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色紙絵の中の闇(後編)

 梅雨入りはしたものの、空梅雨なのか、雨が降らずに晴天が続く中、ある一組の来客が現れた。

「ご無沙汰してます」

 人の良さそうな顔は変わっていないが、身なりや持ち物は随分と良くなった牧野氏だった。そして彼の隣には伊原由依さんとは違う女性がいた。骨董には余り興味がなさそうで、むしろ両手のネイルが気に入らないらしく

「なあ、やっぱりこのピンクベージュにクリスタルストーン並べるのより、トマトレッドにスタッズのせた方が、可愛かったやろか?」

 と僕には呪文のように聞こえる言葉を話した。

「その方が君に似合うとるよ。さっきの色は派手すぎて、かえって下品やった」

 その言葉に、彼女は初めて満足そうに微笑むと

「アーティストがそう言うなら、そうやろな」

 と、やっとネイルから目を離した。

「一年前にこちらにお預けしたものを買い戻しに来ました」

「……竹沢醒夢の色紙絵、ですね」

「ええ」

「実は、もう予約が入っているんです」

 その言葉に彼女は肩をすくめて

「もう、ええやん。私、絵とか興味ないし。それより浮いた分でランチ食べにいかへん?この近くに美味しいイタリアンの店、あるやろ」

 と、彼女はさっさとこの店を出たがった。こんな辛気くさい物が並んでいる店より、明るい場所の方がお好きなのだろう。

「その予約って、由依ですか?」

 彼は、そう訪ねてきた。女の名前が出てきたので、彼女はチラリと目を向けてきた。

「……はい」

「幾らで買う、いうてはります?」

「もとの金額です」

「ほなら、俺は40万で買い取ります。それならええでしょう?」

「……しかし」

 僕が、そう言いかけた時。

「50万で購入すればええやん。そちらさんかて商売やろ?」

 関心のなさそうだった彼女が、そう口を挟んできた。続けて。

「……公郁、私に『俺にインスピレーションを与えてくれた絵やから、君に持っててもらいたいや』って言うたやん。あれ、嘘やったん?」

 猫なで声でそう言い、彼女は牧野氏に身体をすり寄せて、甘えるように頭を彼の肩に預けた。

「嘘やないよ。俺、お前に嘘なんかつかへん」

「ほなら、50万くらい、安いやろ?」

 顔を寄せて、囁くように彼女はねだった。そういう事は外でやってくれ、と僕は思ったが、お客様なので黙っていた。

「……あの絵は、もともと俺が買い取るって約束でしたよね?」

「……ええ、まあ」

「だったら、俺の方が先約とちゃいますか?」

 僕は黙り込んだ。確かに彼の言うとおりである。仕方なく、色紙絵の入った薄い箱を持って来て、それをテーブルの上に置いた。

「なあ、どんな絵なん?」

 高価な値段がついたとなると、やはり興味がわくらしい。彼は確認する意味も兼ねて、その場で箱の蓋を開けて見せた。が、

「……何これ……気味悪いやん」

 彼女は嫌悪感を露わにして、即座にそう言った。僕も一目みて、思わず絶句する。先日見た時よりも、絵の中の女性は窶れて青ざめた、うつろな目をしていたのだ。青柳に幽霊、と言っても良い程に。

「こういう絵は、そう見えてしまうんや。今時珍しい、儚げな美人やん」

 当の牧野氏は、満足そうな声で言うと、丁寧に蓋をしめる。

 彼はカードの一括払いで支払った。たったの一年で、本当に羽振りがよくなったものだ。支払いを終えると、他の物には目もくれず、二人は用事は済んだとばかりに、さっさと店を出て行った。


 彼が大成功を納めたのは、一年前、あの色紙絵を売った直後に遡る。彼は老舗呉服店とのコラボで風呂敷の絵、主に美人画を数点デザインしていた。風呂敷といっても実用品としてではなく、この街らしく、かつ絵画的な風呂敷をつくり、お土産として販売する事にしたのだ。その風呂敷のサイズに合う額縁まで作って。額縁は配送するが、風呂敷自体は折りたためる上に、軽くてかさばらない。絵柄も季節感のあるものから古典柄、近代的なデザインのものまで、バラエティ豊かに揃えた。そして沢山購入しても、それほど高くない。これが海外からの観光客に当たりに当たったのだ。とくに牧野氏のデザインした柄はまさしく「飛ぶように」売れ、この国よりも、まず海外で「牧野公郁」という名が知れ渡ったのだ。

