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俤《おもかげ》を呼ぶ香(前編)

 九月も半ばだというのに、暑い日が続いていた。

 そんな中で、ある来客が現れた。黒い服に黒い日傘。唯一の彩りは耳を飾る、ピンクゴールドのバラの形をしたピアスのみ。暑くはないんだろうか、と素朴な疑問を持った。

 彼女は入口に近い席に腰を下ろすと、アイスティーをオーダーした。骨董には余り興味を持っていなさそうな雰囲気。どちらかと言うと、一人になりたくて人のいなさそうな場所を選んで来た、というところだろうか。

 ふと彼女の目が、棚に飾ってある陶器の香炉に止まった。

「……あれ、彼岸花ですか?」

 白磁に青い色で花が描かれているのだが、放射状に伸びる花弁は彼岸花にしか見えない。

「ええ、そうです。青い彼岸花なんてありませんけど」

「……珍しいですね。名前もそうだけど、余り良いイメージがないじゃないですか。お墓に咲いてるし『死人花』とかって別名もあるし、花言葉も『悲しい思い出』だって聞いた事があります」

「日本では確かに。でも国によっては違うイメージのようですよ。『相思華』なんて言われ方をする所もあります。花は葉を思い、葉は花を思う、というように」

 彼女は小さく笑った。

「……男の人って、時々、すごくロマンチストな人がいますよね」

 そして意外にも、その香炉を購入して帰って行った。

 喪服のような黒服、「彼岸」花のものに目を止めた様子。近しい誰かを亡くした人なんだろうか、ふとそう思った。


 家に帰って携帯をバッグから取り出すと、留守電が入っていた。マナーモードにしてバッグに入れっ放しにしていたので全く気が付かなかった。

 再生すると相手は母親で、1ヶ月経ったけどどうしているのか、何ならこちらに来なさい、仕事なら探せば何とかなる、といった、いつもと変わらぬメッセージが入っていた。気遣ってくれるのは有り難いのだが、正直気が重かった。

 たまたま立ち寄った骨董屋からの帰り、私はお香の店に入った。香を焚く趣味などないのだが、彼が「君のつけている香水の香りに似ている」と言っていたのを思い出したのだ。この街に古くからある翠玉堂の「紅雪」という名の香。雪を見たがっていた彼は、どんな思いでこの香の名を聞いたのか。

 彼とは、気がついた時、顔見知りになっていた。

 というのも出勤で利用する地下鉄で、同じホーム、同じ車両に乗り合わせる人だったからだ。特別意識していた訳ではないが、よく見る顔になっていた、ただそれだけの事。そのまま、相手をよく知らないままで終わるはずだった。

「あれー?由真ちゃん?」

 いつものホームに立っていると、そう声をかけられた。高校の時の同級生だった。が、彼女の家はこの辺りではないので、正直驚いたし、意外だった。

「久しぶり!卒業以来やな……あっ!」

 そう言って、同級生は彼を見て絶句した。

「おはようございます」

 ペコリと頭を下げた彼に

「知り合い?」

 私は、そう同級生に尋ねた。

「……うん。同じ会社の人……宮嶋くん、黙っといてな!」

 そう言うと、彼女は手を合わせた。彼は困った顔をして頷いた。

 後で聞いた話によると、同級生には同じ部署に近々結婚する事が決まった彼がいるのだが、別の部署で働いている男性が部屋を借りているマンションが、地下鉄の駅の近くにあるらしい。

 それが切っ掛けで、私達は顔を合わせると会釈を交わして挨拶程度の話をするようになった。が、それ以上は特に親しくならなかった。

 そのうち、毎朝顔を合わせていた彼が、ぱったり姿を見せなくなった。丁度4月の異動シーズンだったので、転勤でもしたのだろうか、と思っていると、また高校の同級生と朝に鉢合わせをした。話の流れで、彼はどうしたのかと訊ねると

「宮嶋くん、入院してんねん」

「入院?どこか悪いの?」

「部署ちゃうし、詳しい事は知らへんけど。そや、由真ちゃん、お見舞いいったげてえな。彼な、由真ちゃんと同じ雪国の出身やで?」

 私は十才の時、父の転勤でこの街に来た。以来、ずっとここで暮らしているが、いつまでたっても言葉はうつらない。学生の時は「気取ってる」みたいに取られたし、話し方が「冷たい」とか「キツイ」などと言われたりもした。けど、こればかりは仕方がない。

