表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/32

一文銅銭の約束(後編)

 外がやけに明るい、と思ってカーテンを開けると、一面の雪化粧となっていた。

 店へ向かう途中、朝の光を浴びて、電線に積もった雪がパラパラと降ってくる。暦の上では春をもう過ぎたのだが、まだまだ寒さは厳しい。

 店の前には思いがけない客が待っていた。仁和征史さんだ。いつから待っていたのか、身体を小刻みに動かして、足下の雪はそこだけ平らに踏み固められていた。

 とりあえず店内に招き入れ、ホットコ-ヒ-を差し出す。彼がこの店に来た理由は聞かなくてもわかっていた。

「斎木さんなら、あの日以来お見えになっていません。ご自宅には?」

「帰っていないんです。てか、家族もあいつが、この街に戻っていた事知らなかったんですよ。それなのに家の前はマスコミが黒山の人だかりで。メール送っても返事ないし、携帯も繋がらないし」

 思い当たる場所は全て探し尽くしたのだろう。彼の表情には、疲労と同時に苛立ちの色が濃い。

 その時、玄関の所に目を向けると、あの着物姿の男の子が立っていた。そして、おいでおいでと手招きをしている。

「……つかぬ事をお聞きしますが、先日の銅銭、まだ持っていますか?」

 相手は思いがけない質問に、きょとんとした顔をしたが、我に返ってコ-トのポケットに手を突っ込んだ。

「そういや、この前から入れっ放しだった」

 そう言って開いた掌には、あの時の銅銭。

「行きましょう」

 僕はコートを手に玄関へと向かった。

「行くって、どこへ?」

「わかりません」

「……わかんないって……」

 そう言いつつも、彼は僕の後をついて来た。おさまりかけていた雪は、いつの間にか辺りが白く煙るくらい降り出していた。男の子が姿を消したり現したりしながら、地下鉄の駅に入ってくれた時は、正直ホッとした。

 どこまで行くのかわからないので、とりあえず一区間分の切符を購入する。それ以上に行った場合はのりこし精算をすれば良いだけの話だ。

「一つお聞きしていいですか?」

 幸い通勤時間は外れていたので、すいている車内に並んで座ってから、僕は口を開いた。仁和さんは無言のまま目を向けた。

「ニュ-スの件、どう思っているんですか?」

 彼は黙っていたが

「俺には関係ありませんから」

 と、素っ気なく答えた。その言葉が意外だったので、僕は彼を見つめた。

「それを調べるのは警察か検察の仕事でしょう?俺は立樹を見つけたいだけなんで」

 その時、姿を消していた男の子が現れて、ドアの前に立った。僕は彼を促して、地下鉄を降りた。

 男の子が僕達を案内したのは、地下鉄の駅から近いあるホテルだった。そこは、この街でも古くからあるホテルだったが、今では外資が入っており、横文字の名前がついていた。そのせいか宿泊客も外国からの観光客の姿を見かけた。てっきり街中のビジネスホテルにでも身を隠しているのかと思ったのだが。

 フロントを通り過ぎ、男の子の後を追って階段を上がる。

「……ほんとに立樹のヤツ、ここにいるんですか?」

 仁和さんは半信半疑だが、それを僕自身、否定も肯定もできない。さぞかしうさんくさく思っているのだろうが、それでも素直について来る。友人を見つけるわずかな可能性でもあるのなら、信じたいのだろう。男の子はある部屋の前に立って、姿を消した。

「斎木さん、いらっしゃいますか?」

 ドアをノックして、中に向かって声をかけた。予想はしていたが、返事は無い。ここに相手が本当に宿泊しているのかわからないし、仮にそうだとしても、外出している可能性だってある。

「……お留守みたいですね」

 「あらためよう」そう言おうとした時、あの男の子が再び現れた。そして僕の前に割り込むと、ドアを必死に押し開けようとする。当然、ドアは開かない。男の子は振り返って僕を見上げた。今にも泣き出しそうな半べそをかいた表情だった。

「開けましょう!」

「……はあ!?」

「斎木さん!斎木さん!返事して下さい!」

 僕は力ごなしにドアを叩いた。

「ち……ちょっと!」

 仁和さんはぎょっとして周囲を慌ただしく見渡すと

「あいつがいなかったらどうするんですか!?」

 非難するような鋭い声でそう言った。その時。

「どうされましたか?」

 若いホテルマンが足早に近寄って来た。怪しげな男達が、部屋の前で騒いでいる、と誰かがフロントに連絡したのだろう。

「ここに斎木立樹さんが泊まってますよね?開けて下さい、今すぐ!」

「お客様、当ホテルでは……」

「早くして下さい!大変な事になっているかもしれないんです!」

 噛みつかんばかりの僕の剣幕に押されて、ホテルマンは部屋を開けた。中には人の気配がなく、整理された荷物がテーブルの上に置いてあった。

「……シャワーの音?」

 仁和さんが水音を聞いて、そう呟いた。だがこの時期の午前中からシャワーなど浴びるだろうか。僕達はバスルームへ向かった。水音は高くなったが、中で人の動いている気配がない。

