まれたから……銀杏から一文字貰うたって』

「ご主人は承知しているんですか?」

『電話では、話ました』

 そう言って、彼女の姿は消えた。例え反対されても、彼女はあの赤ん坊を育てるのだろう。僕にはよくわからないが、実の子供を育てるのも、とても大変は事だ。

 ご主人はどう思うのだろう?かつての恋人の子供を育てるという事に。

 まして、親友とはいえ、夫のかつての恋人の子供を育てる事に、彼女は抵抗を感じないのだろうか?

 そして何故、帯留は彼女の手を離れたのか。一生の宝物にする、と言って大切にしていたのに。

 僕には、その理由が、あの赤ん坊にあるような気がして仕方なかった。

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