 両親は父の退職を機に故郷に戻ったが、私はそのまま一人でこの街に暮らし続けている。もうこの街で暮らしている方が長いし、十才まで暮らしていたとはいえ、その記憶は新しい記憶が積み重なっていくうちに、随分と遠いものに感じるようになってしまった。それでも同郷と聞くと、何となく親近感が沸いた。

「けど、彼女とかいるんでしょ?変に誤解されたくないし」

「大丈夫やて。彼フリーやから」

「……それなら、なおさら勘違いされたらヤダし」

「私から頼まれたって言えばええやん。実際、彼黙っててくれたし、お礼ゆうといて」

 そういうわけで、何となくお見舞いに行く事になってしまった。それ程親しくない相手だし、顔だけ出して、すぐに失礼しよう、と私は明るい色の花を持って、彼が入院している病院を訪れた。

 彼は四人部屋の窓側のベッドにいた。私を見て驚いた顔をしたのを覚えている。

「あの……入院したって聞いて、お見舞いに」

「有難うございます。どうぞ座って下さい」

 と、自ら立ち上がってパイプイスを用意してくれた。意外と元気そうなので、私はすぐに退院できるのだろうと思った。

「ご両親は?」

「来てません。遠いですから。まあ、親は家の近くの病院に転院しろって言ってますけど」

「親御さんは、そのほうが安心でしょうね」

「でも、僕は故郷に帰るつもりはないんです」

「え?どうしてです?」

「室生犀星の詩にもあるでしょう?

 ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや

 って」

「本、好きなんですね」

「作家志望でしたからね。それで親の反対を押し切って、この街の大学を受験したんです。夏目漱石や川端康成、谷崎潤一郎が作品に書いた街に暮らしてみたくて。梶井基次郎の真似をして、寺町でレモンを買って丸善に置いていった事もありますよ。丸善はもうありませんけどね」

 そんな他愛もない話をして、気がつくとすっかり長居をしてしまっていた。そして「次に来る時は何か本を買ってきます。何がいいですか?」と別れ際にそんな話をして、私は病院を後にした。


 彼が、ミステリーで分厚くて一冊で読み終わるものをと言ったので、私はとりあえずジョン・ダニングを購入した。ミステリーが並ぶ文庫の中で一番分厚かったからだ。入院中に人の生き死にが書かれている物は避けたいんじゃないかと思ったが、そういうことを気にする程、繊細じゃないから、と彼は笑った。そんな様子からも、余り重い病気じゃないのだろう、と勝手に思い込んでいた。

 次に見舞いに行った時、見知らぬ人達がいた。彼の両親だった。何か気まずい雰囲気だったので

「じゃあ、私はこれで……」

 と、本だけ渡して帰ろうとしたが、逆にご両親の方が席を立った。何だか申し訳なくて、私は病院の入口まで見送りをした。そこで突然、彼の母親が私の腕を掴んだ。痛いほど強く。そして震えながら

「……お願いします、貴女からもあの子を説得して下さい。もう長くないんですから。せめて、あの子を手元に置いて看取ってやりたいんですよ……!」

 そう言って、その場で崩れるように泣き出した母親を、父親が支えるようにしてタクシーに乗せ、去って行った。

 残された私は呆然として立っていた。母親の言葉がぐるぐると頭の中を巡っていたのだ。すぐには言葉の意味が理解できなかった。あんなに元気そうな彼が長くない?何か勘違いをしているのではないか、と思っていた。

 私が彼の病室に戻ると、彼は苦笑して

「急に親がいて、びっくりしたでしょう?」

 そう言った。

「……あの……転院された方が良いと思いますよ。親御さんもそれを望んでいるんですし」

 恐る恐る、私はそう言った。彼は暫し、私を見つめていたが、談話室に行こう、と言い、先に立って歩き出した。私もその後をついて行った。夕食時だったので、丁度人気がない談話室で私は彼から聞かされた。彼は既に末期のガンで、身体中に転移しており、もう手の施しようがないのだという事。長くても三ヶ月だと言われたのだという事など。そして

「もう、見舞いには来ないで下さい。同情とか義務感とかで来られても迷惑ですから」

 そう言うと、彼は会釈をして病室に戻っていった。私は言葉もなく、談話室のイスに座っていた。

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