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天上の境界(後編)

「あれ、店長さん?」

 一瞬、誰の事を言っているのかわからなかったが、どこかで聞いたような声だと思って振り返った。すると。

「やっぱ店長さんや。見た事のある後ろ姿やと思たわ」

 昼間の日差しは随分と春めいた中、人懐っこい声で話しかけてきたのは、先日、私鉄のホームで会った日笠氏だった。

「先日はどうも」

「店長さんもお見舞いに来はったん?あ、お見舞いゆうのも変やな。入院してはるわけやないし」

「よく、今日がリハビリの日だとわかりましたね?」

「この前、名刺に書いてある電話番号に、彼女からお礼の電話がありましてん。その時に聞いたんです」

 僕達は並んで、人が溢れている受付を通り過ぎ、リハビリテーション課へと歩を進めた。体調のすぐれない人達が、毎日、こんなにも訪れるのだろうか、と思いながら。

 目的の場所に着くと、ガラス越しに和泉さんの姿が見えた。丁度、歩く練習をするために歩行用の手すりに掴まって、立ち上がっているところだった。が、中々思うように足が動かない。額を汗で光らせながら、それでも必死に足を動かそうと懸命になっていた。

 彼女に付き添っていた理学療法士らしき男性に、同僚が何か声を掛けた。二、三言交わした後で、彼は彼女に何かを伝えた。彼女は一旦、車いすに身体を預ける。深い嘆息を漏らした後で、相手に笑顔を向けて頷くと、足のマッサージを始めた。

 その理学療法士が丁度、僕達の所へやって来て、通り過ぎようとするのを日笠氏が呼び止めた。

「俺達、あの人の知り合いなんやけど、彼女、もう歩けへんのですか?」

 思わずこちらが引いてしまうような直球の質問に、相手も一瞬言葉を詰まらせたが

「確かに後遺症が残っているのは事実ですが、彼女はいつも明るくて前向きですし、一生懸命努力もしています。必ず歩けるようになると思いますよ」

 そういうと足早に通り過ぎていった。先日のリハビリに行くのを渋っていた彼女の姿が、ふと目に浮かんだ。

 その時、彼女がガラス越しに僕達に気づいて、軽く会釈をしてきた。


「わざわざ来て下さって、おおきに有難うございます」

 待合所に移動して向かい合って座ってから、彼女はそう言って頭を下げた。

「これ、お見舞いや」

 そう言って日笠氏はビニール袋に入った物を彼女に渡した。現れたのは

「……何で、豆大福なんです?」

 思わず僕はそう呟いた。彼女も口を開いて、それを見つめている。そこには、かなり存在感のある豆大福と桜餅が、でん、と並んでいたのだ。今時、デパートの地下に行けば、しゃれたスイーツがいくらでも売っているのに。

「美味いんやで、ここの豆大福。うちの親方の好物やねん。この豆の塩加減とあんこの甘さと餅のやわらかさが絶妙やーゆうて。疲れた時は甘いモンやろ」

 そう言った瞬間、和泉さんが吹き出した。彼女の笑顔は初めて見た気がした。

「……ごめんなさい、たしかにここの豆大福、美味しいです」

「せやろ?」

 豆大福にペットボトルの緑茶という組み合わせで一息ついたあと、僕は親方というのは父親なのか、と訊ねた。すると彼は、あっさりと「違う」と答えた。

「空師っておっしゃてましたけど、家を継いだんじゃないんですか?」

「俺ん家はオヤジもじいさんも弁護士や。烏丸御池に事務所があるわ」

「……どうして継がなかったんです?親の引いたレールを歩くのが嫌だったとか?」

「そんな、かっこええもんやあらへん。たんに学校の勉強、嫌いやったんや」

 高校進学と同時に、彼は遅刻早退を繰り返すようになったのだという。とにかく、何もかもがつまらなくなったのだそうだ。そんな時、いつものように自主早退をして、ぶらぶらと歩いていると

「お兄ちゃん、いっつもヒマそうやな。ちょっと手伝うてくれへんか?」

 そう声を掛けてきたのが、六十代の空師の親方だったそうだ。実際ヒマだし、遊びに行く金もなし、で、暇つぶし程度に相手の手伝いをする事にした。

 軽トラに乗せられて連れて行かれたのは、元々、の人が住んでいるらしい蔵まで残っている大きな屋敷。その庭に、八十年は経ているであろうという大きな檜の巨木が立っていた。生まれた娘が嫁ぐ時、その樹を伐って花嫁道具を作るつもりだったらしい。そういう習慣が、かつてはあったそうだ。

 親方は、その樹の根元に酒と塩をまいた後、チェンソーを背に一人で登っていったという。まさに命綱一本を身体に巻いただけの状態で。そして地上から二十mはあるであろう所で(電柱は約十三m)、チェンソーを動かし、樹を伐り始めたのだそうだ。