 海外からは、彼の描く美人画が欲しい、という依頼が殺到し、彼は年が明ける前に時代の寵児となっていた。そんな彼が尊敬する画家として名前をあげたのが「竹沢醒夢」であり、その事実と竹沢醒夢の現存する作品が少ない、ということが相まって、作品の値段が高騰する要因となったのだ。

 ただ、それは表向きの経歴であり、その間に牧野氏と伊原由依さんの間で何があったのかはわからない。わかっているのは、二人が別れたという事実だけである。

 正直、伊原さんが店に現れたら、何と言おうか、と僕は頭を抱えた。勿論、牧野氏の言い分は正当だ。が、感情が絡んでいると、白黒がはっきりつけにくいものだ。

 それにしても、あの色紙絵は何だったのか。

 何度も見ているであろう、牧野氏が何も言っていなかったのだから、僕の勘違いなのかもしれないが……


 人生、万事塞翁が馬、とはよくいったものだ。

 色紙絵が売れて数週間後。ある事件が起こった。それは牧野公郁の盗作疑惑である。彼が描いた美人画は、ことごとく「竹沢醒夢」の作品に似ているというのだ。

 勿論、牧野氏はこれを「根拠のない暴言。名誉毀損だ」と一蹴した。確かに、彼の描いた絵は、現存する竹沢醒夢の絵と類似したものは一つもない。

 ところが。戦火で焼失する以前、彼の絵を葉書にして売られていたものが出てきたのだ。竹沢醒夢のコレクターが密かに所蔵していたものだという。

 葉書は全て、白黒の二色刷のものだったが、構図といい、人物といい、ことごとく牧野氏が描いた美人画とそっくりだった。牧野氏は、焼失したと言われていた竹沢醒夢の絵など一度も見た事が無い、と訴えたが、それを信じるには余りにも酷似しすぎていたのだ。

 彼がデザインした風呂敷は販売中止になり、彼の名声はまさしく一晩で地に落ちた。彼には盗作画家という汚名だけが残されたのだ。失意の中、彼は「何を描いても盗作と言われる気がする」という遺書を残し、自ら命を絶った。まだ、たったの30才だった。

 そのニュースは新聞に小さく載り、ネットでも流れた。が、日々洪水のように溢れてくる新しいニュースの中で、一瞬にして消えてしまった。

 彼が亡くなってからすぐに、彼と「一閑人」を訪れた彼女が、色紙絵を持って現れた。幾らでも良いから買い取ってくれ、という。

「こんな気味悪い絵、手元に置いてたら、私まで不幸になりそうやし」

 そう言って。代金を受け取り、逃げるように店を出て行く彼女の背中を見て、この店に来ることは二度とないのだろう、と僕は思った。そして色紙絵を収めた箱に目を向ける。おそらく購入してから、一度も飾る事は無かったのだろう。そう思いながら、蓋を開けた時。

 僕は思わず息を呑んだ。色紙絵の中の女は、うっすらと微笑していたのだ。まるでほくそ笑んでいるかのように。


 日差しと蒸し暑さに閉口していると、一転空が雲に覆われて、大きな雷と共に大雨が降る。ゲリラ豪雨というやつである。この雨は、本当に何の前ぶれもなく突然降り出すからやっかいだ。

 一雨一雨ごとに蒸してくるので、夏が近づいてきたのだ、と僕はげんなりとする。寒いのは嫌いだが、暑いのも同じくらい嫌いなのだ。そんな激しい雨の中、来客が現れた。伊原さんだった。

