2-6 ボーリング
パカーン。
場内にピンが倒れる音がこだまする。玖狼達はボーリング場に来ていた。
「お、意外に空いてるな」
「通り魔事件の噂のせいじゃないのか?」
辺りを見渡す将貴に対して、玖狼が呟く。見渡すと、レーンの空きが目立つ。街で唯一のボーリング場は、いつもであれば、もう少し混雑している。将貴の言う通り、通り魔事件の影響なのだろうか。
「春日井、湊、桜城さん~、早く来なよー」
受付の付近で手招きしているのは、クラスメートの高遠空だ。将貴と肩を張るくらいに陽気な女子である。茶色のショートボブに、凛に負けないような大きな瞳が特徴の彼女は受付の前でウサギの様に飛び跳ねている。
放課後、玖狼達が何処に行くか思案しているところに「ボーリング行かない?」と、どこからともなくやって来たのが、この高遠である。「だって、転校生も行くんでしょ? 私がそれについてかないなんて、ありえない!」と、玖狼達の放課後ライフに御同行というわけだ。
「はいは~い、今行くぜ~♪」
将貴は昔アニメ放映されていた、赤いジャケットを着た大怪盗よろしくな声色で高遠に走り寄る。将貴も美少女二人に囲まれ、上機嫌のようだ。
「やれやれ、じゃあ俺達も行くか」
「そうですね」
玖狼と凛もその後を追う。
受付を済ませ、案内されたレーンに行くと、ボール選びの為、一度席を離れる。
「玖狼はどの『ぼぅる』にするのですか?」
「う~ん、そうだなぁ。十三ポンドくらいかな。凛は女の子なんだから、八か九くらいが丁度良いんじゃないか」
「いえ、私も玖狼と同じ『ぼぅる』にいたします」
「えっ!? いや、凛には少し重いと思うよ。もうちょっと軽いボールにした方が……」
「いいのです、この『ぼぅる』で。私は玖狼と同じ、この『ぼぅる』にします」
アドバイスに首を振る凛を玖狼は初めて見た。そして、何故凛がこんなにも頑なに拒否をするのか、玖狼には理解できないでいた。
「おっ、桜城さんは十三ポンドかぁ! プロボウラー並のボールチョイスだねぇ~。じゃあ、私も張り切っちゃって、十ポンドにしちゃおうかなー」
「おい、高遠、突っ込むところはそこか? こんなに重いやつ、普通、持てないだろうが」
「そ~だっけ?」
高遠から間の抜けた返事が返ってくる。彼女的に重さに関してはどうやら問題ないらしい。
「こ、これくらい、だ、大丈夫です……っ」
「いや、無理だろ。凛はこれくらいのやつにしとけ」
そう言う凛だったが、顔を真っ赤に重いボールを持つ状況を見ては止めざるを得ない。玖狼は九ポンドの比較的軽いボールを凛に渡そうとする。
「いえ、だっ、だいじょーぶですっ。両手で持てばこれくらいっ……!」
そう言って、凛は玖狼のアドバイスを拒む。何をそこまでムキになる必要があるんだ、と玖狼が首を傾げていると、両手にそれぞれ重さの違うボールを抱えた将貴がやってきた。
「皆、ボールは決まったか? 俺ゃ二刀流だぜ、かっこいいだろ? 両手投げってさ」
「はい」
将貴の言葉に一早く凛が返事をする。ちなみに、ボールを同時に二つ投げるのはペナルティーになる。まぁ、将貴もそこまではやらないだろう。凛の横で玖狼も頷く。
「私もオッケー」
「じゃあ、戻るぜ。ちなみに負けたチームがゲーム代奢りってことでいいよな?」
「なっ?」
将貴のいきなりの発言に玖狼は面食らう。凛はボーリングは勿論、この世界の遊び自体が初めてなのだ。そんな子にいきなりゲーム代を賭け、勝負をさせるのはいただけない。それに、凛はあの重いボールでプレイする気だ。凛と組んだ相手は間違いなく損をするに決まっている。
「いいねー、やろうやろう。チーム決めはやっぱり男女で別れた方がいいよね♪ 1ゲームの間に交互に投げて、点数を競うアレやろうよ!」
「おし、ならジャンケンで決めるか。男女分かれて、勝った方と負けた方のコンビってことでいいよな」
将貴と高遠は当たり前のように段取りを進めていくが、重要な事を見落としているようなので、玖狼は一言いっておくことにした。
「待て、凛はジャンケンを知らないぞ」
「「へっ?」」
先ほどの高遠がしたような間抜け声が、今度は重なって発せられた。
「あの、すみません」
「まぁ、簡単なルールだから、直ぐに理解できるさ」
