1-10 暗雲
「しかし、旦那もあっしとかわりませんなぁ」
昌虎が豪快に笑いながら、茶わんに注がれた酒を飲み干す。
その日の夜、玖狼はいつもと同じように昌虎達と雑談をしていた。
「油断しているところに一本貰っちゃたんだよ」
玖狼が頭を掻きながら、申し訳なさそうに言う。
「それでもあっしはもう、旦那と手合わせする気は毛頭ないですぜ。旦那の腕は、あっしなんか足元どころか、小指にも及びませんわ」
「流石にそんな事はないと思うけどな」
「いやぁ、本当ですぜ。なぁ源、才蔵」
「へぇ」
「全く、あの強さは化物ですよ」
顎ひげの男と細い目をしたキツネ顔の男が言う。源と呼ばれた顎ひげの男は昌虎の双子の弟、源次郎で昌虎と瓜二つの顔をしている。
並んでいると見分けがつかないので、玖狼は口ひげで判断している。昌虎は口の周りにヒゲを蓄えていて、源次郎は顎にヒゲを蓄えている。
そして才蔵と呼ばれた、年は玖狼と同じくらいに見えるキツネ顔の男は、足が速く持久力もあり、主に情報収集役をやってもらっている。この国の情勢や他国との関係は大方この才蔵から教えてもらった。
「お頭も十分に強いんですがねぇ。それでも旦那には俺も一撃で伸されちまったしなぁ。流石にお頭でも稽古の際、俺を一撃で仕留めるなんて事は無かったですからねぇ」
腕組をしながら同意するのは小鉄。主に巻き割りや荷物の搬出入等の力仕事を担当していて、暑くなったこの季節から常に上半身は裸で行動している。力仕事を任されているだけあって、上半身を見るだけでもかなりのマッスルマンである。
「うんうん。密姐さんなんかは、今でも恐ろしいよ……」
「まぁ太一はそうだよなぁ。木で縛り上げられた挙句、強烈な尋問を受けたんだからよ」
才蔵が笑いながら言う。
「洒落にならなかったんすよぅ。本当笑えないです……」
太一と呼ばれた才蔵の隣にいる、童顔の優男は引きつった顔をして、チビチビと少しずつ酒を口に含んでいる。太一は才蔵と同じ情報収集を担当している。才蔵との間柄は先輩と後輩といった感じがよくあっている。
「しかし雪村様も中々の腕だなぁ」
「うんうん、今日も旦那に一発かましてましたしねぇ」
昌虎と源次郎が言う。
「確かにここ春日において一、二を争うと言われる武術の腕前だ」
「そう考えると、少数精鋭ながら俺たちの部隊は、春日でも最強の部隊に入るんじゃないんですかねぇ。旦那に密姉さん、それに雪村様とお頭、中々そろう面子でもないですぜ」
太一と才蔵が会話に加わる。二人は若いせいか、とんでもないことを口走る。
「馬鹿野郎、それはあくまで数が同じならって話だな。いくら旦那や俺達が頑張っても数が多ければ、とてもじゃないが勝ち目はねぇぞ。それに出過ぎた力は最初に狙われ易いんだぜ、敵にも味方にもな」
昌虎が徳利を口につけながら忠告する。
しかし玖狼は思う。
腕の立つ玖狼と雪村がいて、情報収集を行える才蔵と太一、力仕事は全般にこなせる小鉄、世間の情勢に敏感に反応して上の身分の常識から下までの常識まで精通している昌虎、源次郎兄弟。
そして腕も立ち、情報収集も出来る、オールマイティな存在である密、なかなか探して揃えようと思っても出来ない面子だろう。
確かに野に下っても、自力で何とかできるだけの能力は十分過ぎるくらいにあるだろう。しかし玖狼がその決断をした場合、密と雪村は絶対に付いては来ないだろう。
玖狼が頭の中でありえない想像をしていると、廊下をバタバタと走ってくる音が聞こえた。
「この音は密姐さんですねぇ」
才蔵が言う。この屋敷でこのように音を激しく立てて歩いてくるのは、あの女くらいだ。
忍びのクセに。
すると、そのバタバタがより早くなり、玖狼たちのいる部屋の襖が勢いよく開いた。そして肩で息をしながら、密は背筋の凍るような事を口にした。
「玖狼、逃げろ」
いきなりの言葉に目が点になる。続けて密は言う。
「ここは今から戦場になる。恐らく二、三日後だ。隣国の植村が攻めてくるそうだ、数はこちらの三倍はある、どう考えても勝ち目はない戦だ」
密は肩で息をしながら青ざめた顔をしている。この表情から、事態が深刻な状況であることが分かる。
「えっと、なにか? 逃げろって? 凛の護衛を辞めて?」
