1-11 作戦
玖狼は自分の部屋に戻ると、酒盛りをしていた昌虎達を呼んだ。そして、先ほど凛の部屋で起きた事を説明した。
「と言う訳で、ここは後二、三日で戦場になるんだ。だから昌さん達はどこかへ逃げて欲しい」
玖狼が言うと、昌虎が鼻を指で掻きながら、少し怒気の入った声で言う。
「旦那、それじゃあ春日の姫様と同じじゃあねぇか? あっしらは旦那に惚れてんでさぁ。旦那が姫様救おうってんなら、あっしらだって同じ気持ちでさぁ。これ以上冗談言うと、怒りますぜ」
その言葉に胸の中が熱くなる。
「ごめん昌さん、でも俺は昌さん達が死ぬのは嫌なんだ。だから、危なくなったら絶対逃げて。俺も自分が危険だと分かったら逃げるから」
「わかりやした。おめぇらもいいよな?」
昌虎に聞かれた他の四人も頷く。
「まだ両家の戦争には時間がある。なるべくなら戦争が起こらないような状況にもっていきたいんだ。なにか考えて対処できる方法はないかな?」
玖狼が聞く。すると才蔵と太一が顔を見合わせて、口を開く。
「旦那、あんまり大した情報じゃあないんですけど植村は最近、その、羽振りがとってもいいんですよ。国境のどこの市場で情報聞いても、植村は最近金払いがいいって話しか聞かねぇんだ」
「旦那の話の中でも植村は国力がついてきたって言ってたでしょ? 国力の増大って事は財源がしっかりしてるって事ですよね?」
腕組みしながら、源次郎が言う。
「そうだな。元々国力はこの春日と同程度しかなかったが、最近軍備に力を入れてるって話は聞いてたからなぁ」
「へぇ、じゃあやっぱり金ですよね?」
徳利を抱えたまま、小鉄が問う。
「でもどこからその金が出てきているんだ? 別に特産品があるわけでもないし、取引するようなものがあそこにはないんだぜ」
昌虎がそう切り出すと、才蔵が身を乗り出す。
「そこなんですよ。太一も俺も情報を集めるために、日頃からあちこち飛び回ってはいるじゃないですか。でも聞くのは金払いのいい植村って事だけで、その金がどっから出ているかは聞けないんですよ」
「俺も才蔵の兄貴も別に気にしていなかったから、探りは入れていないんですけどね。でも調べようにも……」
源次郎が暗い顔になる。
「未だ春日のお上でも調べられていない情報を、あっしらが調べるのは無理がありますぜ。確かに小回りや情報の速さにはあっしらに分がありやすが、調べる範囲は圧倒的に劣りますぜ。なにせウチは才蔵と太一しかいないんですからねぇ」
「せめて調べる場所が分かればいいんですがねぇ。場所が特定できれば、俺と太一でなら何とかなるのかも……」
「まぁ、出来れば調査場所の人の配置とかも分かると、潜入が楽でいいですけどね」
才蔵と太一の話を聞きながら、玖狼は引っかかるものを感じた。
「人の場所……、特定された場所」
考える。人の集まる場所、そこにはなにがあるのか……。なにか重要な事の気がしてならない。
「人……、特定……」
呟きながら頭の中からひねり出すように考える。
玖狼のいた時代なら、必要な情報はインターネットや情報誌で簡単に調べることが出来る。詳細な地形や設備の配置まで、宇宙から目を光らせる衛星がいる。
しかし、この時代にそんな便利なものは無い。どうやって、この状況から正確な情報を集め、分析できるだろうか。
八方塞。これがゲームならリセットすればいいのだが、そうもいかない。
焦燥感を落ち着かせるため、水の入った茶碗に手を伸ばそうとした、その時――――。
「そうか! 特定した場所! そこには何がある!」
そう言うと、玖狼は立ち上がり走りだす。
行き先は密の寝所だった。
「おい! 密、いるか?」
ノックもせず勢いよく襖を開ける。密はまだ起きていて、綺麗な朱色の櫛で髪を梳いていた。いつもの忍び装束ではなく、浴衣に着替えている。見慣れていない服装のせいか、玖狼は思わず目をそむけてしまう。
「どうした? なにか用か?」
密に少し不機嫌そうな眼差しを向けられる。
「あぁ、ちょっと聞きたいことがある。今、植村領地の地図と軍の配置が分かるか?」
照れを気付かれないように声を低くして言う。
