錦繍の衣(前編)
春と秋の行楽シーズンは「一閑人」の収入源は骨董の売買よりもカフェの売り上げがメインとなる。まあ、有り難い話ではあるが。
そんな時、青柳先生からちょっと話があるから店を閉めた後に来店したい、と頼まれた。いや、頼まれた、というよりは半強制的に言われた。
夜は随分を冷え込むようになり、エアコンをつけ、コーヒーを入れるお湯を沸かしていると、青柳先生が一人の客を連れて、いつものようにふらりと現れた。
「よう、ヒマ人。これ土産だ。この前ハワイに行ってきたんでな」
そう言うと、ハワイコナのコーヒー豆を渡された。相変わらずのマメさである。
「ハワイとは、また随分貴方にそぐわない所へ行かれましたねえ。それにしても自由業は優雅ですね、青柳センセイ」
「アンタだって自由業だろう。ああ、そうだ。こいつ宮脇翔太。俺の高校の時の後輩だ」
スーツ姿の真面目そうな男性が、ペコリと頭を下げた。女性のように白くてつやつやしたもち肌の、お内裏さまのような顔をした人だ。
「実は、見て頂きたいものがあって、お邪魔したんです」
先生の土産のハワイコナを飲んだ後で、宮脇氏はそう口を開いた。コーヒーカップをどけたテーブルの上に、彼が持参した風呂敷包みを置いて、それを丁寧に広げる。現れたのは、赤の地色に金糸や鮮やかな色彩で描かれた楓、銀杏、桂。色を引き締める為の常磐木の松。豪奢な手描き友禅の着物だった。
「僕の祖父の遺品なんです」
「お祖父さんの?」
「名前くらいは聞いたことあるだろ?宮脇克」
「あの、先月亡くなった人間国宝の友禅作家ですか?テレビのニュースで見ました」
何でも遺品の整理をしていたら、これが箪笥の奥深くから出てきたらしい。まるで大切に隠していたように。
「おそらく祖父がどなたさんかの為に作らはったモンやと思うんです。できれば、その人に渡したいんです」
宮脇克作の友禅が市場にでることは無い。何故なら、彼は固定客に依頼されて、白絹からデザイン、彩色する作家だったからだ。その為、彼の着物は普通に何百万とする。この着物の売れない時代に誰が買うのか、と思われるが、昔からの代々の贔屓客というのが全国にいるのだ。
実際、彼の友禅は海外でも有名で、衣服というよりは美術品のように扱われる事が多い。が、本人には「着物は着るモンで、見るモンやない」というポリシーがあり、必ず依頼人のリクエストに添った、依頼人に似合う、依頼人の為の着物にこだわっていた。それゆえに、展覧会に出品するものはともかく、大金を積まれても、いわゆる一見さんのためには作らず、必ず紹介されてその人となりを知ってからでなければ依頼を受けなかった。
「……でも、これはもしかしたら、展覧会用に制作したものかもしれないじゃないですか。それに……こう言っては何ですが、宮脇克さんの着物なら、幾らでも出す、という人はいるんじゃないですか?」
「ただの着物やったら、こんなに大切に保管しはりません。何か意味があると思うんです」
「だから、この着物を正当な持ち主に渡したいんだそうだ。で、アンタにその持ち主を探してもらいたいんだよ」
「…………は!?」
「アンタ、前に俺の軸を買い取って来てくれただろ?」
「あれはほとんど持ち主がわかっていたじゃないですか!大体、僕は探偵のような真似はしませんよ!」
「でも人捜しは得意だろ?」
そう言うと青柳先生はニヤリと笑った。彼から以前お土産に貰った懐中時計の件は、この先生も一応関係者なので、正当な持ち主に渡した、という話はしていた。もしかすると、一文銅銭の件もどこぞから聞きつけたのかもしれない。何だかんだ言っても、狭い街の事である。
「お願いします。これ、祖父の顧客リストです」
