春の宴 15
ぞわぞわする拒否感に胸の内で絶叫すること、ひとしきり。
三十路目前で、小鹿だの乙女だの言われて、拒否感が無い人間がいたらお目に掛かってみたい。
しかも相手は、決して恋愛対象にならないであろう、半保護者のようなイイオトコ。
顔が良いのが尚悪い。
さらりと流せる対等さも無く、醜態さらしまくった一夜の記憶と、ここ最近のいっぱいいっぱいの精神状態と相まって、妙な空気に耐え切れずに、ついに混乱したまま小声で叫ぶ。
「いい加減、大人をからかわないのっ!」
……………。
…………………………。
………………………………………ん?
目の前の、見たことも無い程、無防備な絶句した顔と、凄まじい違和感。
そしてようやく、自分が無意識に何を言ったか悟って、慌てて謝罪する。
ごっ、ごめん!
赤くなったり青くなったりしながら繰り返す謝罪に、先程までの空気はどこへやら。
カウンターに片手を突いて頭を抱え込み、声を抑えて爆笑するフォリアをはじめて見たよ。
「相変わらず、”姉”をそういう風に言われるのは嫌いなようだな。」
一しきり笑った後、笑いすぎで目尻にうっすら涙さえ浮かべてる剣士が、そう口にする。
「分かっているなら結構です。……今後は是非、自重して下さい。」
あれだけしか飲んでないのに、実は結構酔ってるのか?私は。
失言の恥ずかしさのあまりに、やや口調は恨み節。
しかし、その発言には、にやりとした笑みを返された。
「この位の美文調は、お貴族様や王宮での嗜みなんだろう?子供ですら、破れた紙一枚すら華美に表現する世界だ。――王宮では、言う方も言われる方も、この程度で顔色を変える人間などいないと聞くが?」
え。 マジですか。
ぞわぞわしながらも、思い出す。
言われてみれば、確かにシルヴィアへの王宮からの通信文も美文調だった気がする。
元の世界だって、未だに公式文書や論文を美文調で書く国があるぐらいだ。
これも一つの文化……ですか、ね。
「お前の田舎ではどうだか知らないが、ここは王都だ。王宮で、この程度の装飾表現を流せないのであれば――…今後の仕事に関わるぞ。」
ふむ。なるほど。
私がこう言う表現を非常に不得手としているのを分かって言ったのは、それを教えたからだったのか。
そう得心しながら、小さく頷く。
ただの酔っ払いの嫌がらせと思って、申し訳ないです。
ゴメンナサイ。
「冗談はこの位にしておいてだ。――少なくとも、後ろ盾が無い貧乏貴族の女など、王都では犯罪を呼ぶものでしかないことだけは、頭に入れておいた方が良いぞ。」
結局いつもの結論に戻ってしまうのか。
けれども、本当の上位貴族のフォリアが市井に馴染める技術があるならば、やりようによっては、私にも望みはあるはずよね。
忠告を聞きながらも、それをしっかり胸に刻み込む。
「そんな事情も知らずに上京して、働き口を探す女性はどうするんですかね。」
「落ち着く先は、例えば、こう言った宵客相手の給仕だな。」
「市場の手伝いは出来ない?」
治安の面でも、どうせなら、日中働く仕事が良いのだけど。
そう思いながら、今日見た市場を脳裏に描いてフォリアに問いかければ、夜はどこに帰るんだと、冷たく返される。
「それは……たしかに」
「それにギルドを通さない求人と言うのは、粗悪店でギルドが拒否したか、仕事が劣悪でギルドでは誰も応募しないからの、どちらかしかない。」
つまり碌なもんじゃないってことか。
「住み込みでの宿屋の皿洗いくらい、”姉”でも出来るかと思ってたんですがね。」
進退窮まって、椅子に体を預けながらぼやくと、
「やめとけ。宿屋の親父に喰われるか、たちの悪い客に部屋に連れ込まれるか、良くて死ぬほどこき使われるかの、どれかだろうな。」
あっさりと、フォリアの非情な一言に打ち砕かれた。
――本格的に、まいったな。
文字通り頭を抱えた私に、突然、嬌声めいた甲高い声が降ってきた。
「あ~~~ら。美味しそうな男が何二人で隠れて飲んでるの?」
凄い香水の匂いに慌てて顔をあげた先、まず目に入ってきたのは、巨大な胸の谷間。
そしてそこに挟まれている、ペンと注文用紙。
先程の色気過剰なウエイトレスが、フェロモン全開で、カウンターの向こうから覗き込んでいるのだと気がつくのに、数秒かかった。
お、お姉さん。一歩間違えれば、服からその巨乳がはみ出ますよ!?
思わずわたわた目が泳ぐ私の横から、フォリアのやんわりした声がかかる。
「その辺にしとけ、純情な雇い主をあまりからかうな。」
「ネル。ちゃんとお仕事してるんだぁ~。――…でも、仕事が無くなっても、いつでも私がお世話しちゃうわよっ」
ラメの粉を飛ばしそうな勢いで、ウインク一つ。
そ、そうか。もし私が伝手も無く、一人で働くとすると、…こういう所なのか。
背中に何とも言えない、冷や汗が流れる。
それでも、そのフォリアと気安い様子に、恐る恐る市場調査とばかりに問いかけてみた。
「あの。夜遅くまで仕事していて、危ない事は無いんですか?」
すると、何を言われたのか分からないと言った風情で、真っ赤に塗られた唇と、ラメの強い目元が、ぽかんと固まっている。
――ああ。聞くんじゃなかったかな。
そう後悔し始めた横で、彼女は唐突にフォリアの腕を掴み、ガクガク揺すりはじめた。
「ちょっとぉ。ネールー。何、この素敵なご主人様っ!!」
「依頼主ではあるが、主人ではないぞ。」
律儀に訂正するも、まったく聞く耳持たない風情で、彼女はずいっと顔を近寄せる。
「心配してくれるなんて、ほーんと、うれしっ。――でも大丈夫よぉ。あたしたち、結構これでも強いんだから。」
そう言って突き出されたのは、海外のバレーボールの選手を思わす、長く太い腕。
ビールグラスを一度に幾つも持つ手も、私よりも確実に二周りは大きい。
日焼け止めすら存在しないのだから、シミソバカスが散るのも当たり前の胸元は、しっかりとした大胸筋が、そのたわわな胸を支えている。
――たしかに、首や手足の長さや胸元に隠れていたけれど、結構な筋肉質な体つきかも。
思わず目をむく私に、手元にある片手鍋とフライパンをそれぞれ手にくるりと回して、うふふと笑う。
「ね。変な事されたら、返り討ちにしちゃうわぁ。」
そ、それは凄そうだ。
後ろから、いい加減にしろと店主に怒鳴られて、彼女が大量の投げキッスと共に去っていくと、何だかどっと疲れが出た。
「――…お前の姉に、あそこまでの芸当が出来るか?」
うう。
少なくとも、同じ動作を真似したとしても、周りと同化するのは難しそうです。
力なく首を振れば、俺もあんなアーラは見たくないと、小声で返された。