白い鳥 2
さてと。ぐだぐだ言っても仕方が無い。
一度大きく体を伸ばしてから、資料を手元に寄せて覚えやすそうな順番に分類しようと試みる。
とは言え、これ聞きなれた佐藤、高橋、山田、渡辺……みたいな名前だったとしても、辛い分量。人名と地名の違いすら分からない私には、まったく知らない人間の経歴を覚えるのには限度があるよね。
そう暫く悩んでから、ふと思いついてメイドさんに幾つかの物を貰えないか頼んでみた。
とりあえずこのままじゃ、覚え切れないのは確実だし、何でも試す価値はあるさ。
そうして格闘すること少々。
――うん、こんなもんかな。
トランプに似た4色のカードのデッキに最後の文字を書き込んで、大判の地図の上に並べて……よし、完成。
出来上がった見た目は、面白みの少ないボードゲーム。
保育園で作った知育ゲームと同じ発想だけど、幾つかの法則性をつけながら、名や経歴を書き込んで、多角的な分類が出来るようにしてみた。
即席にしては結構良い感じかも。
出来栄えにひとしきり満足して、地図の周りをぐるぐる回る。
やはりここは北方に領地を持つ人間から覚えていくべき?
それとも領地の広さや、役職、もしくは権力の強さから覚えていくべき?
どこから手をつけるか悩みながらも決め手に欠けて、夢中でぺたぺたとカードを動かしながらブツブツと暗記する。
時間内に覚えきれるか、焦燥でまったく周りが見えなくなった頃、ふいに、ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐった。
ん?
不思議に思って視線を上げれば、いつの間にか部屋の片隅に現れたティーワゴンと焦げ色のドレス姿。
あれ?エルザ?
「アーラ様。切りが良ければ、少しお茶でもなさいませんか?」
にこりと笑う手元には、ふわふわのシフォンケーキと紅玉色の果実のゼリー。
小さく切られたサンドイッチは、二種類のパンを使って色鮮やかに。
横に添えられたクラッシュアイスの沢山入った背の高いグラスには、淡い黄色のティカクテルがいかにも涼しげに入れられている。
一分一秒が惜しいからと、即座に断ろうとした口が、それを見て思わず喉を鳴らした。
う。おいしそ。
いやいや。いかん。……すっごい美味しそうだけど、流石にちょっと時間が無い。
「あー…。うん。ごめん。ちょっと今は、切りが悪いと言うか、時間が無いと言うか…」
カードに目を戻しながら、断腸の思いで断ろうとした私に、いつもより更ににこやかな笑顔で、エルザが私の言葉をふさぐ。
「アーラさま。兄が何を言ったかは想像がつきますが、根を詰めすぎるのは体に良くないですわ。…お昼もきちんと食べていらっしゃらないと聞きましたし、ほんの五分でも良いから休憩するべきです。」
看護婦の貫禄十分に、にっこりと笑顔でつめ寄られる。
ああ。お昼はシグルスの講義を聴きながら何か食べた気がするけど、何食べたっけ。
カラリと氷がグラスの中で滑り落ちる音に、ついに集中していた意識が霧散する。
確かに、水の一滴も飲まずに集中し続けるには限度があるかも。
同じ姿勢で固まっていたせいで、ぎしぎし音がしそうな体をソファに沈めれば、すかさず目の前にお茶の用意がなされる。
「でも元気になったアーラ様に、またお会い出来て嬉しいです。これが春祭りでお会いする人たちなんですか?」
「うん。もうね、アプローチ変えないと、覚えられないんだ。」
エルザは私が”鳥”だとは知らないけれど、記憶をなくした私が「訳あってシグルス指導の下で、社交界の勉強をしている」と、説明してあるから、今の状況を見られても別に問題は無いはずで。
「夕刻の鐘までに最低限このリストの人間を覚えないといけないんだけど、どうにもこうにも進まなくて。」
思わずエルザにぼやいた私に、エルザは「この分量を、ですか。」と、目を丸くする。
やっぱ、多いよねぇ。
そして暫く、ポットを手にしたまま、小さく口を窄ませながら思案顔になる。
こげ茶基調の落ち着いたスカートに、山吹色と白で刺繍がされたドレス姿のエルザが、なんだか子リスがドングリを抱えたまま、どこから食べようかと思案しているようで愛らしい。
「お役に立つか分かりませんが、失礼しても良いですか?」
と、前置きを置くと、カードと横にあるペンを手に取る。
ん?
「――こちらの騎士のソルレイ様は、大柄で無骨な方ですが、実は動物が大好きで、特にふわふわのウサギを溺愛されています。ご本人はひた隠しになさっているようですが、王都にあるお屋敷にはウサギの為だけのお部屋が幾つもあるそうですわ。……それから、こちらの細身の北方領土のギフレイス様は、ご本人も細面で目の細い、キツネに似た方で…」
さらさらと、キツネや可愛らしい兎の絵がカードに足される。
「また、こちらのカーン様は、非常に女好きで有名です。ディガス伯爵家から嫁がれた奥様も非常に悋気が強い方なので、若い娘をお屋敷に奉公させたがる人間が、中々いないと聞いています。それから――…」
と、そんな風に、わかりやすい外見的な特徴や、それぞれの力関係、人柄が分かりそうなゴシップを交えて、エルザはカードにキーワードを書き足していく。
「こんなところでしょうか。」
きゅっと、最後のカードにペンを走らせて、あっという間に個性あふれるカードの山が出来た。
いやいやいや。ちょっと待て。
凄く分かりやすくて嬉しいけど、王城に普段から伺候していないはずなのに、何でエルザ、こんなに詳しいの??
思わずぽかんと見上げれば、
「皆さん入院生活も長くなってくると、人恋しくなってきて、色々なお話をしてくださるんですよ。」
と、小首を傾げて照れくさそうに小さく微笑む。
編み上げた髪に刺した、小さく揺れる小花の髪飾りが、彼女の人柄を表すようで良く似合う。
じゃぁこれは何か。
負傷した騎士団員や、ラルシュの手伝いでお世話した人から聞いた、生の声なの?
甲斐甲斐しく世話をするエルザは、病人の聞き役としても最適らしい。
しかもエルザは町の治療院だけでなく、王宮や高等治療院にもラルシュの看護婦助手として出かけているせいで、情報の範囲が広い筈。
隠れたところに、凄い情報通だ。
「それと、同じ派閥の方はまとめて覚えられると良いと思います。大抵皆さん、派閥のトップの方に、追従するように傍にいらっしゃることが多いですし。」
白い手がデッキから手早くカードを数枚取り出して並べると、それらを中心に、派閥別に下に小さなピラミッドを作る。
「派閥に入ってないカードは、外国の方や、中立派の方です。両方にとって有益で、立ち回りが上手で中立に回れた方が、こちらのグループ。あとは陛下の不興などを買って、グループから遠巻きにされて中立になってしまった方が、こちらのグループです。――この位しか分かりませんが、…… 少しは、お役に立ちますでしょうか?」
少しなんてもんじゃないよ~~~!
高速で頷きながら、エルザに残りの人物ファイルも手伝ってもらう約束を、平身低頭でとりつける。
ほんと、助かります。いや、まじで。
結局、強力なブレインの存在が、気持ちを少し軽くしてくれたのも手伝って――夕刻の鐘が鳴る頃、なんとか約束の分量を覚えることに成功した。
ふう。