「そうだ」
呆然としたまま聞き返した玖狼に、密は答える。先ほど考えていたことが現実になり始めている事に動揺するが、玖狼自身その選択をするつもりはない。
「なぜだ? 俺は凛を守るって約束したんだ。戦争になるのなら俺は凛を守る」
「しかしこれは姫様が決めたことだ。私の本意ではないのだ……。私としても、貴様にはぜひ留まって欲しいと思っている……。だが、それで貴様が危険に晒されるのを姫様は恐れているのだ。私だって貴様がいなくなるのは寂しい、だからといって、貴様がそこまで私達の事情に振り回されることはない。貴様には自由に生きる権利がまだある。せめて貴様だけでも、という姫様の配慮だと思ってくれ………」
そういう密の紅い目が少し揺れていて、本当に玖狼との別れを悲しんでいるように思えた。
しかしその気持ちに応えてやるつもりは毛頭ない。
「おい、それは、さっきの事は本当に凛が言ったんだな?」
玖狼は腰を上げながら言う。
「ああ、そうだ」
「凛は何処にいる?」
「今はお部屋にいらっしゃる」
「そうか」
そう言うと、玖狼はずかずかと部屋を出て行ってしまった。
部屋に残された昌虎達はあまりの唐突なやり取りにポカンとしたまま固まっていた。
太一がボソリと言う。
「俺達どうなるんでしょうかねぇ……」
徳利を口につけたまま、昌虎が答える。
「さぁ……どうなるんだろうあなぁ」
廊下に出ると、やや早歩きで凛の部屋へ向かう。
(どうして、どうしてなんだ?)
自問自答を繰り返しながら、今までの事を振り返る。あの笑顔、言葉、どれをとっても凛は玖狼にそんな事はもう言わないと思っていた。
失う怖さを知っているからこそ、大切な人を守りたいと思う気持ちは分かる。しかし、それでも玖狼は凛を助けると約束したのだ。その約束に、凛は今までに玖狼が見たことがないような眩しい笑顔で応えてくれたのだ。
(なのにどうして)
何がどうなったらそんな事になるのか、玖狼には分からなかった。だから直接、凛と話す必要があった。
玖狼は凛の部屋の前に来ると声をかける。
「俺、玖狼だ」
「どうぞお入りください」
中から落ち着いた声が響いた。
玖狼はその声に苛立ちを感じながら襖を開ける。
すると凛は正座して、玖狼を待っていた。玖狼がここに来ることが分かっていたかのように。
「どういう事なんだ?」
「みっちゃんが伝えたとおりです。私の護衛をする必要がなくなったからですよ」
本当に感情のこもっていない声で言う。
「それは春日と植村で戦争が起こるからか? それで春日が滅ぶからなのか? 俺はお前を助けるって 約束したんだ。その約束を破る気はない、だからここを出て行く気はないぞ」
「その可能性もありますね。ですがもうこれ以上玖狼にご迷惑をかける訳にはいきません。私はもう自由にはなれないのですから」
「だからってなんでそうなるんだよ。俺にはさっぱりだ! なんにもわかりゃしない、何があったんだ?」
「そのまんまだよ。姫様は本当に自由じゃなくなったんだよ」
声のした方を振り返ると、密が立っていた。
「密……」
「今回植村の目的は何か分かるか? この春日の領地を狙う目的だ」
玖狼は首を振る。
「簡単に説明してやるからよく聞け。私も本当は貴様に話したくはなかったんだが、恐らくこういう展開になることは想像できた。そしてこの話を聞いたら、素直にここから立ち去ってくれ」
「それは俺が話を聞いて決めることだ」
密は少し哀しい目をして凛を見る。凛は黙ったまま密に向かって頷いた。
それを話の許可と取ったらしく密は説明を始めた。
「元々春日と植村は桜城家に仕える家臣だった」
「それは俺も知っている。桜城家が滅んだ時に分裂したんだろ」
密は頷きながら続ける。
「ああ、そして春日と植村は常に同盟状態として、外敵から家を守ってきた。しかし今回、植村が今までの友好的な態度から一転して、春日に降伏を勧告してきた」
「なぜなんだ? だって春日は同盟国だし、そんなことをして植村にとって良い事だとは思えない。春日を滅ぼしてしまっては、外敵からの攻撃に対しても対応出来なくなるんじゃないか? わざわざ危険を冒してまで、戦争をする理由がないじゃないか」
