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タイムパラレル  作者: 結倉芯太
1章
2/28

プロローグ

 少年は山頂にある小さな池の辺で仰向けに寝そべる。そこからは寝ながらにして少年の住む街が一望できた。空を見ると雲一つ無い透きとおった蒼が一面に広がっている。

 池の周りには所々一定の間隔で木が植えてあり、それに留まっている蝉の鳴き声が聞こえてくる。彼らは自分の人生をどんな風に感じているのだろうか?

 長い間暗い土の中でほぼ冬眠に近い生活を続け、やっと出てきた眩い世界には一瞬しかいられない。その間に子孫を残すのだから彼らの生は本当に一瞬で儚いに違いない。

「まぁ人も似たようなものなのかもしれない……」

 少年は独りごちる。

 視線を上からやや下の方角へと移すと、大きなドーム状の建物と乱雑に立ち並んだビル群が見える。少年のいる山は町で一番高く、山頂まで行くとそこから街を一望できるこの場所に出てくる。だが、そこまでの道程は意外に険しい。その為、山頂まで登るような物好きな人は、地元の山菜取りのお爺さんか、中腹にあるお寺の人が山の手入れの為に訪れるくらいだ。

 そういった事情もあって、少年はよくこの場所を独りになりたい時の逃げ場所として利用していた。嫌な事、辛い事、面倒くさい事、全てがどうにでもなればいいと思う時に此処に来て気持ちを落ち着かせる。こんな風に気持ちの良い空を見ると、流れる雲や視界一杯に映る蒼い世界は、まるで自分をどこか違う世界へと連れて行ってくれるような気がしていた。自分の境遇や考えがどうでもよくなるような、そんな世界。

 少年がそんな想いを馳せていると、ふと近くの茂みから何かガサガサと草木を掻き分けるよな音が聞こえてきた。

 少年は上体を起こし、周囲を見渡す。すると背後に自分と同じくらいの年頃の少女が遠目にポツンと立っていた。少女は辺りをキョロキョロと警戒するようにしきりに見回しながら、少年の方へと恐る恐るではあるがゆっくりと歩み寄ってくる。

 なんだか様子が変だ。玖狼はそう思った。それに加え、少女は山の中で豪華絢爛(ごうかけんらん)と言っていいほどの(みやび)な着物を着ていたのだ。こんな場所で迷子にでもなったのだろうか。次々と疑問が湧き上がってくる。

 そんな疑問を払拭するため、少年は自分から声をかけることにした。それに異様な警戒を表している少女に変質者と間違われ、警察に通報されてはかなわない。

 少年はゆっくりと腰を上げて少女へと歩み寄る。そして少女の容貌に再度驚いた。

 よく見ると、少女はカラメル色の長い髪に大きくて可憐な蒼い瞳をしていた。少女は和装好きの外人なのだろうか。

「――」

 少女の口が小さく開いた。

 それはとても可愛らしく、見上げた空のように澄んだ声だった。




 土曜日の武道場。

 場内には竹刀を打ち合う乾いた音が響いていた。近々開かれる国内有数の大会に向けて、道場にいる部員達は練習に精を出す。なにせ夏休みの間に開かれるその大会は、全国の高校や社会人チーム全てが参加可能で、いわば自分達の純粋な実力が結果として表れる貴重な大会なのだ。しかもそれが地元で開催というのだから、気合の入り方が他の県とは一味違ってくる。

(全くかったるいったらありゃしない……)

 そんな熱気の中、玖狼くろうは心の中で愚痴をこぼす。こんなクソ熱い中、胴着と防具一式を身につけて余計に暑苦しくなってなにが楽しいのだろうか。家でも学校でも竹刀を振って、打ち込まれて、本当に何が楽しいのだろう。いっそ学校の部活だけでも辞めてやろうかと何度考えただろうか。

 そんな事を考えているうちに、向かいに立つ同級生がこちらにむかって摺り足で間合いを詰めてくる。こちらも徐々に歩み寄る。少しの静寂と緊張が場を走る。

 玖狼は上段の構えからの打ち下ろしを見舞うが、それを見越したかのように相手はあっさりとかわすと、玖狼の胴目掛けて竹刀を振り切った。

「胴あり、一本!それまで」

 軽い衝撃の後に先生の声が勝負の行方を告げる。お互い礼をし、面を外す。視界が一気に明るくなり、息苦しい閉塞感から解放される。

「やりぃ、また俺の勝ちだな」

「まったく、何で勝てないんだろうな」

「そりゃ俺のほうが強いからだろ?」

 相手は面をとると、にっこりと笑いながら玖狼に言う。悪気の無い無邪気な笑顔に玖狼は苦笑しながら答える。

『何度勝負してもお前には負けないな』

 多分同級生はきっとそう思っているのだろう。自分がワザと打たせていることに彼が気付かないまま、交流はもうすぐ一年になる。一緒に入部してから、彼はメキメキと実力をつけて今では二年生の中では一、二を争う程の成長株だ。今の彼は強くなっていく過程が自分でも分かっているから、練習が凄く楽しいのだろう。本当に羨ましい限りである。

