白い鳥 1
カルディス、ベディット、カエルダン。
ええ……と。……ユリエンス、リュネット、ギフレイス。
それからアールド、シャーナウ……ソルレイ、ループ、クルドース。
スティルタン、オルリー…ト?ト?ド?
ラングが来てファンタレス。あと最後に……東のビンニス!
「3点」
眉間にしわを寄せないよう、空を睨みつけないよう、何とか笑顔を湛えたまま50名近い人名を並べ立て終わった私に、アイスブルーの瞳と同じく情け容赦ない一言が降る。
「最後の20人がまだ怪しい。ビンニスではなくヴィンイス。それとオルリートではなくオルリード、だな。」
ぐっ。
何十回と繰り返した口頭テストの失敗に、思わずがっくり疲れて、作り笑いも引っ込む。
ちっくしょ、今度こそいけると思ったんだけどなぁ。
オルリード、オルリード、オルリードと、間違えた名前をぶつぶつ唱えながら、宙をにらめば、気分はすっかり初めて九九を覚える小学生だ。
そんな私の前に、ばさりと音を立てて、ぶ目厚い紙束が机の上に置かれた。
「何度も言うが、これはお前が春祭りで最低限会う人物のリストだ。――”鳥”となる以上、完全に覚えなければ意味が無い。」
はい。分かっておりますよ、コーチ。
いや軍曹。と、胸のうちでこっそり呼んでシグルスを見上げれば、相変わらずの氷を閉じ込めたような、冷徹な瞳と目が合う。
「時間が無いのは分かっているとは思うが、せめて本日夕方までに、最重要人物の名前と略歴は暗記しろ。」
書棚から幾つもの資料を並べた指導役は、さらりとスパルタな事を言いながら、私の記憶が怪しい人物たちの領地をもう一度、指で指し示しながら確認を取る。
その説明は分かりやすいものだったけど、流石に人間、記憶力には限度があるぞ。
「努力はします。ですが、せめて暗記は今日中じゃ駄目なんでしょうか。」
やる気はあるんだ。やーるー気ーはー。
何せここは時の館と違って、記憶定着の魔法とか出来ないわけで、これ以上無いほど真面目にやっているつもりですよ。
とは言え、朝一から連れてこられたシグルスの館で、エルザと感動の再開もつかの間、ノンストップでスパルタ教育を施されてみい。
午後にもなれば、煙も上がる。
マジで少しは宿題にして欲しい。
そう思った私に、シグルスは潔癖そうなくっきりとした眉を、片方上げて一言。
「音を上げるには早いぞ。最終的にはこの倍の人間の経歴を覚えてもらう予定だ。」
はうっ。……マジ、ですか。
今度こそ、がっくしと頭が垂れる。
行儀作法でワルツを覚えろって言われるよりはマシだけどさ、こっちの名前に慣れてない私からすると、結構な苦行ですよ。
カンペ作ったら駄目かね。
そんな煙を上げている私を、いっそ見事なほど華麗にスルーしたシグルスは、ちらりと時計に目を走らせる。
「これから毎日勉強会は続けるが、今日の夕方は王宮に登城する。もう大して時間は無いぞ、集中してやれ。」
「今日もお城に行くんですか?」
うおい。聞いてないですよ。
「お前の当日の役割は目立つこと、そして情報を仕入れること、この二点に尽きる。――が、他の人間はそうはいかない。お前を中心に組み直された事柄も多い。……最低限の”鳥”への面通しをする必要がある。」
ああ。なるほど。
春祭りまで日は無いし、写真を撮ってメールで送れるって世界でもない。
他の”鳥”と面会とまでは行かなくても、遠目から私の姿かたちを見せといたほうが良いって事なのかな。
私も当日、王宮で迷子になりましたじゃ、話にならんしなぁ。
「とりあえず、次の鐘がなるまでにもう一度来る。それまでにこの分だけは完璧にしておけ」
分厚い紙束の中から、最重要人物の略歴を手早く抜き出しながら、目の前の机に並べられる。
「あまり細部を知りすぎれば害にもなるが、最低限のことは覚えてもらわねば、こちらとしても遣りようが無い。少なくとも足手まといに成らぬよう、注意しろ。」
表情と同じく、言葉もそっけないほど無表情。
けれど、何て言うのかな。
以前みたいに不審がられているわけじゃないのは、肌で感じる。
前は、お互い平然と話していても、一瞬の隙を狙って襲い掛かられそうな、見えない何かと戦っている感じが、いつでもあった。
今はそういった無言の圧迫が無いせいか、以前だったらカチンときていたこの物言いも、特に気にならなくなってきたぞ。
「返事は」
「……鋭意努力致します。」
とは言え、今度はそれがなくなった代わりに、スパルタ教官モードが入った気がするけれどな。
まぁ、前よりはマシだと思おう。
雰囲気としては、やんちゃ坊主が交番でお巡りさんの前に座っていた気分から、使えない部下を持った上司の前で、居残り残業させられているサラリーマンってところか。
幾つかの指示を出して、部屋を出ていく灰色狼の後ろで、改めて渡された紙束の厚さに、こっそりと、もう一度ため息をついた。