本当になぜか玖狼にはわからなかった。植村と春日の関係は才蔵に調べてもらっていたので、おおまかな情報は知っていた。だからといって、戦争になるとは到底思えない。
今まで仲良く手を取り合って来たものが、その手のひらを返すような行為に及ぶなど、玖狼には考えられなかった。
「しかし、植村は春日の知らないところで密かに国力を上げていた。そして、その国力の上昇を短期間でやっていたのだ。なぜ短期間で春日の三倍以上の国力をつけたのかはまだ分かってはいないが、植村が強大な国力をつけたのは事実だ」
玖狼の背筋に冷や汗が流れる。確かに兵力は絶対だ、多ければ力押しであっという間に春日は滅んでしまうかもしれない。
「そしてその国力を背景に、植村は春日に降伏を勧告してきたのだ。そしてその条件の中にどうしても呑めぬ項目があったのだ」
「それは?」
「姫様だ」
密は歯を食いしばりながら言う。
「姫様はこの辺一体の象徴だ。内密な話だが、姫様は桜城家の血筋を引いているんだ。そして桜城家は甲斐、信濃では神様の化身と呼ばれるほど、崇められているのだ。その象徴にして唯一の生き残りである姫様を、植村は欲しがっているのだ」
密は紅い目をさらに赤くし、拳を作りながら話し続ける。
「植村にはちょうど姫様と同じくらいの年になる、阿呆な嫡男がいるんだ。恐らく植村の当主はその阿呆な嫡男の嫁に姫様を、と考えているはずだ」
「っ!」
玖狼は言葉に詰まった。これは以前、凛から聞いた政略結婚というものだ。当然いずれは凛もそのような国同士の政略結婚に巻き込まれる可能性は感じていたが、現実味を帯びてくると、嫌悪感が堪らない。
そしてこの政略結婚と言うよりむしろ略奪婚に近い要求は、玖狼が領主の立場でも絶対にイエスとは言えない。
「そして当然、幸隆様もこの条件を退けられた」
「そうだろう。俺でもこんな要求には反吐がでる。俺なら戦う、勝ち目がないのなら、さっさと凛を連れて逃げる」
密が肩を少し落として、困った顔をする。
「そうだろう? 逃げてしまえばいいじゃないか。何にも縛られずに自由にさ」
両手を広げ相槌を求める。が、玖狼の要求には誰一人として答えない。
「貴様、今私がどれほどそれをしたいか分かって言っているのか?」
玖狼は違和感を感じながらも言う。
「そう思っているなら、やればいいじゃないか。俺も協力する。何で駄目なんだ?」
「貴様はもう少し頭の切れる奴かと思っていた。そこまで思慮が浅はかだとは幻滅だ。じゃあ聞くが姫様は今何処の姫様だ? 春日家の姫様だ。なぜ春日の姫様と呼ばれているか分かるか? 結婚もしていないのに、だ。普通なら桜城のお姫様だ! お前にその意味が分かるのか!」
密に怒鳴られて、初めて自分の愚かさに気付く。
凛は玖狼に話した時も、自分は春日の姫としてお世話になっている、と言っていたことを思い出す。そうなると、答えはおのずと判明した。
「そうか、凛は春日幸隆の嫁になるために、この春日家にいたんだな。そしてその結婚はもう最近まで迫っていた。もしくはこの状況で早まったのか。そして植村としてはその結婚が面白くない、というかむしろその結婚をぶち壊し、あわよくば凛を自分達のモノにしてしまいたい」
密はため息にもとれる相槌をしながら言う。
「そうだ、大体あっている。植村としては春日の結婚は阻止したい。そうしなければ、植村の家臣の中にも桜城の威光から、従わない者が出る可能性が多い。だから姫様と幸隆様が婚儀を挙げる前に、なんとしても春日を潰してしまいたいのだ、『姫を差し出せ、この条件がのめぬ場合、植村は春日を攻める所存』とな。幸隆様はこれを退け、姫様との婚儀を至急進めるおつもりだ。私も以前だが、浅はかにも姫様に逃げるように進言したんだが、姫様はそれを許しはしなかったよ」
密は凛に目を落とす。凛は哀しげな笑みを玖狼に向けて言う。
「私が逃げれば春日と植村は間違いなく戦争になります。そうなれば無関係な人達の血が流れてしまいます。私はそれが嫌なのです」
「しかし、幸隆様が姫様を差し出す事は絶対にありえません。ならば逃げてしまわれたほうが……」
密が段々と消え入るような声で言う。何度も言った言葉なのだろう、そして何度も拒否されたのだろう。
「じゃあ、このまま戦争になるのを待つしかないのか?」
