記憶力はあるが情緒がない婚約者は僕をダメにする
オリヴィエ・マロウは侯爵家の令嬢であるが、他の令嬢と比べても貴族として特別に秀でた才覚があるわけではない。
けれども社交界では恋のトラブルを瞬く間に解決する令嬢として恐れられている。
彼女を一躍有名にしたのは、3年前の(当時の)王太子様による婚約破棄騒動だ。
男爵令嬢に熱をあげた王太子様が、婚約者である公爵家の令嬢に男爵令嬢を虐げたと罪を着せ、婚約破棄だと教室で喚き散らしたことがあった。
その場にいたオリヴィエが、公爵令嬢だけでなく、クラスメイト全ての数ヶ月前からの行動を記憶していたことから、多数の証言が集まり、冤罪が証明された。
学業の成績は普通だけれど、人間観察における記憶力が異常だと、学内でしばらく話題になった。
♢
「ミルベリー様」
肘にそっと触れた指先の感触で、少し現実逃避していたことを思い出した。婚約者のオリヴィエは、困り顔で僕を見上げている。
「話はオリヴィエの言う通りだろう。裏を取るのなら、その日の名簿を取り寄せ、関係者から話を聞くのも可能だが」
今回はとある侯爵家の三男の“初恋の君”である金髪の少女が、人違いだったという話。
初恋の君は、子爵家の姉妹の姉の方だった。義母や妹に虐げられ、金色の髪を茶に染められていたのだ。
妹は姉になりすまし、自分がその相手だと偽っていた。三男は髪色だけで妹を初恋相手だと思い込み、周囲に惚気ていたところ、オリヴィエの耳に入り……
オリヴィエは、「なぜ皆さんは覚えていらっしゃらないのか不思議です。姉妹の姉の方が輝くように美しい金の髪だと褒めてらしたのに」と、悪気なく周囲の者の心も折った。
僕は、宰相である父の力を頼り、証拠をかためるのが常。今回も当時の茶会の参加者から裏をとれば真実はわかるだろう。
「マナーがなっていない令息が、庭を走り回って頭を打って、通りすがりの令嬢に膝枕されただけで恋する程度なんですから、間違えてもおかしくないですわね」
「こらこら、それは心にしまっておくように」
どんなきっかけであれ、恋に落ちれば全ては瑣末なこと。三男と姉が結ばれる物語に、これ以上の介入は無粋だ。
三男が本当の初恋の君を見つけ、姉も彼が初恋だった。それでいい。
恋が叶い、不幸な境遇から救い出された令嬢の笑顔が少し羨ましくもある。
僕がしばらくその様子を眺めていたら、オリヴィエが隣に並び、僕の顔をみて少し考える素振りを見せた。
「オリヴィエ?」
「……ミルベリー様の初恋はいつでしたか?」
「……そういうことは気になっても聞かないものじゃないかな」
「そうですか。私は、初恋がまだなのでどういうものなのかと思いまして」
「……そういうことも言わない方がいいね」
僕はため息を我慢して、笑みをつくると、オリヴィエは少し首を傾げて頷いた。
僕とオリヴィエはいわゆる政略結婚だ。それは貴族の家に生まれた者なら受け入れなければならないことだが、それに反発する者が少なからずいることも理解はできる。
幸いなことに僕はオリヴィエに恋しているから、貴族に生まれて良かったと思っている。
彼女の気持ちは全く僕に向いていないのは置いといて。
オリヴィエと初めて出会ったのは10歳のとき。
その日もオリヴィエは恋のトラブルを解決していた。公爵夫人の浮気疑惑をあっさり否定し、噂の出所も見抜いたのだ。
噂好きの夫人たちがつまらなそうに扇をたたみ、まだ幼かったオリヴィエは微妙な空気を察し、視線を彷徨わせ、目が合った僕に後始末を投げた。
僕は、流行りの吟遊詩人が我が家に滞在している話をして注意を逸らし、なんとか空気を戻した。
それ以降、オリヴィエは僕を頼るようになり、家同士もお互いに利益になると踏み、2人を婚約させた。
それから10年経つが、オリヴィエがこれまで僕以外を頼ったのを見たことはない。それは好きになるには充分な理由。
♢
帰りの馬車でオリヴィエは珍しく黙りこくっていた。いつもなら、翡翠色の瞳を輝かせて高位の貴族や令嬢たちの良い所作を語ることが多いのだけれど。
「オリヴィエ? 具合でも悪いの?」
そっと手を重ねれば、ピクリと指先が動き、俯いていた瞳が、僕の方を向いた。
「……す、少し疲れただけです。ご心配かけてすみません」
オリヴィエは手を引っ込め、身を縮めた。
僕は避けられた気がして胸が少し痛んだけれど、「今日は大変だったからね」と声をかけ、姿勢を正した。
オリヴィエにとって不本意な婚姻だとしても、僕が大切にして愛を育めばいい。そう思っていても、心に広がるやるせなさはどうしようもなかった。
♢
そんなある日、とんでもないことが我が身に降りかかった。
王太子様(3年前の王太子の弟)の結婚式に招かれていた獣人国のレーミファ王女が、僕を番だと言いだしたのだ。
僕は絶望で目の前が真っ暗になった。
唯一救いがあるとすれば、その日、体調不良でオリヴィエがおらず、抱きつかれたのを見られなかったことくらいか。
絶望したのは、僕が王女の番だったからとかオリヴィエとの婚約がダメになりそうだからではない。
好きでもない相手からの求婚は、迷惑でしかないとわかったからだ。
ーーオリヴィエも、同じ気持ちだったら?
