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世界のカケラ  作者: viseo
王宮編
83/171

春の宴 16

 一しきり飲み食いして、店を出たのは月も天高く上った頃。

 寒さが緩んだ、生暖かい春の風が頬を撫でる。

 隣に歩くフォリアの手には、宿屋に預けてあった葦毛の馬の手綱。

 男物の靴に包まれた足で感じる、ごつごつとした石畳の感触が、心地良い。

 周りを包むのは、酔客の立てる微かなざわめきと夜の街独特の危うさ。そして、胡乱うろんな優しさだ。


 ネオンも無ければ、チェーン店の居酒屋も無い。

 呼び込みの声も、塾帰りの子供も、仕事を終えたOLだって勿論いない。

 夜の街ですれ違うのは、人も人外も剣を携えた男のみだ。 

 当たり前のように、女子供は家の中で守られる――ここは、そういう世界なんだと、心の底から実感したのは、今がはじめてかもしれないな。


「こうやって見ると、お前の姉が王都で市井に混じって働くのは難しいといった意味が分かるだろう?」

 馬の蹄の音を聞きながら、小さく頷きを返す。

 うん。今日は本当にいろいろなことを勉強した気がするよ。

「そうですね。それにようやく自分が、根本的な考え違いをしていた事にも気がつきましたし。」

「考え違い?」

 思い込みといっても良いかもしれないな。

「――…貧乏貴族の娘だろうが、町娘だろうが、頼れる親戚がいない女性が暮らしを立てていくには、”仕事”よりも”結婚”を考えることが普通なのだと、その事実に今更ながらに気がついただけです。」

 そう苦笑と共に伝えると、道の終わりで器用に手綱を引き寄せていたフォリアが、軽く目を見開く。

 それは無言の肯定だ。


 私がテッラ人だから自活するのが難しい。

 それはある意味では本当だよね。

 けれども、女が自活を考える。そのこと自体が、既にこちらの世界では異質な考えだということまでは、思いもしなかった。

 天才技師のシルヴィアや看護婦志望のエルザ、そして館のメイドさんたちのような、仕事を持つ女性を目にしていた分、労働による自活が可能だと思い込んでいたけれど、本当は違う。

 こちらの女性に擬態するならば、庇護されることを受け入れる。きっとそこから始めなくてはいけないんだろう。

 

 苦いため息をついた私の横で、フォリアが手早く馬に乗る準備をしながら苦笑する。

「自分で気がつくとは思わなかったな。かと言って、それは受け入れられないだろう?」

 そりゃそうだ。

「こちらで結婚詐欺になる気はありませんよ。」

 経歴詐称で無理矢理どこかに勤めるよりも、偽装結婚のほうが遥かに面倒ごとが多そうだしね。

 小さく答えた私に、フォリアは軽く笑いながら、器用に私を馬の上に押し上げた。 

 ぐんっと高くなった視線におびえる前に、慣れた手つきで私の後ろにフォリアが乗る。

 楽しかった夜のお散歩もお終いだ。


 厚い胸板と腕に守られるようにして、軽く走り出す馬の上、蹄鉄の立てる音が小気味よい。

 遠ざかる夜の喧騒。星明りの下、広場を抜け、橋を渡る。

 やがて一際大きな川沿いの道に出たところで、トーコ。と、少し改まって私の名を呼ぶ声が、背中を伝った。


「確かにお前が市井に混じり、自活する事は難しい。――…とは言え、祭りで人の耳目を集めてしまえば、もはや今の生活は望めない。それが”鳥”ともなれば、尚更だ。」

 いつの間にか変わった景色のように、ネルの口調から戻ったフォリアの顔は見えない。

「今ならば、何とか取り成してやる。――請けた仕事を取り下げる気は無いか。」

 きっと彼は、最初からこれを言いたかったのだろう。

 夜の街を流れる川の音と、蹄の音を感じながら、ふと、そう思った。


「今更、ウィンス家が保護しているアーラ姫を無かったことには出来ない。しかし、せめて今の日常を守ることならば、何とかしてやれる。――シルヴィアの件を諦める気は無いのか。」