「だからお前達だけでも逃げろと言っているのだ。私と雪村は姫様を守り、戦う」
玖狼は心の奥底で腹立たしい何かを感じていた。握った拳は振るえ、歯を喰いしばってもその感情は抑え切れなかった。
「ふざけるな!」
感情の堰が切れた。
「逃げろだと? 俺がお前や凛を捨てて逃げると思ったのか?逃げるなら凛も密も雪村達も一緒だ! 俺はお前等が死んでいくのが分かっているのに、ホイホイとその場を逃げ出すようなアホじゃない! 俺だけ逃げたら、絶対後悔するんだよ! 俺はもう二度と大事な人を失いたくないんだ!」
密の釣りあがった紅い目と、凛の蒼い目が丸くなる。明らかに玖狼の態度に驚いている。
大声を張り上げて肩で息をしながら、続けて言う。
「俺は戦争には参加しない、そんな欲望だらけの戦争なんか反吐が出るだけだ。でも凛が困っているのなら、俺は凛の手助けをする。俺はそんな個人的な思いやりとか、遠慮とかじゃなくて凛、お前の本音が聞きたいんだよ。前に俺に話してくれたように、お前の我儘が聞きたいんだよ! 自由に、縛られずに、自分で決めて生きていきたいんだろう?」
玖狼は凛を睨む。いつもは穏やかで優しい玖狼の眼は激しく怒っていた。
「私は、私は戦争など反対です。人が騙し、憎しみ合うのは嫌です。私は笑って生きたい、でもこの世界が……私にそういう生き方をさせてはくれないのです……」
凛は肩を落とし頬からは涙が伝っていた。
「では玖狼に聞きます。私はどうすればいいのでしょうか? 結婚なんかしたくないです。姫なんかやめてしまいたいです。平和で争いのない、そんな世界で、笑って過ごしたいのです……。でも私がそれを願うことで、大勢の何も知らない人々が死んでいくなんて、私には耐えられません! ねぇ……、どうすればいいの?」
凛に投げつけられた質問に対し、玖狼は何も応えられなかった。
本音を語ったところで、貴方にはどうすることもできないでしょう? そんな事を言われたような気分だった。
自分の人生は自分で決める、玖狼には当たり前の権利だった。しかし目の前の人形の様な姫様にはそんな権利が無かった。
よく親に敷かれたレールの上を歩くのが嫌で、とか何とか言う同級生達もいたが、玖狼はその考えに共感できなかった。その人を想い、レールを敷いてくれる人がいるだけありがたいと思わないのか、と思った。
玖狼は姉と二人で自分達のレールを敷き、脱線しそうな時は二人でカバーし合い、乗り越えてきた。どちらが良いのかという結論は人それぞれだと思っているのだが、同級生達は学校を卒業すれば、玖狼達のように新しいレールを自分達で考え、作り始めてその苦労を知り、その上を走っていくだろう。
凛の場合、春日家に来た時には既に脱線すらできない、強固なレールが組みあがっていて、後は死ぬまでその作られたレールの上を走っていかなければならなかったようだ。それはそれで、苦痛以外のなにものでもないのかもしれない。
玖狼が何も言わずにいると、凛はスッと立ち上がり、奥の寝所へと消えていった。密は目を閉じて腕組し、壁にもたれかかったままだった。
暫く無言の時間が続き、密が部屋を出ようとした時、玖狼は口を開いた。
「凛は自分のせいで大勢の人が死ぬのが嫌だと」
「そうだな。お優しい方だ」
「戦争を止めさせる方法はない」
「あぁ」
「でもそれは現状で、だろ?」
「そうだ」
「戦争は後二、三日で始まってしまう」
「早く立ち去るんだな」
「まだ時間はあるって事だよな?」
密が目を丸くする。
「貴様は何を言っているんだ?」
「まだ、戦争を回避できる方法を考える時間があるって事だよ」
玖狼は密の横を通り過ぎながら部屋を出る。
「はぁ?」
「俺は諦めない。あいつのレールなんか、俺がぶっ壊してやる!」
玖狼は右手を挙げて左右に振る。湊家独特の決意、了承の仕草だ。その仕草を密は知らないので、口を尖らせ顔を傾けていた。
どうも、結倉です。
今日は一気に二話更新しました。
如何だったでしょうか?
次回からまた週一更新に戻りますが、
これからも玖狼達をよろしくお願いします!
ミスや御意見、質問は感想欄やメールで頂けると
幸いです。
作品の質の向上の為、是非とも御協力よろしくお願いします。