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暖かな雪(前編)

 古風なひとだ、僕はその客人を見る度、いつもそう思った。

 それは常に着物で来店するからではない。佇まいが、そんな印象を与えるのだろう。

 最初に店を訪れたのは、桜のまだ咲かない、春の肌寒い日だった。彼女は渋い結城紬を着ていて、坪庭近くの席に座ると、コーヒーをオーダーした。結城紬はかなり高価な物だし、おそらく祖母か母親が着ていた物なのだろう。そこに明るい萌黄の帯をしめていた。素人の僕が見ても、着物に着慣れている人なのだろう、と思った。

 その後、夏の盛りにも現れたが、その時は亀甲の白い上布を着ていた。同じ席に座り、文庫本を読みながら、時々ぼんやりと外を眺める。絵になるのだが、どこか寂しげだった。

 そして観光客が訪れる紅葉のシーズンが到来となった。

 この辺りも夏と比べると、人通りが多くなる。僕の店にも骨董目当てというよりは、休憩がてらに入ってきてコーヒーや紅茶を飲んでいく客が増えた。

 そんな中、彼女がふらりと訪れた。この日は泥大島を着ていた。「春結城秋大島」という言葉があるが、今時それを実行している人などいない。彼女は代赭色の染めの帯をしめていて、いつもの席に腰を下ろした。そしていつも通りにコーヒーをオーダーしてきた。

 他の客人達が賑やかに退散していった後、

「あの……」

 彼女が声を掛けてきた。それは初めての出来事だった。

「このお店では、古い物を扱ってはるんですよね?」

「はい。何かお探しですが?」

「新しい物は、引き取ったりはしはらへんのですか?」

「新しい……といいますと?」

「十年くらい前の物です」

「……物によりますが……何ですか?」

「オルゴールです」

 そう言うと、彼女はバッグからある物を取り出した。それはバラの象嵌が施されたボックス型のオルゴールだった。

「リュージュ、ですね」

 スイスの有名なオルゴールのメーカーの物だった。が、それは音が鳴らなくなっていた。

「手放したいんですけど、ほかす気ぃにもなれへんくて。他の人にあげる事も考えたんやけど、壊れてる物渡すのも何やし……もし、リュージュのオルゴールを集めたはるコレクターさんがいたはるんなら、その人に渡して欲しいんです」

「……でも、リュージュなら修理もしてもらるはずですよ?」

 彼女は立ち上がると、少しだけ微笑んで

「私には、もう必要ない物なんです」

 そう告げると、静かに店を出て行った。


かなで、あのオルゴール、ほんまに売っ払ったん!?」

「そんな驚く事でもあらへんやろ」

 彼女は台所でたてた薄茶の入った赤楽茶碗を当たり前のようにコタツに入って、すっかり和んでいる幼友達の前に差し出した。

「そやけど……」

「どうぞ。冷めんうちに」

 促されて、相手は干菓子を口の中に放り込むと、茶碗を手にした。

「……やっぱりお茶はお抹茶やな。海外にいると、脂っこいうえに味の濃い物が多くて……って、それはともかく」

 彼女は茶碗を置くと、奏を見据えて

「あれだけは手放さなかったのに、何でいきなり?」

「……いつまでも昔の事、引きずってたかて、仕方ないやろ」

「……最近スランプや、っておばさんから聞いたけど、それが理由?」

「それは関係あらへん。夏紀かて調子の悪い時はあるやろ」

「そやけど……って、あかん。トレーニングの時間やわ」

 そう言って彼女は立ち上がってコートを掴んだ。が、ふと足を止めて

「ちなみに、どこに売っ払ってきたん?」

「骨董屋さんが並んでる通りの『一閑人』ってお店や。時々、そこに行ってコーヒー飲んでんねん。おいしゅうてな」

「十年前のオルゴールなんて、よう買い取ってくれたな。そういう店って、カビが生えてるような物しか扱ってへんと思ってたわ」

「トレーニング頑張ってや。年が明けたら、全豪オープンやろ」

 慌ただしく玄関へと向かう彼女に母親が「なっちゃん、もう帰らはるの?」と声をかけていた。「はい。お邪魔しました」と彼女のよく通る声がして、玄関の引き戸の音と遠ざかっていく慌ただしい足音が聞こえた。

「あいかわらずハキハキしてはるな、なっちゃんは」

 茶碗をかたづけていると、母親が顔を出してそう声を掛けてきた。

「うん。夏紀は変わらへん。昔も今も」

 彼女は時計に目を向けた。もうすぐ5時。そろそろお弟子さんが稽古に来る時間だ。彼女は立ち上がると、二階の稽古場へと向かった。


 夜は随分と冷え込むようになった。そろそろヒーターを出さなければ風邪をひいてしまう、と思いながら、僕は自分用のコーヒーを入れる為にお湯を沸かしていた。すると背後で微かな物音が聞こえた、ような気がした。

 振り返って見ると、テーブルの上に所在なげに置かれたあのオルゴールの上に、チュチュを着た小さなバレリーナが座っているのだ。座っているだけで踊ろうとしない。驚いて見ていると、彼女は顔を上げた。憂いを帯びた深い青い目で、じっとこちらを見つめている。何かを訴えているように。

「……何が言いたいんだい?」

 そう訊ねてみた。が、彼女はじっと見つめるばかりで口を開かない。やがて再びうつむいてしまうと、すっと姿を消してしまった。

 おそらくはオルゴールの化身なのだろう。だが何故バレリーナなんだ?と首を捻っていると、お湯が沸騰する音が聞こえてきた。僕は慌てて、ガスを止めに戻った。


 



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