そう言うと、玖狼は凛にジャンケンの手解きをする。
――数分後。
「じゃあ、私と春日井、湊と桜城さんのチームってことでー」
「まずは俺達からでいいよな?」
そう言って、将貴はボールを磨き出す。チーム分けは最悪の結果だった。玖狼もボーリングはさほど上手くはない。初心者の凛と組むのは厳しい。何よりも、凛は湊家の居候であり、金銭の管理は全て玖狼に一任されているのだ。
(これで負けたら四人分の支払か……、どうする? ただでさえ今月は凛の私用品で出費がかさんでいるのに……)
内心では溜息の一つも零したかったが、我慢して策を練る。
パカーン。
そんな玖狼の心配を余所に、景気よく将貴達に倒されていくピン共。
「よしっ、ナイスリカバリー!」
「あったりまえよ! こう見えても中学時代は結構投げ込んでたんだぜ。惚れるだろ?」
「いや、それはないわ。マジ無いわー(笑)」
スペアを出し、冗談を飛ばし合う、将貴と高遠。相手の滑り出しは上々だ。
「凛、一番手は俺がいって良いか?」
「はい」
ここで自身がストライクを出せば問題は無いはずだ、と思い、玖狼は先鋒に志願する。
「……」
レーンに置かれた中央のピンを見つめ、構える。大きくステップインすると、右手を大きく後ろに振り上げる。顔は動かさず軸がブレないように腕を下ろし、レーンに滑らせるように置いた。
「いけっ!」
――が、玖狼の想いとは裏腹にボールは徐々に右に逸れていき、なんとか右端のピンを倒すのがやっとという結果だった。
「くっ、ダメか……」
「……玖狼」
このままではヤバい。玖狼はそう思った。出来るのであれば、自室のタンスの奥にしまってあるヘソクリにだけは手をつけたくはなかったが、そうもいかなくなりそうだ。
「では、私の番でしょうか」
凛は重いボールを両手でよっこらせと抱え、レーンに立つ。小さくゆっくりと助走をとり、両手のままレーンに転がす。それはもはや、フォーム云々の問題ではなかった。
しかし、そんな投げ方であるにも関わらず、ボールはしっかりと直進し、中央のピンへ吸い込まれるように接近していく。
「おおっ! これは取れるんじゃないかっ?」
「桜城さん、やるじゃん!」
将貴と高遠も腰を浮かせ、ボールの行方を追う。
ぱかーん。
ボールは中央のピンに当たると、連鎖して周囲のピンがコトコトと全て倒れていく。
「よ、よしっ!」
玖狼も思わずガッツポーズをとってしまう。
「あの、これって良かったのでしょうか? 玖狼、良かったのですよね?」
「ああ、バッチリだ」
「……ばっちり? ですか。そう。よかったぁ」
凛は投球の結果を確認しながらも、周囲の状況から、これが良い結果ということを察したようだ。カラメル色の髪がなびくと、唇の端を少し上げ、小さく微笑む。
「……っ!」
凛がこのように微笑むのは、『あの時』以来だ。戦国の厳しい中で見せた、あの笑顔に近いものを玖狼は感じた。あの時もこんな風に賑やかな空気の中だった気がする。密がいて、雪村がいて、昌虎達もいた。玖狼も自然と口元が緩む。
「よし、俺も頑張らないと、な」
そう、自分は頑張らなければいけない。目の前の女の子の笑顔の、そして過去に出会った彼女達の為にも。玖狼はレーンの奥を見つめながら、改めて実感する。
――そして、最終ゲーム。ここで玖狼がストライクを出せば、キレイに将貴・高遠ペアをまくって、勝利となる展開まで持ってきたのだ。
意外にも大健闘を見せた凛の投球に加え、玖狼自身もミスの少ない投球を続けてきた結果だ。
「玖狼、ここが正念場ですよ。頑張ってください」
「湊、外しちゃってもいいからねー。てか、むしろ外しなさいよ。それに外してくれたら、春日井が惚れるかもよー」
「お、俺? マジかよ……、仕方ねぇなぁ」
「仕方ないのかよ!? 将貴、否定しないのかっ?」
「だってお前、俺のこと好きなんだろう?」
「……嫌いだよ。そんな阿呆な事言う男は変態だ。俺、変態は大嫌いなんだよ」
「やだっ! 高遠~、俺フラレちゃったよ~」
「あははっ、ドンマイだよ、春日井! チャンスはまだあるっ」
「玖狼、……あるんですか?」
「ねぇよっ!」
これは俺の集中力を乱すアイツ等の作戦だ。凛も変に信じかけてるが、これは後でしっかりと教育する必要がありそうだ。