「なぁ、今日部活が終わったらお前ん家行ってもいいか?」

「えっ、何?」

 そう思いながら籠手こてを外し、頭に巻いた手拭に手をかけたところで不意に声をかけられて思わず聞き返した。

「いや、部活が終わったらお前の家で遊ばねぇかって」

 一年間友達としてやってきた彼は、嫌な顔一つせずにリピートしてくれる。

「だってお前ん家、二階が道場ですっげぇ広いだろ。皆呼んでさ、明日は久しぶりに部活も休みだしよ、わいわいやろうぜ」

 道場の壁に貼られた七月のカレンダーに目をやると、日付の欄に一つだけ目立つ大きな赤い丸が付けられていた。

 自分の中では部活は週に一、二回のはずだが、部活動のカレンダーはそうではないらしい。両親が幼い頃に他界して姉と二人で暮らしている家は、同級生達から見れば広くて迷惑のかからない溜まり場的認識が強い。今まで何度渋ってもしつこく足を運んでくる。

 まぁしっかりと断らない自分も悪いし、高校に入ってからは姉も遠くの大学に通うようになった為、実質今は一軒家で独り暮らしをしているようなものである。これだけの好条件が揃っているのだから友人達が足しげく通いたくなるのも無理も無い。

「なぁ、いいだろ?」

 快活な声で再度確認してくる友人に対して、玖狼は少し眉をひそめる。

「う~ん、今日は勘弁してもらえないかな。そろそろ姉貴も帰ってくるかもしれないしさ」

 玖狼の口から出た『姉貴』という単語に彼は肩をビクリと反応させた後「じゃあ仕方ないか」と後退りしながらロッカーへ引き上げていった。

 少し卑怯だと思ったが、姉の名前を出すことで悪友共は即時退避行動へと移る。これは昔近所迷惑というか、むしろ姉迷惑を省みなかった彼らの代償だった。二階の騒音に怒り狂った姉による教育的指導と言う名の暴力は夜通し続き、彼らは抵抗する気力も道理も無くただ一方的に延々と言葉攻めと平手打ちをかまされ続けたのだから無理もない。今や玖狼の姉は友達グループの中では鬼女と呼ばれ恐れられている。勿論玖狼はこの後も散々説教と拳骨を落とされた。あの時のアレは、玖狼の人生の中でも五本の指に入るほど恐ろしかった。

 とにかく独りになりたい時、姉の名は良い理由になる。

 ロッカーで着替え、胴着を袋に入れると足早に学校を後にする。

 自転車のカゴにカバンを突っ込み、勢いよく発車させる。学校から街へと続くゆったりとした長い坂を勢い下り、商店街を突っ切る。

「どうしてまじめにやっちゃいけないの?」

 小さい頃玖狼は父によくこの質問をした。自分の実力はこんなものではない。だからもっと皆に自分の事を理解してもらいたかった。かけっこだって周りの子達の誰よりも速かったし、鉄棒だってブランコを漕ぐのも上手にできた。

 でも、両親はそれを見せびらかすような行為を全て禁止した。

 幼いながらに……いや、今も少しだけ思っている。何故自分はその実力を隠し続けなければいけないのだろうか。

『人ってな、自分の思っているよりも凄い事が出来る人間を恐れちまうもんなんだよ。だって自分にはおろか誰にも出来ないようなことを玖狼がやってみたとするだろ? そりゃ最初は凄いだのなんだの騒がれるかも知れないなぁ。でもよく考えると、やっぱり怖いんだよな。人外の力ってな、それがどんなに洗練されて研ぎ澄まされてきたかも分かってねぇクセによ。お前が傷つくのは俺も母ちゃんも見たくねえんだよな。だから、そうそう本気なんかだしちゃあ駄目だ。喧嘩なんか絶対に禁止だぞ』

 玖狼に稽古をつけながら、そう言っていた父親を思い出す。まだ幼かった玖狼はその時父親の言っている意味がよく分からなかったが、大好きな両親が言う事は玖狼にとっては絶対だった。それは今でもきっちり守っている。

 ……いや、一度だけ破ったことがある。

 商店街を抜けると、山中にあるお寺へと続く山道に入った。少し砂利を含む荒れた道に自転車がガタガタと揺さぶられる。

 両親が他界し、小学校高学年になった頃、ようやく玖狼にも父親の言った言葉が理解できるようになった。それは唯一父の言いつけを破った時だった。母の形見のキーホルダを取られて、頭にきた玖狼はつい我を忘れ暴力に身をまかせてしまった。

 相手はクラス、いや小学校全体から見ても一、二を争うほどの大柄な体つきをした男の子だった。対する玖狼と言えば平均より少し下の体つき、周りから見れば喧嘩の勝敗は一目で判断できるような反則的な体格差だった。

「おい。それを返せっ…!」

「イヤだね、だってこの石の形かっこいいじゃんか。俺にくれよ」

「それは俺の大切な物だ。だから返してよ!」

「だからイヤだ、つってんだろうが!いいから黙ってよこせよ。どうせどっかで拾ったんだろう」

 拾っただと?

