春の宴 13
とっぷりと日も暮れ、夜の帳が下りた街の一角。
目の前に伸びる、木で出来た細く薄暗い階段。そっと男物の無骨な靴に包まれた足をのせれば、予想通りにぎしりと軋む。
その音に少し怖気づいた私の背中を、なめした皮のマントごと催促するように大きな手が押すと、階段の先に粗野な雰囲気の一枚扉が現れた。
「分かっているとは思うが、男言葉で話せ。」
私の耳元でそう言って後ろに立つのは、夜色の髪を隠した長身の自由剣士だ。
いろんな意味で戸惑いながらも微かに頷くと、小さく笑う気配と共に、重い扉が押し開けられた。
うっわ!
瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの騒がしい喧騒と、むっとするほどの酒とタバコの匂いが、一気に身体の中に入って、くらりとする。
低い天井にこだます、酔客独特のざわめき。
薄い金属の皿やブリキのコップの立てる金属音。
真っ赤な口紅とソバカスだらけの肩を大きくむき出しにしたウエイトレスが、赤ら顔の男達の間をすり抜ける。
煙の向こう見えるのは、ビヤ樽の様な二の腕を持つ剣士や、鞭を腰にさした爬虫類のような獣人族達だ。
――す、凄い。
どうしていいか分からず戸惑う私を、フォリアは慣れた仕草で奥のカウンターに誘導すると、カウンターの奥からかけられた隻腕の大男のだみ声に、軽く手を上げ応えた。
「おーぅ。ネルか。」
「久しいな親父。」
「何だぁ。珍しい。…随分お上品なのを連れてるじゃねぇか。」
うっ。
大男にじろりと一瞥される。
早速不自然なのが、ばれたのかと、小さく首をすくめる私の横で、フォリアは気にした風も無く、悠々と軽く笑い、肩をすくめて答える。
「まぁ。たまには仕事をしないとな。親父のツケも払えん。」
その一言で、フォリアの顔見知りらしい酒場の主は破顔して、大きく頷く。
「そりゃそうだ。」
「いつもの臓物の煮込みと、酒をくれ。――それとコイツにも、何か軽く食べるものを。」
フォリアは軽く手を上げて、馴染みの店独特の気軽さでそう言い放つと、カウンターの片隅――丁度階段の影に当たる場所に、まるで指定席かのようにするりと滑り込んだ。
「で、どうだった?」
完全に周りの雰囲気に飲まれている私に、長身の剣士は金属のカップを手に取って、にやりと笑い、問いかける。
何度見てもそこにいるのは、王城で見た、上位貴族であるウィンス卿には見えなくて、ネルと呼ばれる一人の自由剣士。
いつもより粗野な言葉遣いを平然と操り、使い古したマントからのぞく腕は、付け焼刃ではない剣を生業とした人間独特の雰囲気を醸しだしている。
もしかして、これもフォリアのもう一つの顔かな。
だって全然、付け焼刃感が無い。
いくら、艶のある髪を隠し、手先や顔に薄汚れた風を出すために小細工を弄したとは言え、そんなものは高が知れている。
実際、同じような小細工をした私が、浮きまくっているのを見れば、この風景に当たり前のように馴染んでいるフォリアの方がおかしいと言えるわけで。
「…驚きました。」
そう思いながら、正直に胸の内を答える。
もちろん口調は、さっき注意されたように、男言葉だ。
今の私の服も、もちろん昼間のドレス姿とは違って、旅人風の上下にフードのついた男物の皮のマント姿。
髪はわざわざ砂のつけた手でひとつに結び、腰には使えないけど小さい剣まで差している。
――設定としては、領主のお使いで上京した、世間知らずの貧乏貴族、三男坊。…あたりらしい。
そんな私と一緒にいるフォリアは、説明無くとも”雇われた護衛”にしか見えないと、本人に自信たっぷりに言われてしまった。
どうやら、それは今の所、成功しているみたいだ。
「歩き回って喉が渇いているだろう?とりあえず飲め。」
目線でも薦められて、色気過剰のウエイトレスが持ってきた、冷たく冷えた金属のカップに口をつける。
――あ、美味しい。…っていうか、美味い。
色も味も、故郷で見た黒ビールに近いそれを、二口、三口と飲み進めれば、緊張もゆるゆると自然と解けていく。
思わずほころんだ私の顔を見て、フォリアことネルは、ちらりと口角をあげた。
「今日は朝から疲れたろう。」
う~ん。まぁ。
まさか初めて国王陛下に会った王城からの帰り道、高級服飾店をはじめとする、あちこち連れまわされるとは思わなかったし、ましてや途中、宿屋でこっそり着替えて、街に下りれるとは思ってもみなかったよ。
水で落とした香水の匂いをさらに消すために、宿屋の馬小屋の中まで入って少し掃除までした念の入用だしね。
「今夜を逃すと”仕事”が忙しくて、ここには来れなくなりそうだったからな。」
そんな私の横で、臓物の煮込みをつつきながら、フォリアがさらりと呟く。
”鳥”になると言った以上、昨日までの一日と、明日からの一日は、まるで意味が違うのは当然だ。
先に控えた春祭りまで、色々用意する事がある。
そんな中、フォリアは時間を無理矢理作って、お前の見たがっていた”一般市民の王都”を見せてやると、連れてきてくれたのだ。
「いえ。連れて来てくれて感謝して…るよ。」
おっと。
するっと、女言葉が出そうになってしまった。
途中で無理矢理、語尾を変えた私に、男は面白そうに目の色だけで肯定する。
「故郷と違うものが多いので、非常に楽しめましたよ。」
ああ。久しぶりに男言葉を話すと、やっぱりこちらの方が性にあうなぁ。
「上地区と下地区。どちらが好みだった?」
市街地の上地区には行っていない。つまり上とは王城、下とは労働階級の市民街のことだろう。
「もちろん下ですね。小売店ひとつひとつが興味深いし、特に銅の市場は面白かったですね。あの夕暮れの店舗の撤退は見事でした。」
アルコールの助けと、今日一日の興奮もあって、疲れはあれど口は滑らかにすべる。
そうして、一しきり話していると、追加で頼んだ焼き鳥が来た。
肉汁滴るあつあつのそれは、故郷で見た焼き鳥よりも随分大きくて、パッと見は牛串みたい。
一体、どのぐらいのサイズの鳥さんなんだい?君は。
そう思いながら、抵抗無く、がぶりと大きめの口で、かぶりつく。
隣の美貌の剣士が、唖然とした後に、声を出さずに肩を震わせて笑っているのは、スルーだスルー。
うん。アツアツで美味しいね。
タレじゃなくて塩なのが、また好み。
好物のタコワサは流石になさそうだけど、これはこれで、中々良い~~。
フォリアの館のご飯も美味しいけれど、こういう食事は性にあっているなぁ。
そうして、夢中で焼き鳥と格闘していると、ふと、こちらをじっと見つめる、フォリアの真面目な顔に気がついた。
――どしたの?
男装をしているとは言え、流石に行儀が悪かった?
ちょっと反省しつつも、小首をかしげて、無言で問いを促せば、僅かな逡巡ののち、フォリアが思いもかけない事を、口に乗せる。
「アーラン。お前はこのまま、こちらにいる気は無いのか?」