「それならすぐに用意できる。なにせ近々始まる戦争に向けて、植村の軍の配備や情勢は調べる必要があったからな」
「頼む、直ぐにそれを持って俺の部屋に来てくれないか? 話したいことがある。もし俺の想像通りならこの争いは回避できるかもしれない」
密の紅い眼が釣りあがった。
「貴様……、それは本当か?」
「上手くいく保障は無い。けど何もしないよりはマシだろ?」
「そうだな。では貴様の部屋へ行くとするか」
玖狼は密の言葉を聞くと部屋の外へ出ようとする。しかし密は一向に部屋から出ようとしない。不思議に思い密を見る。すると密は明らかに不機嫌そうな目を玖狼に向ける。訳が分からない。
「どうしたんだよ? さっさと行くぞ」
あまりにも密が動こうとしないので促す。
「貴様は、貴様という奴は……私にこのような破廉恥な姿で、屋敷の中を歩き回れというのか……?」
そう言われて、玖狼は改めて密の姿を見る。
密は薄い浴衣姿で、いつもと違ってかなり露出の高い姿だった。
確かに密のスラリとしたスタイルと艶やかな黒髪、浴衣からはみ出ている太股と、整った顔立ちは色っぽく、改めて見ると思わず赤面してしまう。
「ご、ごめん。俺は先に部屋に戻ってるから、着替えたら来てくれ」
玖狼は来た時よりも勢いよく襖を閉めて、自分の部屋に戻った。
部屋に戻ると、才蔵と太一、小鉄が旅支度を整えて待っていた。昌虎と源次郎は酒を酌み交わしている。
「何してんの?」
思わず聞いてしまう。
「何って旅支度ですよ。これから情報を集めるんでしょう? なら早い方がいいじゃないですかねぇ」
「そうそう、作戦が決まり次第、すぐに行動に移せるように」
才蔵達は玖狼が何か思いつき、情報収集を頼んでくると想像していたようだ。その心意気が玖狼には嬉しかった。しかし、それも密の持ってくる地図と情報次第だ。これが玖狼の想像通りでないと、才蔵達を諜報に出すことは出来ない。三十分くらい待つと、密がやってきた。いつもの露出の高い忍び装束に着替えていた。それを見て、浴衣と大差あるのかと思ってしまう。
「またせたな」
密は一言いうと、床に座り地図を広げる。
「これが植村領の地図だ。我が春日とはこの山脈が国境となっている。我々のいる春日城はここ、国境の山脈から西におよそ徒歩一日ほどで到達できる。そして植村の主城である清定城がここ、国境から徒歩で二日ほどの距離になる」
密は春日城を指し、更におよそ真東である山脈の国境を指す。そして、その国境から更に南東にある清定城をなぞった。
「そして国境を越えるには必ず甲ヶ崎峡を通らなければならない。この場所は深い崖に囲まれた場所だ。ここで上手く迎撃を取れるといいのだが」
密はそう言いながら、細い顎を手のひらの上に乗せる。やはり密の頭の中には徹底抗戦の文字が浮かんでいるのだろうか。
「で、軍の配備はどうなんだ? 粗方つかめているんだろう?」
「あぁ、まずは主力部隊だ。清定城におおよそ六千、この内おそらく五千の部隊が実質春日攻略の部隊となる。歩兵二千に騎兵が千五百、そして鉄砲隊が同じく千五百……」
密の言葉に皆が驚く。
「鉄砲が千五百だって……な、なんて数だよ」
小鉄が細い目を開いて呟く。
「こりゃあ上杉や北条とやり合うのと変わりやせんぜ」
昌虎も頬に流れる冷ややかな汗を手で拭う。太一と才蔵もそれに頷く。
「植村の兵は全部で一万くらいだろ? 残りは何処にいるんだ?」
玖狼の言葉に密が首を捻る。
「どういうことだ? 貴様が知りたいのは主力部隊の情報だろう? 今更残った兵力をなぜ知る必要がある?」
確かに密の言うことは正論だった。今は春日に攻め入ってくる敵をどうするか考えなくてはならないのだ。やってくる敵にいかにして罠を張り巡らせるか、混乱に陥れるか、鬼謀策略を考えなければいけないのであると、この場にいる全員が思っていた。だからこの玖狼の質問には思わず首を傾げてしまったのだ。
「いいから、残った兵の配置はどうなっているんだ?」
玖狼はその周囲の反応にもお構いなしで、再度尋ねる。
「あ、あぁ残る三千の内、国内の警備と治安維持のため五百、上杉と北条の国境にそれぞれ一千、そして我が春日の国境である甲ヶ崎近辺に五百となっている」