 コイツ、本気で言っているのか?

 母の形見を、そこら辺に落ちていた石ころと同じ扱いにするのか?

 玖狼の神経を逆撫でするような笑い顔を浮かべた少年は、母の形見を右手で軽くポンポンとお手玉をするように投げては掴んでを繰り返している。その様は、今はもういないはずである母の命を弄んでいるかのように見え、我慢の限界だった。

 あの時の自分は本当に表情豊かだったと思う。自分の顔を見ていたクラスの中でも真面目な部類に入る女子の一人が、血相を変えて職員室に先生を呼びに走っていくのが見えた。でも周りが見えたのはそこまでだった。

 玖狼は素早く相手の懐に入ると、少年の手にあった石を鮮やかに奪い取る。少年はあっという間に手の中の石を奪われ、一瞬呆けていたがすぐに我に返り玖狼のその行為に激怒する。周囲の連れ数人がすぐに玖狼を囲む。

「テメエ、覚悟しろよ!」

 そう言い放つ巨躯な少年とその連れがジリジリと包囲を狭めてくる。いつもの玖狼なら石を取り返したら直ぐに逃げただろう。しかし今回は違った。形見を勝手に奪われ、侮辱された事に激怒していた。玖狼を中心に円を描くように包囲した彼らは一斉に玖狼目掛けて手足を突き出してくる。女子の悲鳴と叫び声が教室に響き渡る。

 しかし玖狼はこの包囲をスルリと抜け出す。彼らの攻撃は玖狼からすれば児戯に等しかった。幼い頃から稽古してきた自分がこのような輩にリンチされるわけがない。隙だらけの相手の足元を順に足で素早く払っていく。次々に尻餅をつくように倒される少年達。そして最後にあの許されない言葉を玖狼に投げつけた少年の足首を力いっぱい払ってやろうと思った。

 両膝を折り、身体を屈めて右足を地面と水平にして勢いよく払うと、大柄な少年は盛大にすっ転ぶ。

 よし、やった。

「ああああぁぁぁっ!!!!!」

 玖狼に倒された少年は、左足を抱えて喚くような叫び声をあげた。教室どころか校内に響き渡りそうな大声で玖狼は我に返る。

 大柄な少年のすねから下の部分がありえない方向へ曲がった少年の足を見たのだろう。いつもは穏やかそうな笑みを浮かべていた女の子の表情がはっきりと歪んでいた。眉間には子供とは思えない程に皺がよっていて、頬は引きつり、口は小刻みに震えているのが分かった。その女の子の表情は玖狼が折った少年の足を見た所為なのだろうか、それともあの時、自分の常識の域を超えた能力を見てしまった所為なのだろうか。

 今ではもう分からない。

 そして玖狼の周りに人が寄る事は無くなった。皆あの時の玖狼の行動に驚き怯えたのだ。歩み寄っては離れられ、話しかけることすら叶わない日々が続いた。

 それは苛めではなかったが、とても辛かった。子供の世界は実に分かり易い。怖い相手には黙って従うか、近寄らないかの判断をするだけ。玖狼は力で他を従えるようなガキ大将的な気性ではない。そうなると必然的に周囲の反応は後者に限られた。

 プリントの受け渡しや班行動でどうしても会話しなければならないときだけ、クラスメート達は自分に話しかけてくれた。しかし、その時の彼らの怯えを含んだ目を見るのが玖狼は嫌だった。それを感じるのが苦痛で、でも人と話せないことも同じくらいに辛かった。

『ウサギは淋しいと死んでしまう』という言葉をどこかで聞いたが、それは人も同じじゃないかと本気で思った。幸い玖狼には姉がいた。独りではなかった。そのお陰で学校の孤独な生活に耐えることが出来た。

 そして独りきりだった小・中学校時代を卒業し、玖狼はやっとまともに話せる友達を作れた。でもやはり小さい頃のトラウマか、人の目を見る事だけは今も出来ない。顔を見て話すことはできる。でも意識して相手の目を見て喋ることは出来なくなっていた。

 これが父親との約束を破った代償だった。そう思って以来、両親とした約束と姉の言いつけにはきちんと従うようにしている。

 そんな過去を振り返っていると、山頂の野池が顔をのぞかせる。周囲の輪に中々踏み込めないでいる勇気のない自分と、本当の自分を見せたいと思う自分。自己のバランスが狂いそうになった時、同じような過ちを犯さないように気持ちを落ち着かせるため、よくここに来るようになっていた。優しくて暖かかったこの場所へ―――。

 自転車から飛び降りるように身体を草むらへ投げ出す。心地よい初夏の香りの混じった風が玖狼を包みこむ。仰向けに寝そべると、真上で輝く太陽が挨拶してくるようだ。

『やぁ、またきたのか。しょっちゅうこんなところに来て、お前友達いるのかよ?』と。

 友達はいるけどあいにく親友はいないんだ。そう心の中で答えると、玖狼は太陽に手をかざす。

 




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