白い鳥 14
「エルザのお友達ですか?」
少しおっとりと小首をかしげて話しかけると、エルザが「姫さま」と、喘ぐように私を呼ぶ。
話を中断された相手は不快そうに、整えられた栗色の眉をきゅっとしかめながら――それでも貴婦人の礼をとり、探るように名を尋ねる。
「ええ。わたくし、エヴァキス家のシャルロット・ジル・エヴァキスですわ。――貴女は?」
「エルザの知り合いです。――申し訳ありませんがエルザと先約がありまして……。失礼ですが今宵は失礼させて頂きますね。」
三人の様子を気にせず、取り合えず、エルザを三人と壁の間から掬いあげる。
もちろん、名乗りを上げないのも、話している最中に連れ出すのも、無礼とされている訳で。
「ちょっ!―-先約があるからと言って、貴女。少し失礼すぎではありませんこと?」
案の定、憤慨したように水色のシャルロット嬢が声を上げる。
「そうですわよ。どういう事ですの?!」
「きちんと、名乗らせられませ!」
――三人セットでしか話せないんかい、君ら。
すかさず横から入る合いの手に、どうしたもんかなと周りを見渡す。
そうして少し考えてから、きちんと三人に体を向け――結果、わざと名乗らないことにする。
「申し訳ありませんが、事故にあいまして――記憶不明瞭の為、正式な名を名乗ることは出来ませんの。」
あまり派手に耳目を集めるのもなんだけど、少しは目立たんと囮にならないし。……利用させて貰いますかね。
小さく頭を下げれば、案の定。
「んまぁ!――お聞きになりまして?」と、艶のある唇をゆがめて、少女はどこか勝ち誇ったように、嘲るように言う。
どこかで見た事のあるそれは、相手を見下し、これから嬲ろうとするオンナの顔だ。
「では貴女、ご自分の家名も思い出せませんの?」
「家柄も分からず、正式名乗りを上げられないなんて――ありえませんわ。」
「ですわよね。たとえ自分のことを忘れても、親を忘れるなど信じられませんもの。」
追従の二人の同意を得て、ますます強く頷くシャルロット嬢。
その言葉と、強い薔薇の香りに――ふいに、嫌悪してやまない、有名ブランドの香りを思い出す。
「家名を忘れるとは、親を忘れることと同義。――…エルザも大したお知り合いをお持ちですこと。」
その瞬間、目の前の情景と一切関係なく、唐突に脳裏に浮かんだのは――懐かしい父の声だ。
――もうやめて下さい。姉さん!橙子は事件のショックで記憶が混濁しているんです。
――だってあなた、こんな小さな双子も抱えて、女手無しにどうやってやっていくのよ。あんな女との間に5人も子供を作るから……。幸い、あなたも若いんだし……ね。
「――……っ!!」
私の後ろから、色をなしてエルザが何か言おうとするのを、やんわり手で押しとどめ――柔らかく首を振る。
「本当に。家名を忘れるなんて、到底信じることができませんわね。そもそも私達、貴族と言うものは――…。」
――とにかく。他の子はともかく、あれは手元から放しなさいな。それがあなたの為なのよ。
――何度も言いますが、僕は再婚する気も、あの子を施設に入れる気も無いと言っているんです。
――でも今回の件で、警察が来たって聞いたわよ。案外、火をつけたのは……
――姉さん!!それ以上言うなら本気で怒りますよ! 母親を亡くしてショックを受けているのは他ならぬ子供たちです!
