1-5 死合前夜
屋敷は玖狼が想像していたよりも質素だった。
屋根は瓦ではあるが、所々ヒビや欠けている物もあり、華やかな塗装でもしてあるのかと思いきや、田舎の家と変わらない地味なものだった。
但し広さはかなりのもので、大小合わせても二、三十はくだらないくらいの部屋がありそうだ。中は時代劇などで見る屋敷そのものだった。内装もあまり派手ではなく、どちらかと言うと楚楚とした雰囲気を漂わせている。
凛と別れ、長い廊下を歩くと突き当たりの部屋へ案内される。そこで女中に待つように言われ、おとなしく正座して待つことにする。
「なぁ今からどうなるんだ?」
密に聞く。
「玖狼殿、貴殿は今からここの御領主、春日幸隆様目通りしてもらう。粗相するなよ」
「うは、その言い方は気持ち悪い」
そう言うと、相変わらずキツイ密の視線が玖狼を刺す。
密は場所が場所なので言葉に気を使っているのだろう。
「いいから黙ってろ、そろそろ参られるぞ」
視線を戻してしばらく待つと、奥の襖が開きそこから顔立ちの整った聡明そうな若殿が入ってきた。凛もそれに続いて部屋に入ってくる。
若殿が言う。
「此度は大儀であった。我が妹が世話になった」
そう言うと、玖狼に向かって深々と頭を下げた。
漆黒の髪に整った厳格な目、表情自体が引き締まっていて頼もしい雰囲気が出ている。先輩や上司でこのような人がいたら間違いなく部下や後輩は慕ってくるだろう。
「いえ、当然のことですよ。それに俺は凛との約束もありましたし」
「ほぅ、約束事とな?」
幸隆が意外そうな顔で玖狼を見る。
「はい、何か困ったことがあれば助けるという約束をしました。まぁ俺が出来る範囲ですが」
「凛が、か?そうか、真か」
玖狼は何がなんだか分からない。
狼狽していると幸隆が笑いながら言う。
「妹は普段はあまり他人に本心を見せぬ。それこそ、ここにおる私と密くらいではないか。その妹と約束事を交わせるとは、お主なにをやったのだ?」
「兄様」
凛が恥ずかしそうに話に割り込む。
「玖狼は私の身分など関係なく、困っているところをいろいろと助けてくれました。先ほどの盗賊も玖狼が見事に蹴散らしてくれたのですよ」
恥ずかしそうに言うわりに凛の声には張りがある。幸隆はそんな凛に笑いながら頷く。
「うむ、凛にここまで言わせるお主なら是非配下にしたいものだが……どうだ?」
不敵な笑みだった。
裏表が無さそうな性格に見えるのだが、実はそうでもないようだ。まぁ戦国の世、裏の顔もビシッと決まってなければ領主などできるわけがない、ということだろう。
「嬉しいんですが、お断りします」
そう、仕官などに興味はない。
今、やらなければいけないことは元の時代へ帰ることだ。この時代にいるつもりは毛頭ないのだから。それならば切り出す案は決まっている。
「幸隆さん、仕官は出来ませんが一つお願いがあります。どうか俺を凛の側に置いてくれませんか?」
幸隆の表情が変わる。先ほどの笑顔から一変、厳しい表情を玖狼に向ける。
「なぜだ? 玖狼殿の役目は凛を我が屋敷に送り届けて終えたはずではないか」
確かにその通りだ。
玖狼は凛を助け、安全な場所へ護送した。普通に考えれば褒美を貰い『それで良し』のはずなのだが、玖狼にとってはそうはいかない。しかし反論も出来ない。
「兄様、私からもお願い致します。玖狼殿が護衛してくれているのであれば私も安心できます」
凛からの助け舟だ。しかしそれでも幸隆は腕を組んで悩んでいる。後もう一押しだが、玖狼からは何も言えない。すると意外な人物からその一押しが出た。
「失礼ながら申し上げます。玖狼殿は武芸に秀でており私など足元に及びませんでした。また姫様の信任厚き事も考慮に入れれば、客人として姫様の護衛にあたってもらうのは如何でしょうか」
ナイスアシスト。
密の一言が決め手になったのか、幸隆は悩んだ上、一言「わかった」と言って席を立つ。そして去り際に一言。
「ならば明日、私の前で試合をやってもらう。密がそこまで言う腕前ならば、そこで腕を見せるがいい。護衛の任はその腕前を見て決めさせていただこう。もちろん真剣でだ」
「それは名案でございます。直ちに準備を」
密は頭を下げながら言う。
畜生、現代人は争い事ってのは嫌いなんだよ。大体真剣勝負ってそれは『試合』じゃなくて『死合』じゃないか。くそぅ、「名案でございます」って、密の奴は何かもっと他に言い方がなかったのかと思う。
玖狼は密を恨めしそうに睨んだが、彼女には何の効果もなく、むしろ感謝しろという誇らしげな笑顔を返された。
その後、味気のない団子汁と麦飯の夕食によばれ、ついでに風呂も貰った。田舎の祖父母の家にあるような石釜の風呂で、湯加減もよく心地よい気持ちで明日の勝負のことなど忘れて堪能できた。風呂から上がり浴衣に着替え部屋へ戻る。
襖を開け外の中庭を見渡す。夜風が吹きこんでこれがまた心地いい。時間がゆっくり流れているように錯覚しそうになる。
ゆっくりと思考を明日のイベントへ移す。
明日の勝負、負ければ恐らく自分の命はないだろう。
玖狼自身相手を殺すつもりはないが、相手は違うだろう。死ぬ気で玖狼を殺しにくるだろう。
今日だけで既に2回、殺し合いを体験している。一度は密、二度目は盗賊、彼らは殺気を十分に放って玖狼を襲った。
正直怖くはなかった。玖狼はある程度対面した相手の実力がわかる。彼らは玖狼の相手ではなかったし、太刀筋や動きも良く見えていた。
しかし玖狼が勝つことで不幸になる者がいることも確かなのだ。少なくとも玖狼が倒した盗賊達は明日試合後に処刑されるらしい。自業自得ではあるが、この件に関わっている者としては心苦しい。
明日自分が勝てば、相手の者はどうなるのだろうか?
