1-3 タイムスリップ
次の日、玖狼と凛は昨日二人が出会った山へ来ていた。何故ここに来たかというと、コンビニの帰り道で、玖狼が凛に提案したのだ。
やはり元の時代に帰れるのなら、凛にとってそれが一番だと思い、凛と出会ったこの山をもう一度調べてみようと話しを持ちかけたのだ。凛もそれに同意してくれたので、朝食を済ませた後こうしてやってきたのだ。
しかし、手がかりとよべるものは全く無く、来たのはいいが池と野原の他に何もない場所なので、直ぐに調べることがなくなってしまったというのが現状である。
玖狼は途方に暮れ、小さな野池に石を掴み斬るように投げる。石は三回池の上を跳ねて沈んでいく。
昨日とまるで変わっていない。一面雑草だらけだが、池の近くは芝生かと思えるくらい綺麗に刈り取られていて、天気のいい日はここで寝そべって昼寝ができる。風が気持ちよくて夏なのに涼しく、そして優しい場所。
小さい頃、家族でよく来た思い出のこの場所が玖狼は好きだった。そして十年たった今も変わらない場所。まるでこの山だけ時間が止まっているような感じのする不思議な場所。
凛に目をやると池の対面側にいた。玖狼は駆け足気味に凛の後を追う。
「どう?なにかあった?」
「いえ、ただ気がついたらここにいて。そしてこの石が光っていて……」
凛は首飾りを見る。すると首飾りの丸い石が発光していた。
「えっ!」
思わず声が出る。
そして玖狼のポケットからも蒼い光が漏れているのに気が付く。
「まさか俺のキーホルダも凛と同じ物なのか?」
そう言うと同時に足元が軽くなる。
下を見ると、ポッカリと青い穴が開いていた。
玖狼は吸い込まれる。
もう逃れる暇とか足掻こうとか、そんな事を考える暇も無かった。
吸い込まれた穴の中は蒼く、不思議な空間で様々な映像が映し出されていた。
意識が飛びそうなのをグッと堪えて、それらを見る。
紅く燃える大群の船、馬上で剣を振りかざす中世の騎士、絶壁の崖を馬で駆け下りる鎧武士、森の中を歩く見たことのない獣、様々な景色や映像が浮かんでは消えて行く。
そして玖狼の前に先ほどの野池の風景が広がった。そこにいたのは間違いなく、両親とまだ幼い自分と姉だった。父も母も姉も幼い自分も、皆幸せそうな表情で弁当を食べている。玖狼は遠のく意識の中叫んでいた。
「父さん!母さん!」
家族でピクニックに行った。小さい頃この行事が大好きだった。近所の友達と遊ぶよりも家でTVゲームをするよりも、ずっとずっと好きだった。
桜の咲く季節。姉と野原を駆け回り、父とゴムボールでキャッチボールしたり、母と花の冠を作ったり、お昼には母の作ってくれたお弁当を皆で囲み、食べる。本当に大好きで幸せな時間だった。
ただその日、玖狼は母の手作りのおにぎりを池に落としてしまった。姉が気の毒に思い自分の食べかけのおにぎりを玖狼に差し出してくれたが玖狼はそれを拒んだ。
姉のおにぎりの具はおかかだったからだ。玖狼の落としたおにぎりの具は大好きな梅のおにぎりだった。最後の一つであった梅おにぎりを池へ落としてしまい泣きじゃくる玖狼に、母は優しく「晩御飯の玖狼のご飯は梅おにぎりにしようか」と言ってくれた。玖狼は無邪気な笑顔で頷いていた。優しい微笑みを浮かべる母に、「約束だよ」そう言って玖朗は姉と一緒にまた野原を駆け回った。
しかしその約束は果たされなかった。
幸せの時間は永遠に来なかった。
父とキャッチボールもできない。
投げたボールは返ってこない。
母も笑顔を返してはくれない。
花の冠も大好きな梅おにぎりも作ってくれない。
幸せの時間は崩れたのだ。
もしあの時に戻れるのならば――――。
目を開けるとそこには小さな池が飛び込んできた。
何が起こったのか理解できないが、池の形が先ほどとは違う。でも空気というか雰囲気はどこか思い出の場所に似ていた。
池周辺の野原は草花によって綺麗に彩られており、所々に瑞々しい木々が生い茂っていた。そこはまるで幻想的な世界にいるように感じられた。
今の世界にこのような場所があるのだろうかと思えるほどに、玖狼はその風景に驚嘆していた。
しかしその感情も直ぐに消える。
背後から気配を感じ、玖狼は振り返り体を低くし構える。
「姫様を何処にやった!」
鋭く殺意のある声。
その声と同時に何かが玖狼目掛けて飛んでくる。
その何かをサイドステップでかわす。
するとかわしたところに上から鋭い斬撃が振ってくる。