「……かっこええ、思たんですよ。見上げる空の上で、樹ィと綱一本に命預けて、仕事する親方の姿」

「その樹はどうするんです?」

「そら、材木商を通して市場に出ます。高値がつくように樹ィを伐るのも空師の仕事ですわ」

「……不安は、ありません?」

 黙って聞いていた彼女が、ポツリと呟いた。僕達は同時に彼女に目を向ける。

「そんな大きな木、年々減ってるんとちゃいます?この先も、その仕事続けられるんか、心配になりまへん?」

「起こってもないこと、心配したかて、しゃあないやん」

 ケロリとして彼は答える。余りに脳天気そうに答えるので、こっちが、もっと心配したほうが良いのではないか、と不安になる。『備えあれば憂い無し』という言葉もあるのだから。

「まあ、家族が出けたら、自分は泥水飲んででも、家族は養お、とは思うてます。そやないと、家の連中になに言われるんか、わからへんし」

「……弁護士のご実家ですか?」

「事務所は多分、妹が継ぐと思いますけど。今、大学の法学部通うてはりますわ。俺は完全に家ではあぶれ者や。それを後悔はしてへん。けど、もし俺がこけてもうたら、絶対『ほれ、見てみい』って連中は言わはるに決もうてる。身内やから遠慮なく、見下したり蔑んだりしはるからな。それだけは業腹やねん」

 そう言うと、彼は豆大福をぱくりと口に入れた。そして。

「……前に親方が樹ィを伐ってはる時、どっかの団体が自然破壊やー、ゆうて騒ぎだした事がありましてん。その時、親方が樹ィの上から怒鳴りつけはったんや。

 『どあほがあ!こっちは命掛けて仕事してるんやあ!文句があるんなら、あんたらもここまで命張って上って来てから文句を言わんかい!』

 って。ほんまに天から響いてるみたいな、よう通る声で。連中、こそこそ逃げるように消えてったわ。

 それ見た時、俺も思たんや。他人に何か言われても、啖呵切れるくらいの仕事しよ、て」

「すごいですね。僕は自分の仕事にそこまで誇りを持ってやっているとは言えませんよ」

「誇りなんてあらへん。自分のできる事をしてるだけや。あんたも」

 日笠氏は彼女に目を向けると

「自分のできる以上の事をムリしてする事あらへん。しんどい時はしんどい、言えばええんや」

 和泉さんは息を呑むような表情をした。そして

「……見て見たいです、お仕事。遠くからでも」

 そう呟いた。すると彼はあっさりと「ええよ」と答えた。一週間後にこの街の郊外で、百年を超える杉の木を伐る仕事があるので、それを見に来たらいい、と言う。この前、私鉄で会ったのは、その仕事の下見と打ち合わせに来ていたのだそうだ。

 その仕事の話で、僕も仕事を思い出した。

「そうそう、約束の物をお持ちしました」

 そう言って、古い木箱から布に包んだ月光菩薩を取り出して、彼女に渡した。

「……あれ、これ……」

 驚いたように、日笠氏が目を見開く。

「どうしました?」

「いや、うちの親方の家にあって、お守り代わりにって貰うた仏さんに、よう似てはるんですわ。何や、昔受けた仕事で折角伐ったのに、樹ィの中が腐って空洞になってはって、一文にもならへんかった。そしたら、そこの主人が、その樹ィで仏さんを二体作って、一体をお礼とお詫びにくれたんやって……」

「それ、日光菩薩じゃありませんか?」

 勢いこんで、僕は訊ねた。彼女も驚いたように目を見開く。

「そんなん、わからしません。俺、仏さんにくわしくないし。あー、でもそんなら、来週それ持って行きますわ。店長さんが見はったほうが、ようわからはるやろ」

 

 約束の日。僕は彼女と初めて会った私鉄の改札前で待ち合わせをした。

 昨夜から雪がちらつき始め、朝には瓦の屋根にうっすらと雪が積もっていた。遠くの山並みは白く雪化粧をしており、また冬に戻ったような寒さになった。

 日笠氏のように彼女をおぶって歩く事はできないので、車いすを押しながら、地上へ上がれるエレベーターの所まで移動し、そこから止めてあるレンタカーの所まで戻る事となった。今までは余り気にしていなかったが、車いすの人が地上に出るのは、かなり不便だ。これなら確かに、体力のある人がおぶって動いたほうが早いかもしれない。