 フォリアがいて、レジデがいて、二人の元で自分の世界に戻る。

 それは甘い毒のような、甘美な誘惑。

 フォリアがシルヴィアの事を大切に思っていないわけじゃない。

 近しい血族の中で、唯一シルヴィアと連絡を取っていたことからも、それは分かる。

 それでも星空の下、一言一言をかみ締めるように伝える声に、私の身を案じる彼の気持ちを感じて、申し訳なく、心の内で謝罪しながら首を振ると「頑固者」と、まるで答えが分かっていたかのように、ため息一つとともに返された。


「――あいつも心配するぞ。珍しく怒るかもしれないな」

 脳裏に浮かんだレジデの心配そうな顔には、ぐうの音も出ない。

「……ごめんなさい」

「まぁ、あいつが怒るのを見たことが無いがな。心配するのは本当だろう。」

 少し緩んだ男の声に、さらさらとした川の音がかぶる。

「レジデには、きちんと自分で説明します。」

 もしテッラ人だと言うことが判明した場合、一番困った立場になるのは彼だ。

 それを忘れているわけじゃないよ。


「私も一つ聞いて良い?――フォリアは密偵なの?」 

 今聞かないと、もう聞けないかも知れないと、程なく屋敷だと言う所まで来て、今日一日、ずっと胸の内にあった疑問を男に問う。

 それに返ってきたのは、いつもより少し深い自嘲の笑いだ。

「言うなれば、それを狩る猟犬か。」

 クリストファレス専門のか。


「クリストファレスのスパイはユーン公爵家につながりがあり、年若い魔術師。――この人物像に一番一致しているのが俺だからな。……しかも公爵の血を引く一番年長の男にも関わらず、その姓は大公爵のものではない。当然、強い恨みがあるはず――宮廷内の常識で考えれば、まず、いの一番に疑われるのも納得出来るだろう?」

 ああ。それは確かにありそう。でも、

「今はもうその疑惑が解けてるのでしょう?」

「俺が時の館に詰めていた時にも、王宮への不正侵入が認められたからな。」

 そういえば、フォリアは時の館の前任者だとレジデが言っていたっけ。


「あそこは入退出が魔方陣に全て記録される。しかも内の数回は、ロワンが時の館に同行している。ロワンが目の前にいるとなれば、絶対的なアリバイだろう? 程なく無罪放免だ。」 

 そうだったんだ。じゃぁ、もしかしてレジデも?

「該当しそうな魔術師は、片っ端から調べられている。勿論、あいつもだ。」

 片っ端からって、いったいどれだけいるんだか。

 それだけクリストファレスのスパイ問題は、大事なのだろう。

 なんせ相手は巨大な軍事国家だし、過去には数度、刃を交えた事のある国。

 無関心ではいられまい。


「とは言え、レジデへの疑いは非常に薄い。普段から王宮に伺候出来る立場ではないし、時の館に詰めていたからな。俺とは違って、何か拘束を受けたわけではない。」

 拘束まで、されていたの?

 さすがにそこまでとは、思ってみなかったよ。

「第一級容疑とは、そういうことだ。……お前も似たようなものだろう?」

 ああ。自覚は無かったけれど、シグルスでの治療期間を拘束と言われれば、確かにそうかもしれないね。

「そうして容疑が晴れてから、お前と同じように、とある願いをかなえてもらう為、陛下の御前に願い出た」

 感情の分からない、色の無いとつとつとした声が、カケラとなり、見えなかったパズルのピースのように、ぱちりぱちりと収まる。


 誰だって、代償無しに物事を進めることは出来ないのだ。

 

――…私はこれから何を失い、何を得る事が出来るのだろう。

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