その斬撃を半身で避け、声の正体を確認する。
玖狼は一瞬驚いた。
声の主は忍び装束を纏う、紅い目をした艶やかな黒髪の女だった。
光に反射して輝く黒髪は後ろで束ねられており、それが風になびいていて優美である。鋭い紅い目で玖狼を睨む女は手に持ったクナイを素早い動作で投げつけてくる。
これも横によけると、今度は頭目掛けて蹴りがきた。
これを右手で抑える。
「一体なんなんだ?」
「黙れ! 姫様を何処にやった!」
「はぁ?」
「知らないとは言わせない。姫様が消えてから、ここに来たのはお前だけだ! 怪しい服装をしているし、間違いなくお前が姫様を攫ったのだろう!何処の手の者だ!」
右ストレートが飛んできたが、玖狼は難なくかわす。
完全に問答無用である。
ならば玖狼の取る手は一つだった。
話の出来る状況にする。相手の力量からして自身の敵ではない。玖狼は相手の攻撃を避けると素早く相手の背後に回り、腕を締め上げる。
「くっ!」
「動くと痛いからじっとしてて。ちなみに俺は君の敵じゃない、むしろ君に協力したい。信用してくれ」
「信用など出来るものか!」
「じゃあ信用はしなくてもいい。但し話くらいは聞いてくれ。俺はさっきまで栗色、いや茶髪の蒼い目をした女の子と一緒にいた。名前は凛、見てないかな?」
女のこちらを睨む目が一層キツくなる。
「やはり貴様が姫様を!」
「君の探している姫も同じ名前なのか?」
「ああそうだ!貴様、姫様を何処へやった!」
「とりあえず落ち着こう。俺も君も探し人は多分同じなわけだし、俺は今現在、状況が全くわからない。少しでいいから君と話をさせてくれないか?」
女はしかめ面のまま少し考えた末、口を開いた。
「わかった。だが腕は離して貰おうか。このままでは少々きつい」
玖狼は女の腕を離す。
「俺は湊玖狼。よろしく」
「私は密だ」
掴まれていた腕を擦りながら密は答える。
「とりあえず話しの擦り合わせをしよう。まずここは何処なんだ?」
「甲斐の国だ」
「っ!」
目を見開く。まさか自分がタイムスリップしてしまったのか……? 密の服装で薄々とは感じていたが本当に予想していた通りだった。しかしそれでもまだ実感が無い為、念のため聞く。
「今は西暦にして何年?」
「おかしなことを聞くな、一五五五年だ」
顔に手を当て空を見上げる。
ほぼ確定でタイムスリッパーだ。もう凛の言葉を疑う余地も無い。
玖狼は凛の事を信用してはいたが、タイムスリッパーということに関しては未だ疑問を持っていた。しかしここにきて自分が体験してしまってはもう何も言えない、何も考えられない。
携帯電話を取り出して見てみると、日付は玖狼のいた時代のままで電波表示は圏外になっていた。
「甲斐の国、戦国時代……」
とてつもなく危ない時代にやってきてしまった。
歴史に疎い玖狼でもわかる。
天下人が決まった関ヶ原の戦いが一六〇〇年近くのはずなので、恐らく今は下克上真最中の時代であろう、と。そしてその時代は人が多く死んでいった最悪の時代だと認識していた。
人権は無く、格差とかいうレベルではない貧富の差があり、主から死ねと言われれば部下は平気でそれを実行する。政略結婚や騙し合い、失敗すれば一族郎党皆殺しという事もある。正に上から下の身分まで一寸先はなんとやらである。
玖狼はそんな事を考えながらも今の状況を整理しようとする。
「わかった。今俺がいる所と時代、それはわかったよ。そして俺がこれから言うことも君は信じないだろうけど、一応話す。信じてくれとしか言えないんだけど、俺自身未だ頭の整理が出来ていないんだ」
玖狼は続けざまに凛が時代を超えて玖狼の時代に来た事、そしてその凛を助けてあげようと思った事、そして凛がタイムスリップしてしまった原因の調査中に、自身がタイムスリップしてしまった事を密に打ち明けた。
「なるほど、貴様はその『みらい』とかいう国で姫様の従者をしていたのだな。そして姫様を我が国へお連れしようとした所、離れ離れになってしまったと言う事か」
意外なほどというか、簡単に密は玖狼の言うことに納得してくれたようだ。
一部おかしな点があるが、今は指摘している場合ではない。
「まぁ大雑把にいうとそうなる。だから俺と君が争う必要はないはずだ。むしろ凛を探すという目的が一致しているのだから、ここは手を組んだほうが良くないか? 少なくとも一人で探すより二人がいいし、俺は君より強いだろう? 何かあれば協力できる。それに俺もここに来たばかりで分からない事が多すぎる。できれば案内人が欲しい」