さて、気を取り直して玖狼はレーンと向かい合う。
中央のピンに狙いを定め、集中する。助走は短めに、体がブレないように小さくステップイン――、
「おい! お前等、何やってんだ!」
大きく腕を振り上げたその時だった。どこかで聞いたことのある声が耳に入ってきた。玖狼が腕を振り上げたまま、後ろに視線を持っていくと、そこには有村が仁王立ちで突っ立っていた。
「あーっ、厳ちゃんだぁ~!」
「おっ、有村先生じゃん」
将貴と高遠は全くこの状況を理解していない、フレンドリーな呼び掛けを有村にする。
「ほぅ、お前等、学校の配慮を余所に好き勝手やっているじゃないか。良い身分だな、おい」
「これはアレっすよ。桜城さんの歓迎会ですって。やっぱ、こういうことって初日からしてあげないとダメっしょ?」
「そうそう、春日井の言うとおりですよー。クラスに馴染むには、まず一緒に行動することから始めないと! 小学生でもしますよ、集団下校とか」
「お前らの言い分は分かった。しかしな、『集団下校』ってのは、皆で一緒に『帰宅』するっていう意味だよな? お前らは家に帰らずに何をやっているのか、と俺は言いたいんだが」
「はい、ボーリングですっ!」
勢い良くそう答える高遠に、有村は盛大に肩を落とす。
「で、有村センセはどうしてここに? まさか、教え子と一緒に遊びたかったんですかー?」
「では、ご一緒にどうでしょうか? 私も初めてでしたが、面白い遊びですよ」
追い打ちをかけるように、将貴が見当違いの質問を有村に浴びせる。凛も生真面目にそれを受け取ったようだ。おおよその検討のついている玖狼は目眩を起こしそうになる。
「……俺はなぁ、お前らみたいに、素直に家に帰らず道草を食ってるような、お馬鹿な生徒がいないか、見回りしてるんだっ! さぁ、お前らもこんな所にいないで、サッサと帰れ!」
全くもって、ごもっともな御言葉である。玖狼はタッチパネルの終了ボタンをクリックして、靴を履き替える。
「そういうこった。今日はもうお開きにしよう。勝負はまた次回にお預けってことでいいよな」
「まぁ、仕方ないっか……」
「だなー。それじゃあ、帰るか」
玖狼の言葉に高遠と将貴の二人も納得してくれたようだ。
「よしっ、じゃあ凛も帰るぞ」
「は、はい、分かりました」
玖狼達は帰り支度を整えると、有村がボーリング場の外まで見送りに来る。これはきっと、「早く帰路につけ」という有村の意思表示なのだろう。
「ちぇっ、折角いいところだったのになぁ~」
ボーリング場を出ると、すぐに高遠が愚痴をこぼす。
「だよなぁ、もう少しで俺たちの勝ちだって時に、厳ちゃんが登場するかよ。マジでありえねぇって」
「おい、俺がストライクだったら、お前らの負けだったんだぞ。ある意味感謝した方が良かったんじゃないか?」
「だってよ、普通に考えてソレは可能性低くねぇか? お前がストライク出すのって」
「ゼロじゃないだろう」
玖狼と将貴もそれに便乗する。
「まぁまぁ、御二方それくらいに……」
そう言う凛は、大人しく玖狼達の後を歩く。
「あっ! そうだそうだ、桜城さん、アドと番号交換しようよ。厳ちゃんのおかげですっかり忘れてた~」
「ずりぃぞ、俺もだ」
高遠はそう言いながら、鞄から携帯を取り出す。将貴も負けじと携帯を開いてスタンバイする。玖狼はそんな二人を残念そうな目で見つめると、一言。
「お前ら、凛はそんなモン持ってないぞ」
「「……マジ?」」
「す、すみません」
「そういうこった、悪いな。それと、俺達こっち方面だから。また明日な」
携帯片手に立ち尽くす二人を置いて、玖狼は歩き出す。凛も苦笑いを残しながら、玖狼の後に続いた。
高遠と将貴、二人と別れると、玖狼達は真っ直ぐと家路に着く。電車を乗り継ぎ、商店街を抜けると、ものの数分で玖狼の家が見えてくる。
しかし、玄関の施錠を解除する為、玖狼がポケットに手を突っ込んだ、その時だった。
ノブに添えられた手は滑り落ち、玖狼は前のめりに倒れる。
「玖狼っ!」
凛の甲高い声が耳に突く。
――何が起こった?
しかし、それすらも確認できない。ただ、背中を針で深く刺されたかのような、鋭い痛みを受けたことだけを玖狼は理解した。