「……斎木さん、開けますよ?」

 そう言ってバスルームのドアを開けた。

「-うわああああっ!」

 悲鳴をあげたのは、ホテルマンだった。

 斎木立樹がスーツ姿のまま、切った左手首をシャワーに浴びせかけていた。血の滲んだ赤い水が排水口へと流れていく。

 僕は持っていた携帯を腰を抜かしかけているホテルマンに押しつけ

「救急車を呼んで下さい!早く」

 そう叫ぶと、シャワーを止め、バスルームに備え付けてあるフェイスタオルで彼の手首を巻いた。その時、微かに固く閉じた瞼が痙攣するように動いた。腕の止血には、脇の動脈を押さえると良い、と聞いた事があるので、バスタオルで脇を締め

「手首を心臓より高くしましょう。クッションか枕か、何でもいいから持ってきて……」

 そう言いかけた時。

「……この……ドアホがっ!」

 僕が振り返るよりも早く、仁和さんが割り込んで来て、斎木さんの襟首を掴んだ。僕は慌てて引き離すと

「ダメですよ!下手に動かさないほうが良い!」

 そう注意したが、相手にその声は届いていない。

「何でや!何で、こんなアホな真似しはったんや、立樹!」

 怒鳴る彼を見て、僕ははっと息を呑んだ。その表情は、この部屋のドアを必死に開けようとして僕を見上げた、あの男の子とそっくりだった。


 幸いな事に斎木さんは一命を取り留めた。が、あと少し発見が遅かったら手遅れだったという。

 第一発見者として、僕と仁和さんは警察から事情聴取を受けたが、何故あの場所がわかったか、と問われても答えようがない。その時、仁和さんが

「……昨日、立樹から、少しで良いから話がしたい、って手紙が、俺の家のポストに入っていたんです。切手が無かったので、直接投函したみたいでした。そこにホテルと部屋番号が書いてありました。ただ、昨日は用事があって、どうしても行けなくて。それを知らせようとしても携帯は繋がらないし。それで今日、知り合いのこの人について来てもらったんです。その手紙は捨てました。そんな重要な物だと思わなかったので」

 そう答えた。彼は何故、僕にあの場所がわかったのか訊ねなかった。ただ「有難うございます」とだけ口にした。

 重要参考人である斎木さんは、警察の監視下におかれる事となった。僕は一度だけ見舞いをしたい、と伝え、それが幸い許された。

 病院のベッドに横たわる彼は、店に来た時と同じように、疲れた表情を浮かべていた。そして僕を見ると、感情も無く、抑揚もない声で呟くように言った。

「……死ねば楽になる、そう思って、あんな事をしたのに、いざ助かってみると、こんな命でも惜しくなる。……身勝手なものですね」

「……人間は、もともと身勝手な生き物ですよ」

「……一応、有難うございますを言わなければいけませんね。命の恩人ですから」

「助けたのは僕じゃありません。仁和さんです。彼がいなければ、あなたを見つける事はできませんでした」

「……あいつは、僕を軽蔑しているでしょうね。昔から、途中で放り投げたり、逃げたりする事が嫌いなヤツでした。子供の頃、二人で宝探しをした事があるんです。言い出したのは僕でしたが、僕は二、三回で飽きてしまって。宝探しなんて、そう簡単に見つかりませんからね。でも、あいつは諦めなかった……征史は、一度口にした事は、周りに煙たがられても必ず最後までやり通すヤツでした。……その場の空気を読んだり、相手に合わせたりする僕とは違って……」

「実は、その仁和さんから、あなたに渡して欲しいと預かっている物があるんです」

 その日の朝、仁和さんは再度「一閑人」を訪れて、僕にある物を託していった。自分で渡さないんですか?との問いに彼は

『今、あいつの顔を見たら、殴っちまうと思うんで』

 そう短く答えて、すぐに店を出て行った。

「彼からのお見舞いです」

 斎木さんの右手にそれを乗せた。

「……これ……」

 それを目の前に持ち上げて、彼は驚いたように呟いた。そこにあったのは一文銅銭。

「あなたは今、仁和さんの事を一度口にしたことは最後までやり通す人だとおっしゃいましたよね。その彼と子供の頃に約束したのでしょう?大人になったら一緒に大発見をするって」

 彼は唇を堅く結んだ。顎が小刻みに震える。銅銭を握りしめると、右腕を目に押し当てた。その腕も小刻みに震えていた。それを見つめ、僕は静かに病室を出る。

 まだ三時だというのに冬の赤みを帯びた日差しが西向きの窓から差し、無機質な白い廊下を朱に染めていた。ふと気配を感じて、僕は振り返る。斎木さんの病室の前に、あの着物姿の男の子。彼は僕を見て、深々と頭を下げると、日差しに溶けるように消えていった。彼が立っていた場所を暫し見つめ、僕は再び歩を進めた。

 病院を出て、風に乗って降る雪の中を歩いていると、ある民家の庭先の梅が目に入った。その寒々とした枝には、固い蕾がいくつもついている。もうすく梅の花の咲く時期になる。寒さが厳しくても、確実に春が近づいていた。

 



 

長くなってしまったので、いっそ中編・後編にしようかと思いましたが、一気に載せる事にしました。お付き合い頂けると幸いです

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