そう言って、宮脇氏はホチキス止めしたA4用紙の束を差し出した。仕方なく受け取って、中を開いてみると。リストの顧客は百名程度だが、名前と住んでいる市町村名しか書いていない。恨めしげに相手を見ると
「……個人情報に引っかかりますので……でも、これはと目星がついた方に関しては、できるだけお伝えします」
「いっそ、お祖父さんのご兄弟とかに聞いたほうが早いんじゃないんですか?」
「それが……祖父には北陸に嫁いだ三才年上の姉がいるだけで、その人とは年賀状のやりとりだけで疎遠になってはるんです。祖父の葬式の時も、本人は体調がすぐれないとかで、娘さんが代理で来てはりました」
「……ところで、貴方はお祖父さんの跡は継がれなかったんですか?」
リストをテーブルの上に置いて、僕はそう訊ねた。
「はい。父親は大学の職員ですし、僕は地元の銀行員です」
伝統工芸の跡継き問題は以前から話が上がっている。世界に誇る技術を廃れさせるのは惜しい。その為には跡を継ぐ人は必要なのだが、その道で食べていける保証がない以上、難しいとしか言えないのだ。
二人が帰った後、僕は再度リストとにらめっこをしていた。目の前の着物が秋の模様なので、秋っぽい名前の人の為に作ったのではないか、と思ったのだが、その中には「紅子」「楓」「茜」「菊子」「柚子」と秋を連想させる名前の人は何人もいる。それに、このリストに載っているだけとは限らない。もしかしたら、ここに名前が載っている人の姉妹とか娘とか姪という可能性だってある。
僕は大きな溜息をついて、リストをテーブルの上に放り投げた。大体、肉親が知らない事を赤の他人の僕にわかる訳がないのだ。あの先生も面倒な事を押しつけてくれたものだ、とそう思っていると。
玄関へと続くガラス障子の影から、十才くらいの少女が顔を出していた。長い黒髪を結いもせず、背中に下ろしたままで、年に似合わず、赤茶色の渋い着物を着ている。彼女はたたっ、と僕に近寄ると
「まさるちゃん、ええもん見つけたえ。戸棚になあ、あじゃりもちが、かくしてあってん。一緒に食べよ」
そう言うと小さな指で、ぎこちなく餅を半分に裂くと、大きい方を何のためらいもなく
「はい」
と僕に差し出して、ふっと消えた。
思わず僕は携帯に手を伸ばして、宮脇氏のスマホに電話していた。この着物はお祖父さんの姉のものではないか、と思ったのだ。
『いや……それはないと思います……』
彼は、僕の意見をあっさりと一蹴した。と言うのも、祖父が姉とは疎遠なっていたのは実の姉弟ではないからだ、という。
『祖父は生まれてすぐに母親が死別してもうて、5才の時に祖父の父親が後添えをもろたんです。その人には8才になる娘がおりましてん。けど、祖父の口から姉の話を来た事はありまへんし、そう遠い所でもないのに、全く行き来してへんかったし。お姉さんのモンて事はない思いますワ』
「はあ……そうですか。では、このリストの中で、近所に住んでた、お祖父さんの幼馴染みみたいな人はいらっしゃいますか?もしくは小学校の同級生とか」
そう訊ねると、「紅子」さんと「菊子」さんの名前が上がった。「紅子」さんは梨園の関係者で、現在は上方歌舞伎の重鎮の妻であり、「菊子」さんは遡ると「御典医」の家柄の方で、現在はこの街でも一、二を争う大きな病院の院長夫人だという。どちらも、早々簡単にお会いできる相手ではない。
僕は思わず頭を抱えてしまった。
一応、ラストまで話は出来上がっているので、近日中に掲載したいと思っています。一気に寒くなって、私の住んでいる街では紅葉が見頃になりました。でも風邪がはやっているみたいですので、皆様気をつけて下さい。