「…――って、ちょっと貴女!聞いていらっしゃいますの?!」
変わらず、微笑を保ったまま黙り続ける私に、苛立つような声が被る。
「言い返せる事など、無いではなくて?」
「実際、そういうお育ちなのではありません?――身分卑しい人間が紛れ込むことは、残念ながら皆無とはいえませんものね。」
くすくすと、獲物をなぶるように、いきいきと楽しそうに語り合う少女たち。
そんな相手に我慢が聞かなくなったのか。
エルザが私の制止を振り切り、初めて言い返した。
「エヴァキス様っ、さすがに少しお言葉が過ぎますっ。」
明らかに格下と見下していたエルザの反論に、シャルロット嬢の頬にさっと朱を注ぐ。
「っ!自分の血筋を誇り、そこに課せられた責務と向き合わずして、貴族とは名乗れませんわっ!! まぁ、けれども、ほら、皆さん。――…そもそもエルザだって……。あの噂。」
「ああ。そう言えば。本当ですわよねぇ。」
くすくすと笑い声。
「結局、出自は隠しようがないと、そういう事ではないのかしら。」
蒼白な顔をしたエルザが立ちすくむのを見て、少女達はますます愉快そうに同意する。
……むせ返る薔薇の香り。
――だって、おかしいじゃない。亡くなった母親のことだけ忘れるなんて。
――まさに……
「ええ。まさに鬼畜の所業ですわね。」
これ以上無いほど柔らかな笑顔とともに、小首をかしげてにこりと笑う。
「え……。あ。」
私の口から出た言葉が信じられなかったらしい三魔女が、一瞬絶句する。
気圧されたような顔をしながら、尚も言い募ろうとする小鳥たちを、笑顔で黙らせると、
「本当に。私もそう思います。……養女にまでと思って下さったシルヴァンティエ様にも、それをお許しくださった陛下にも、申し訳立ちませんわ。」
真っ白な顔をしたエルザの冷たい手をとり、にっこり笑いかける。
「ちょ、っと。――…どう言う事ですの?」
「へ、陛下の名を、家名も覚えていない下賎な人間に出されたくはありませんわっ」
「下手な見栄は、見苦しくってよ!」
ああ。君ら、ほんとに、きゃんきゃん五月蝿いな。
憤慨したように、尚も言い募ろうとした三人娘に、小さく肩をすくめる。
――ほら、バトンダッチだ。
「そちらに居られる姫の言っていることは、本当だ。」
「「「シグルス様っ!!」」」
私とエルザの後ろから聞こえた、低い低い、冷静な声に、冷えきったエルザの小さな手が、びくりと震える。
振り返りもしない私たちの横に現れたのは、いつもと同じ騎士服に身を包んだ灰色狼。
そして、いつの間にか私たちの周りには、不自然ではない程度に、――けれども確実に周囲の耳目を遮るように、給仕の人間が間に立っている。
――流石。優秀な他の”鳥”の皆さん。完璧だ。
「大怪我をなさって、こちらで養生されていた姫君と、面識がおありか?」
桃色のドレスが、アイスブルーの瞳に射抜かれる。
「いえ、私たちは……」
弁解しようとした少女の前に、頬を染めたシャルロット嬢が、さっと間に入り――上ずったような声を上げて、他の二人を遮る。
「そうですの!――実はもしかするとっ!以前こちらの姫君に、お会いしているような気がしておりましたの。」
一転して、精一杯の笑顔で頷き続ける、残りの二人。
――そんなに、いいのかソレ。……人の首絞める男だぞ。
どうやら組織的には、この三人を”使う”より、この場から排除した方がいいとの判断がついたらしい。
表面上は丁寧に、けれども冷静な表情を崩すこともなくシグルスが、「それでは少しお話を。」と、少女たちを促し、それとなく別室へと退場させる。
夢見心地でシグルスにエスコートされている表情を見れば、これから緩やかな尋問が待っているとは思いもよらないのだろう。
社交界に出ると言う事は、成人するという事。
徹頭徹尾、少女らしかった三人は、――いみじくも自分で言っていた通り、貴族女性として課せられた責務と向き合う事になるだろう。
去り行く背を、横目に見ながら小さくため息をつき、冷え切って震え続けるエルザの手を、労わるように叩いた。
「――……―。」
その拍子に、深く俯いたエルザが、小さく何かを呟いた気がしたけれど――それは華やかな宴のざわめきに紛れて、私の耳には届かなかった。