玖狼は地図を移動する密の指をじっと追っていた。そしてその指が指した場所を見る。上杉の国境は森に砦を築き上げ、そこに常時兵を駐屯させているようだ。北条サイドも同じくこちらは三角州にある平野だがそこに砦を築いている。そして同盟国であった春日の国境には友好の証なのか砦らしきものはなく、小さな小屋のような地図表記がされていた。
玖狼はこれを見て、不敵に微笑んだ。その表情を見て密達は一層怪訝そうな表情になる。そして玖狼は地図のある場所を指す。
「ここだ。俺の推測だけど、ここにある物があるんだよ。それさえ掴めばこっちのもんだ」
昌虎と密が身を乗り出して地図を見る。
「ここは私もさっき言ったじゃないか、なんにもないさ」
密が呆れた様に肩を落とす。
「あくまで推測だ。でも俺にはそれ以外思いつかない。なら思いついたことを行動に移すまでだ」
玖狼は地図を指したまま、才蔵と太一、小鉄に言う。
「準備は無駄じゃなかったみたいだよ。才蔵さん達には、これから目一杯頑張ってもらわなきゃならなくなったよ。しかも俺の予想が当たっているのなら、これは最上の情報になるかもしれない。だからもし身の危険を感じたなら、絶対に引く事。お願いだから」
才蔵達は笑顔で応える。
「任せてくださいよ。こちとら逃げ足の速さだけは誰にも負けませんよ」
「そうそう、わが身が大事ってね」
「無理ならさっさと帰ってきまっさぁ」
密が頭を掻きながら続けて言う。
「こいつらだけではまともな情報など期待できまい。私達『赤鷹』からも応援を出そう」
「赤鷹?」
「あぁ、そういえばお前には言ってなかったな。『赤鷹』は私達春日の忍の呼称だ。上杉に『軒猿』、北条に『風魔』がいるように春日にも選りすぐりの忍部隊があるのだ」
「そいつは助かりますぜ。これでかなり楽になるぜ。なぁ太一、小鉄」
「そうだなぁ、『赤鷹』がいるなら、情報を得た場合も伝達が俺達と赤鷹で二通り確保できるし、より確実に旦那の元に持って帰ってこれるな」
才蔵と太一が頷く。小鉄は腕組したまま黙っている。
「小鉄? どうした?」
不思議そうに密が聞く。すると、小鉄の細い目が開く。
「姐さん、俺らに派遣されてくる『赤鷹』に女子はいるんですか?」
空気が一気に白けてしまうのを感じた。
玖狼も含め、皆その言葉に固まっていた。当の本人は少し顔を赤らめて、やや興奮気味である。
「で、どうなんですか姐さん?」
密は拳を握り勢いよく小鉄の顔面にめり込ませた。
「『赤鷹』には私以外に女子はいない! この破廉恥が!」
才蔵と太一はそれを聞いて少し残念そうな顔をしていたが、密にど突かれた小鉄を見て、直ぐに表情を修正していた。その反応が玖狼には可笑しくて堪らなかった。思わず笑い声が漏れてしまう。その笑い声に皆が反応する。
「あっはっは、小鉄さんもこんな張り詰めた状況で面白いことを言うなぁ」
「何を笑っている貴様! ぜんっぜん可笑しくない!」
密が想像した通りの反応をしたので、これがまたツボに入る。腹を抱えたまま呼吸を整えようとするが、全く上手くいかない。そして、これまた予想通りに怒りの篭った密の拳が、玖狼の顔面に食い込んでくる。
つられたのか昌虎と源次郎も小さく笑っていた。
「まぁそうだよな。くっくっく、女がいた方がやりがいも出るもんですぜ」
「そうだなぁ、確かにお前らの年の頃は、俺も女の事で頭が一杯だったなぁ」
才蔵と太一は苦笑いしか出来ない。その横で密が拳を鳴らす。
「貴様らも喰らうか?」
「まさか、冗談ですぜ姐さん」
「そうそう。まぁ、冗談はここまでにして、集めてくる情報はなんです?」
密に睨まれた昌虎と源次郎は、先ほどの崩れきった笑い顔とはうって変わり、真顔で玖狼に聞いてきた。この兄弟の変わりようの早さは、人生の先輩として見習う必要がありそうだ。
呼吸を整えて、自分の意図を話し始める。ここから先は憶測の話だ。例え憶測が間違っていたとしても、今はこれを信じてもらうしかないのだ。そう、まるで一本しかない道の先に深い崖や大きな壁がない事を祈り、ゴールへと続いていることを祈って。