面子を重んじるこの時代で、敗北は死を意味するのではないだろうか。
ただの勝負事に命を賭けるなんて本当にばかばかしい。いっそこの状況から逃げてしまおうかと思ってしまう。
すると、襖の方からノックのような音が響く。振り向くとそこには凛が立っていた。
浴衣姿に加え、濡れた亜麻色の綺麗な髪がいつもより大人な雰囲気を醸し出す。
「お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
凛が聞いてくる。
少し鼓動が速くなったが、抑えて言う。
「どうぞ」
凛は部屋に入ると正座し、そして小さな頭を下げる。
「玖狼、私はあなたにとてつもなく、そしてどうしようもない事をしてしまった。こんな頭何度下げてもしょうがないかもしれない。本当にごめんなさい」
凛からのいきなりの謝罪に玖狼は驚く。
「いや凛が謝る必要はないじゃないか。こうなったのも俺があんな事を言わなければ良かったんだし」
「だけど私があなたとあのような約束さえしなければ、こんな事にはならなかった!」
顔を上げた凛の目には大きな水滴が溜まっていて、今にも零れ落ちそうになっている。
「言ったろ。信用していいって。俺は負けない。正確に言うと、負けたっていい勝負には全然負けちゃってもいいと思っているんだけど、明日は負けない」
凛の蒼い目からぽろぽろと涙が溢れている。それでも凛はそんなこと関係なしに言う。
「私……、私は春日家の実の娘ではないのです」
驚く。凛は続けて言う。
「私の父は桜城信繁。桜城家の当主でした。そして、母は異人でした……。本当は桜城家の滅亡以後、私は春日の姫となり、春日家のお世話になっているというのが実状なのです」
凛のカラメル色の髪の毛や蒼い目、日本人形のような美しさであるのにどこか独特の雰囲気があるのも、なるほど合点がいく。
異国の母の血が混じっていた為だったのだ。
「私のこの異様な姿や血筋から、様々な人達が私に寄ってきました。私の名で利益を食もうとする者、領土拡大の象徴とする者、そのような欲望にまみれた者達がたくさん……あの兄でさえ、どこかで私を利用している」
玖狼は何も言えない。凛はこの年齢で地獄のような人の欲望に翻弄され続けているのだろう。
残念ながら、その気持ちは玖狼には分からない。
「そして私を守るために多くの方々が亡くなりました。その中には私が幼い頃より忠義に厚く、心許せる者もいました」
凛はとうとう顔も上げることも出来なくなり、俯いたまま続ける。
「そして私の前から何人もの人が突然いなくなっていきました……約束したのに、私の大切な人が何人も、何人も、何人も……! 骸となって帰ってきた彼らは私が何を言っても、何も私に言葉を返してはくれないのです!」
嗚咽交じりに言う。今まで溜まってきたモノを吐き出すように。
「私は、玖狼の時代にずっといたかった……。この時代はもう嫌です。大切な人達の命が簡単に奪われ、信頼していた人達に裏切られる……。本当は、こんな時代には戻りたくなかったのです!」
玖狼はここにきてようやく涙の意味に気付く。
凛は大好きな人達や大切な人が今まで大勢いたのだろう。
そして失ってきたのだろう、様々な形で奪われてきたのだろう。
戦争、裏切り、面子や建前、理不尽に失ってきた。
そして今度は自分も奪われると感じている。
玖狼がいくら大丈夫だと言っても、その不安はずっと付いてくるのだろう。玖狼には凛の哀しさは分からなくはない。玖狼自身大切な人を失っている。だからこそ、この心優しき少女の哀しさをなるべく除去してあげたいと思う。
玖狼は凛の頭に手を当て軽く撫でる。
「安心しろ、俺はどこにもいかない。凛が何処にいても困った時には必ず助けに来る。盗賊に捕まった時もちゃんと来ただろう? それに俺は強かったろう? 明日も負けないし、相手も無事なように済ませる。誰一人不幸な思いはさせないから」
さっきまで大人のように感じていたのに、泣きじゃくっている今は子供のようだ。
どんなことがあっても、この子だけは守ってあげたいと思う。妹を持つ兄の気持ちとはこのようなものなのだろうか。今なら静香が自分の事を思う気持ちも少しわかる気がする。
凛の頬を伝う涙を指でぬぐいながら、続けて言う。
「俺を信用しろ」
玖狼は笑顔で言う。玖狼が涙を拭っても、しばらく凛は泣いていた。そして涙と鼻水でくちゃくちゃだったが、満面の笑みでそれに返してきた。
そして一言。
「信じています」、と。