そう考えると、僕の心は痛みでどうにかなりそうだった。
僕は気分が優れないことを理由に無理矢理その場から離れた。王女は追いかけてこなかったが、父に何やら熱心に話しかけていた。
帰宅後、父からは「近いうちに話し合いの場を設ける」と告げられた。
僕は、先にオリヴィエと話し合いたいと言えば、難しい顔をされた。
政略でもなく僕の意思も関係なく、番だからという理由だけで、こんなあっけなく自分の世界が崩れることに、僕は再び絶望した。もちろん一睡もできなかった。
翌朝、執事が慌ただしい様子で部屋に飛び込んできた。
「ミルベリー様! 急いで支度を」
「なにがあった?」
寝着のままだった僕は立ち上がり、促されるままに支度をする。
「レーミファ王女が、オリヴィエ様を連れて、ここに向かっているそうです」
「……面倒なことになりそうな予感しかしないな」
「オリヴィエ様がおりますからね」
大事になりそうなのに、なんとなく緊張感がないのは、これまでオリヴィエが修羅場を台無しにする場面を多く見てきたからだろう。
僕と執事は顔を見合わせ、ため息をついた。
支度を終え、広間に行けば、両親とレーミファ王女が険悪な雰囲気で向かいあっていた。
王女の背後では獣人国の護衛が周囲を威嚇し、侍女たちは震え上がっている。
――なんだこの空気は。
階下におりれば、王女に笑顔を向けられ、隣に座れと促された。
「僕はここで」
父の後ろに立ち、オリヴィエの姿を探せば、この場にはいないようだった。
「2度も言わせないで。隣に座りなさい」
威圧感のある命令を王女からだされれば、従うしかない。僕は渋々隣に腰掛けると、手を重ねられた。慌てて引っ込めようとすれば、馬鹿力で握られた。
――おいおい、ちょっと待ってくれよ。
なんだか逃げきれる雰囲気ではない気がする。冷や汗が背中をつたったとき、涼やかな声がした。
「少し席を外しているあいだに、何があったのでしょう。ミルベリーさま?」
「いや、僕も今来たばかりで」
オリヴィエは僕が王女に手を握られているのを見たが、表情は変わらなかった。そのことに少し寂しさを感じる。
「オリヴィエ様、改めてお願いするわ。わたくしとミルベリー様は番なの。こちらの王にも確認したのですが、その場合は婚約を白紙にできるそうなの。だから、ミルベリー様との婚約を解消してくださる?」
王女が何を言うかはわかっていた。父も止めないなら決定事項だろう。わざわざ意地悪なお願いをする王女に、人としても受け入れられないと悔しさがこみあげる。
オリヴィエはポカンとした表情で王女の言葉を聞いていたが、聞き終えてなぜか笑みを浮かべた。
「王女様は、獣人としての矜持をお捨てになられたのですね」
そのひと言に、獣人国の護衛たちが一斉にオリヴィエに殺気を放つ。オリヴィエはいつもの困った表情を見せるだけで恐れる様子もない。さらにオリヴィエは続ける。
「だって、王女様の番は宰相様でしょう? 私が7歳のとき、王宮の園遊会で宰相様に熱い視線を向けているのを見かけましたよ。駆け出そうとして護衛達に抑えられていましたでしょう?」
驚きの内容に思わず王女の様子を窺う。
王女の表情は変わらないが、指先が微かに震えていた。
「ある書物に書かれていましたけど、獣人国では番に既に伴侶がいた場合、番を奪うのは大罪なんですよね? 大罪を犯さないよう、絆消しを施す救済があるとも書かれていました。でもその様子だとまだ諦めていませんね。容姿が似たミルベリー様を手に入れて我慢することにしたのか、それとも最終的には宰相様と番う気だったのでしょうか」
次々と発覚する事実に、僕も両親も開いた口が塞がらない。