「……ほんまに私が見に行ってもええんでしょうか?仕事の邪魔になるんや……」

「だったら見に来い、なんて言いませんよ。あの人ははっきり物を言う人ですから。聞いてる方がハラハラするくらい」

 彼女は黙り込み、車窓に目を向けた。曇っている空は重く、先日までの春めいた陽気が嘘のようだ。

 車で一時間ほど走った場所に、遠目からもわかる木が見えてきた。住宅が並んでいるので周囲に高い建物はなく、まさに空を刺すように立っている見事な巨木。

 車を降りて、彼女の車いすを押しながら近づいて行くと、クレーン車が一台止まっており、そこで日笠氏と数人の男性が話しているのが聞こえた。

「この高さではクレーンが届きまへんなあ」

「届く所までてっぺん部分を伐りますわ」

「大丈夫ですか?」

「それが仕事ですから」

 彼は僕達に気づくと、軽い足取りで近寄って来た。

「この樹を伐るんですか?こんな、倒すスペースもない場所で?」

「それが、空師の腕の見せ所です」

「こんな大きい木……危険な仕事ですね、やっぱり」

「危険は承知の上です。けど、高い所で仕事するより、樹ィを伐った直後が一番危ないんです。気を抜くと、伐った樹ィにられます」

 その言葉で、和泉さんは顔を青ざめた。それを見て

「そうならんようにしますけどね。それに不思議なんやけど、樹ィに掴まっていると、大丈夫や、っていう安心感があるんです」

 彼はそう付け加えた。そして、仕事場へと戻って行くと、まず樹の幹に酒と塩をまき始めた。その土地に長く根付いて人々を見守ってきた樹に敬意を込めるように。

 僕達はひとまず、その場から少し離れた場所で見学させてもらう事にした。冷たい風が一筋、吹き抜ける。樹の上はどれだけ寒くて、風を強く感じる事か。三十五mはあるかという大木。彼は重さ8㎏はあるというチェンソーを背負い、木をのぼっていく。彼が動く度に、枯れた木の枝が細かく揺れた。彼女が心配そうに、その一挙手一投足を見つめる。そして彼はここだと目をつけた所で止まると、チェンソーを動かし始めた。静かな空気を激しい金属音と、木の削れる音が壊していく。次第に木の頂上が揺れ始めた。それを見て、彼のチェンソーの音はさらに激しくなったような気がした。やがて、木は悲鳴をあげるように、ゆっくりと傾いていく。

「!」

 俯いて、和泉さんは両手で顔を覆った。メキメキという大きな音。頂上が倒れる反動で、木全体が振り子のように左右に大きく揺れた。

 しん、と静まり返り、彼女はおそるおそる手を放して顔を上げる。

 まさに首の皮一枚が繋がっている状態で、上部は伐られた部分から垂れ下がっていた。彼は木の幹にしっかりとしがみついたままだ。木の揺れがおさまってから、その伐った部分をクレーンに繋げて、ゆっくりと地上に下ろして行く。

 高い建物が無い時代、この地上の最も空に近い場所で、命綱一本で仕事を行う彼らを人々は畏敬を込めて「空師」と呼んだという。チェンソーを持って、自在に木の上を動く彼を見ていると、そう名付けた人々の気持ちがわかるような気がした。

「……なんで……」

 隣で彼女が、独り言のように呟いた。僕は彼女に視線を落とす。

「……なんで、あんな事ができるんやろ……まるで空を飛んでるみたいに…私は、この地上で、立ち上がることすらできひんのに……」

 彼女は膝の上で、指の爪が食い込むくらいに強く、手を握りしめていた。

「同じ事ができなくても、何事もないように、と見守る目も、必要だと思いますよ」

 僕の言葉に、彼女は驚いたように目を向けた。

「僕は、彼の持っている仏さまは、貴女の物になった月光菩薩の対の日光菩薩じゃないか、と思うんです。離ればなれになっていたものが三十年ぶりに、自分の半身に会えるなんて何だか意味深だと思いませんか?」

 そう言って彼女に目を落とすと、彼女は慌てたように目をそらして俯いた。

「そんなん……」

「勿論、先の事はわかりませんけど」

 仕事を終えて、駆け足でこちらへ駆け寄ってくる日笠氏を見つめながら、僕はそう返した。

 重い雲の切れ間から、光が射してきた。それは春の日差しで、周囲を暖かく照らし始める。これならすぐに雪も消えるだろう、と明るい光を見つめながら、僕はそう思った。

何で見たのか忘れましたが、「空師」という響きに惹かれて、次はこの話を書こうと思いました。その時ふと、「一閑人」を振り返ると、普通のハッピーエンドの話が無い、という事にきづきました。ので、今回はハッピーエンドを書こう、と思ったのですが、後編がなかなか筆が進まず……結局1ヶ月後になってしまいました。

そのくせ長くなったのでいっそ中・後編にしようかと思ったのですが、結局一気に載せることにしました。どんどん長くなってしまいます……

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