人差し指で顎を触りながら微笑みかける。
正直この誘いに密が乗ってくれないと困る。
玖狼は内心で凄く焦っていた。
今この世界で自分の事を知っているのは凛だけだ。少なくとも彼女となら話は出来るし、おそらく協力もしてくれるだろう。あの子は良い子だ。信用してもいいかと聞かれ、それにOKした時の凛の笑顔は本物だった。
あの表情を見たとき玖狼は力になってあげたいと思ったし、凛も信用のおける人物にしかあのような顔は見せないと思った。
しかし今、目の前にいるのは凛ではなく密だ、確かに凛の従者のようであるが、玖狼の事を信用していない。
玖狼としては一刻も早く凛と合流する上で、密は必要な人物である。もし凛が屋敷に戻っていれば、面会できるか分からない。
それに、玖狼一人だと他の者に追い返される可能性もありえる。また圧倒的に情報が少なすぎる。皆無といっていいくらいに、だ。
だから凛の従者であろうこの女は、情報の収集と凛との再会におけるキーパーソンになる。ここで断られる訳にはいかない。玖狼は必死でとびきりの笑顔を作りあげ密を見る。
「うむ、確かにそうだな」
ほっとする。
「しかしだ、貴様は素性もよく分からん上、信用も出来ない。少しでも怪しげな行動を見つけ次第……」
密は冷ややかな細い目を玖狼に向ける。意図を理解した玖狼は手を振りそれに応える。
「よし、交渉成立といったところで早いところ姫様を探し出さないとな」
「そうだな。貴様と姫様は少し前まで一緒に行動していたと言ったな。ならばこの付近にいる可能性が高いといったところか。しかし私はこの場所で貴様以外を確認していない。とすれば姫様はこの場所にはいないということか……」
俺以外を見ていない。
タイムスリップした時には一緒にいた凛が別の時代へ飛ばされた、という事も大いに考えられる。それは玖狼にとって、最悪な状況だ。
しかしこの状況では凛を捜索する他、玖狼が取る行動はないのだ。たとえこの世界に凛がいなくとも。
その時、自分はこの世界でどうやって生きていこうとするのだろうか。
姉もいない。
凛もいない。
誰も自分を知らない。
自分も誰も知らない。
そんな孤独の世界で。
「とりあえず近くに町とかないのか? 凛は目立つし、見かけたとかそういう情報があるかもしれないんじゃないか」
湧き上がってくる暗い感情を押し込めながら言う。
凛はカラメル色の美しい髪に大きな蒼い目をしている。服装も上品な着物なので、かなり目立つはずだ。
「近くに集落はあるが、治安は悪い。もし姫様の情報がそこで聞ける事があれば十分に警戒しなければならん。恥ずかしい話ではあるが、今我が国では小さな集落まで治安維持できるような政治ができておらんのでな」
「治安が悪くて盗みや争い事が多くなってる?」
「まぁそんなところだ。中には盗賊になる者もいるのでな。そんな連中に姫様が捕らえられでもしたら……」
「したら?」
「まず最低でも人買いに売られる。最悪なのは他国に売られ、素性がばれた場合だな」
玖狼は首を傾げる。尋常ではない結果ばかりなのだが、盗賊に凛が攫われた場合どのみち売られるのだから関係ないのではないか。
「売られてしまうって結果は変わらないんじゃないか?」
密が眉を顰める。
「馬鹿か貴様は。人買いに売られた場合、わが領土内で売られたならば他国に漏れずに問題を解決できる事もある。しかし他国に売られ素性がばれると……、あの国は領主の娘が誘拐されるくらい治安は悪く国の運営が出来ていないのか、弱ってきているのか、と思われてしまう。また攫われた姫様を取引として使用してくる可能性も強い。姫様はお美しいお方だからな。嫁にしたいと言う大名方も多い。だから他国に連れ去られるということは、今言ったどちらかがほぼ確定的と言える」
密は親指の先を噛み、悔しそうに言う。
確かに今の言い方で大体の察しはついた。そして密の表情から事態はあまり思わしくないということも。
そのような輩に見つかる前に一刻も早く凛を見つけ出さなければ。
「じゃあ早いとこその集落に行こう。治安が悪いのは心配だけど、先へ進まなきゃどうしようもない」
そう、先へ進もう。
暗い感情を今は押し込めて。
「うむ、では私が道案内する。付いて来てくれ」
そういうと密は林道へ続く野道へ駆け出した。
玖狼は頷き、後へ続く。