ようやく王女が言葉を発した。
「なぜ、お前は私の命令に素直に従わない? お前などわたくしの一存でどうとでもできる」
強い言葉だが声音は弱く、王女は動揺を隠せていない。
「なぜって、ミルベリー様のお父様の危機ですもの。できることはなんでもしますわ」
オリヴィエの圧倒的強さを前にして、王女はたじろいだ。
「……そ、そうだ、書物……あの書物は王家の者しか閲覧できないはず。なぜお前のような娘が知っている?」
「あのとき、書物を持ち歩いていたのは王女様じゃないですか。テーブルに開きっぱなしで宰相様に熱い視線を向けてらした隙に、覗いただけですわ」
王女が大きな音をたて勢いよく立ち上がると、従者の1人が王女の前に膝をついた。
「レーミファ様……これ以上はやめておきましょう。レーミファ様のお立場が悪くなります」
「いやよ……番のいない王女は私だけだもの。目の前にいるのに諦めるなんてできないわ!」
父に向けて伸ばした王女の手を、もちろん父はとらない。
「すまない。わたしは妻を愛している。あなたは、あなたを愛してくれる人を見つけてほしい」
父が頭を下げ、母は王女に感情のない視線をおくる。王女は顔を歪めその場に座り込み、静かに涙を流した。
騒動がおさまり、僕とオリヴィエの婚約は継続となった。
改めて彼女の意思を確認したかったのに、オリヴィエは何かと用事があり、会えない日が続き、僕の不安だけが募っていた。
そうして、ようやく会えた今日。
オリヴィエはよそよそしい態度で目も合わせない。僕は泣きそうな気持ちを奮い立たせ、笑顔をつくる。
「オリヴィエ、このあいだはありがとう。危うく連れてかれるところだった」
「……」
久しぶりに会えた婚約者は、落ち着かない様子で、せわしなくドレスのシワをのばしている。
「……何か、僕に言いたいことが?」
僕は覚悟を決めて尋ねる。オリヴィエが望む未来があるなら、それの邪魔はしたくない。
オリヴィエはしばらく迷うそぶりを見せたが、意を決したように、口を開く。
「……ミルベリー様は、普段はあまり表情を出さない方ですが、私と話すときは口元が緩んで嬉しそうに見えるんです。だから私だけに特別な表情を見せてくれているって……ずっと思っていて……
でも……別の令嬢に同じ笑みを浮かべていたのを見て、私だけじゃないって気づいて……先日も王女様に手を握られているのを見たら、苦しくなって。
それで、私は……ミルベリー様への気持ちに気づいたんです。そうしたら、今までの行いが恥ずかしく思えて……」
辿々しく語る姿に、僕は胸がいっぱいになる。
「……あー……君は本当に……僕の心を簡単に揺さぶるね……」
体中が熱くてそれしか言えなかった。
抱き寄せて、僕はずっと君が好きだよと伝えれば、オリヴィエは真っ赤になって俯いてしまった。
やっと気持ちが通じ合う喜びは、なににも変えがたく尊いもので、僕はそれを知ることができただけで幸せだと思う。
その後、僕たちは結婚し、忙しい日々を送っている。
妻は相変わらず、人の恋の近道を示しがちだが、人探しで役立つことも多く、皆に頼られ楽しそうだ。
そんな妻を眺めているだけで幸せを感じていたら、彼女が急に頬を染め、口にした言葉に僕は卒倒しかけた。
「旦那様はずっと昔から私をその顔で眺めていました。私はずっと愛されていたのですね」
ああ、やっぱり僕の心を狂わすのはオリヴィエしかいない――
読んでいただきありがとうございました。
勢いで書き上げたので、色々と気になるところはあると思いますが、ハッピーエンドだしいいか、で流していただけたらと思います。