「……色紙絵、戻ってきたそうですね?私も、丁度ボーナスが入ったんです」

「……この絵は、もともと貴女の物ですから、もうお代は……」

 そう言うと、彼女はゆっくりと首を横に振った。

「気持ちの整理を付けるためにも、買い戻したいんです。自分がアホやった、って事、忘れんためにも」

 僕は、彼女に色紙絵を見せ、確かめてもらった。激しい雨音が響く、薄暗い室内の中、彼女はその絵をじっとみつめる。ほくそ笑んでいるようにも見える女性を。

「……大叔母は、ずっと独身通さはって亡くなりました。恋人の事がほんまに好きやったんやろ、思うてましたけど、今はちょっと違います」

「……違う?」

「大叔母は恨んでたんやろ、と思うんです。自分にたいして不誠実やった相手を」

 彼女は絵から目を反らさずに、言葉を紡ぎ続ける。

「……竹沢醒夢は、女性関係の派手な人でした。大叔母と出会う前に、自分の浮気が原因で離婚しはってるし、大叔母と別れた直後、すぐ他の人と同棲しはった上、その人とは別の人と再婚しはったり、また離婚しはったりを繰り返した人です。でも胸を病んで50才で亡くならはった時、傍にいたのは診療所の人だけやった、と聞いてます。

 大叔母は、ほんまに醒夢が好きやったと思います。でも、醒夢は一緒にいてくれるなら誰でもええ、いう人やったんです。寂しがりで子供みたいな人やったんでしょう。そこが魅力だったのかもしれへん。でも、ほんまに好きやったからこそ、結局は自分やなくても誰でもええ、なんて許せへんかったんやと思います」

 当然のことながら、僕にはそれが彼女の母親の大叔母いう人と竹沢醒夢の話だけとは思えなかった。

「……彼が亡くなる前に、お会いになりましたか?」

 彼女は絵から目を離さないまま、静かに首を横に振った。

「別れてからは、一度も。……私に対して『ゴメン』とか『すまなかった』とか、一度も言わへんかった……あの人らしいわ」

「彼も、本当は謝りたかったのかもしれませんよ」

 そう言うと、彼女は僕に目を向けた。が、そこに浮かんでいたのは蔑むような微笑。

「あの人は、自分が悪いなんて思ったりしてません。むしろ、別れた私が悪いくらい思ってはったと思います。私が必死に作ったお金を一晩で全部呑み代にしたり、私が会社にいってる間は寂しい、いうて他の女連れ込むような人やったけど。でも、何の悪気もないんです。自分の欲望に正直なだけで。

 それがわかってるから、もし謝られたら、私も『もう、ええよ』って言ってしまってたと思うんです。そやから、謝らんでくれて、ほんまに良かった。罪悪感持たずにすみましたから」

「……罪悪感?」

 彼女は微笑み続けた。それはまるで能面の笑みのように、どこか人工的なものだった。そして。

「私、あの人が、こんな事になって、ほんまに嬉しいんです」

 淡々とした口調で、そう言った。

 激しかった雨音は少しずつ落ち着いてきた。彼女は僕から再び色紙絵に目を移すと

「……私、先月お見合いしたんです」

「え?」

「大叔母は結局一人で亡くなりました。けど、私はそんなん嫌なんです。夢中になれへんくても、いつまでも好きでいられる相手と、平凡でええから、幸せになりたい。これ以上、誰かを恨んだり憎んだりしたない……だって、たくさん辛い思いしたんです。もう、充分や……それとも、調子の良いことばかり言って、散々人を利用してコケにした相手の死を悼めない女には、幸せになる資格、ありませんやろか?」

「……人は誰しも幸せになりたいと思うものですし、その権利を持っていると思いますよ」

 彼女はそっと微笑んだ。それはどこか寂しげだった。

「雨、止みましたね。止んでるうちに帰ります」

 そう言うと彼女は色紙絵に蓋をしようとした。その時、目に飛び込んできた絵に僕は声を失った。彼女は軽く頭を下げ、店を静かに出て行った。

 最後に見た色紙絵の女は、あいかわらずほくそ笑んでいるように見えた。が、その瞳から一筋の涙が流れていたのだ。大叔母という人が竹沢醒夢を忘れられなかったように、彼女ももしかしたら、牧野公郁という人を忘れられないかもしれない。

 それでも、彼女の人生が平穏であれば、と僕は思った。たとえ、初めて出会った時の明るい空気を振りまいていた彼女に戻る事はできなくても。

暑い日が続いております。変な話が書きたくなるのは暑いせいです。今からこんなに暑いと、夏が来たらどうなるんだろう、と思います……

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