白い鳥 6
「まるで本当の養い親を失ったかのようだと言っていたフォリアの話と、以前聞いた話から思ったんです。トーコがショウガクセイで亡くした母君の年齢と、シルヴィアの年齢は同じ位でしたよね。」
思いがけない言葉に息が止まった私に、意を決したようにレジデは話続ける。
私の少しの変化も見逃さまいと、真っ直ぐに見つめる琥珀の瞳。
その様子は、ずっと胸に秘めていた物を吐き出すかのようにすら見えた。
「よく…覚えていたね。」
口を開いて、でも何も言えなくて。
何度かその空しい作業を繰り返し、ようやく、そう一言言葉を返す。
私は母親を亡くしたことを、あまり人に言ったことが無い。
実際、レジデに亡くなった母の話をしたのも、一度だけのはずなのに。
それでもレジデは何か不思議な確信でもあるのか、揺らぎない、力強い言葉で先を続ける。
「トーコの亡くなった母君とシルヴィアは、似ていたんじゃないですか?トーコはシルヴィアに、母君の姿を見ていたのではないのですか?」
「何故、そう思った、の?」
何故だか息苦しい気がして、胸に手を当てた私に、ぽつりとレジデが呟く。
「――オカアサン」
「……え?」
「トーコの名より先に、私が一番最初に覚えた、テッラ語です。これは、母親のことを指し示すんじゃないですか?」
覚束ない発音で、けれども明らかに「お母さん」と言ったレジデを絶句したまま見つめる。
「ど、うして。」
息が苦しくて、うまく紡ぎ出せない言葉を、それでも拾い上げてレジデが答えた。
「トーコの治療をしていた時、寝込んでいた時。度々うなされていたトーコが言っていた言葉です。」
ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい。
「辛そうに何度も言っていたので……覚えました。」
呆然とソファに沈み込んだ私に、長い沈黙のあと、ためらいがちに名を呼ばれる。
「――………。」
何も答えられずゆるゆると首を振り、静かに頭を抱え込むと、ぱたりぱたりと、心配そうにゆれる尻尾の音が、静かに部屋に響く。
――…まいったな。
長い沈黙の後に、胸の中に浮かんだのは、そんな言葉。
思いを馳せれば、胸の奥には長年慣れ親しんだ、ちりちりとした鈍い痛みが広がる。
お母さん――毎日保育園で口にするその単語を、自分の母親を思い出して唇にのせたのは、どのぐらい前だろう。
「……トーコ。」
レジデに、ためらいがちに、何度目になるか分からない名を呼ばれて、ようやくぽつりと、乾いた声が零れ出た。
「わからない。」
「………え?」
「わからないんだ。」
首をかしげる気配と、その他人のような自分の声が、何だか可笑しくて、小さな乾いた笑いが唇から零れ出る。
「トーコ?……大丈夫ですか?トーコ?」
くすくすとした笑い声に、少し焦ったような、レジデの声がかぶる。
「ごめん、ごめん。……大丈夫」
狂ったわけじゃないよ。
……否。もしかしたら、最初から狂っていたのかもしれない。
顔を上げれば、向かいのソファから立ち上がって、こちらを焦って心配そうに見つめる琥珀色の瞳と目が合う。
ああ。駄目だ。こんなんじゃ。
「ごめん。また心配かけたね。」
そう言って、笑いかけようとして、失敗する。
かわりに浮かんだのは、苦笑いともつかない自嘲の笑み。
……まさか意識のない時のことまで、思いもよらなかったなぁ。
「比喩じゃなくてね。本当に分からないんだ。」
その答えに、戸惑ったような顔で、小さく首をかしげるレジデ。
ああ。いつだって本気で心配してくれる彼らに、これ以上、私が逃げてはいけないのかもしれない。
何故だか、その瞬間。やはり断罪の鎌を振り上げるのは、彼だったのだと不思議な感慨を持って、その言葉をつむぎだす。
トーコじゃなくて、橙子の話。
「あんまり聞いて楽しい話じゃないかもしれないけど、私の話。少し聞いてくれるかな」