春の宴 11
「何故ゆえ、それを望む。」
深く頭をたれた私の上に、静かな声が降る。
その深みのある声は、私を責めるものでも、冷たいものでもなかったけれども、人の上に立つ者だけが持つ、有無を言わさない強さがあった。
ゆっくりと顔をあげ、静かなその黒い双眸を見つめながら言葉を紡ぐ。
「王宮にいては、シルヴィア様はシルヴァンティエ姫としてしか生きる事が出来ません。それでは例え意識を取り戻したとしても、生ける屍と同じです。…再び、天才技師シルヴィアとしての自由を認めることが出来ないのだとしても、せめて、どうかせめて、権力闘争の見えない郊外での療養の許可を。」
昔暮らしていた、魔術学院の秘密の部屋でも良い。
誰も知らない屋敷でも良い。
シルヴィアをシルヴァンティエに戻さないならば、どこだって良い。
そしてそれを実現出来る人がいるとするならば、この目の前に座る人しかいないのだ。
半ば、すがるような気持ちでフェルディナント二世を見やれば、なるほどなと、ひとつ声を上げて、国王は思案顔でゆったりと顎をなでた。
けれども。
「シルヴィアは公爵家を出奔しているとはいえ、王族にも近しい身分。この状況下で外に出す事は現実として出来んな。」
冷静に答えられる。
やはり。
予想通りの答えに、ぐっとお腹に力をこめる。
「ならば仮初めの死を与えてでも、その御名と身分を剥奪する事は出来ませぬか。」
不敬罪で投獄されても可笑しく無いような事を言った私に驚いたのか、それとも流石に不快だったのか。ちらほらと白いものが混じった形の良い眉が、微かに動いた。
「随分思い切ったことを言う。」
「申し訳ございません。」
今一度、深く頭を下げる。
「しかしながら陛下。あの峡谷の古塔にシルヴィア様が住むのを許可なさったというのは、陛下御自身と伺っております。それは、陛下のお気持ちの中にも、シルヴィア様を王都から逃がしてあげたいとのお気持ちがあったからではないのですか。」
もし現状を変えることが出来るとするならば、国王のこの気持ちを盾にするしか私には方法が見つからない。
叱責は承知の上だ。
そうして、どのくらい時がたったろう。
「……ヴィアは、シルヴィアは、あの塔でどの様に過ごしていた。」
ふと、唐突に思いもかけないことを聞かれた。
驚いて顔をあげれば、知性を秘めた鋭い瞳の中に、一瞬だけ迷いの様な小さな揺らぎを見る。
「私の知っているシルヴィア様は、――小さな子供のように、ただただ、無邪気なお方でした。」
「無邪気」
屈託無く笑った顔。
私に色々な洋服を着せて、所作の練習をさせたシルヴィア。
お菓子が無いとやる気が出ないの~!と拗ねていたシルヴィア。
夢中で魔術具の模型を作る背中を丸めた姿。
彼女は最初から私の前では、小さな子供のような人だった。
それを思い出しながら、とつとつと言葉を繋ぐ。
如何に外の世界を嫌っていたか。けれども、排他的な内側で深い寂しさを抱えていたのか。
そんな私の言葉に、熱心に耳を傾けていた王だったが、ふと髭の口元を緩めて私に問うた。
「主のシルヴィアに対する気持ちは、忠義から来るものなのか?」
「……わかりません。私はこの度、王都に来るまでシルヴィア様が上位貴族である事すら、存じ上げませんでした。――ですので、忠義、とは少し違いましょう。」
「ふむ。――なるほどな」
表情豊かなその顔が、静かに思案顔に目を細めた。
「代償も無く、そなたの要望を受け入れる事は出来ぬ。」
その声に焦って言葉を続けようとした私を、国王は貫禄を持った目線一つで、ゆったりと黙らせる。
「しかしながら、我も悲運の従兄妹姫を、更に不幸にする為に呼びだてたわけではない。」
「私に出来る事があれば、如何様にも致します。」
「ならばそなたが”鳥”になるか?」
鳥?
いきなり出た、今までの文脈と全く関係ない単語。
それに強い戸惑いを隠せない私を、まるで物を知らない小さな子供を見守る父親のように、国王は柔らかな笑みを浮かべる。
「そなたがクリストファレスのスパイとして、フォリアと同じように第一級容疑をかけられた事は聞いておる。」
フォリアがスパイ容疑?
思わず目を見開いた私に、フェルディナント二世はゆっくりと打って変わって真摯な瞳で語り始める。
「クリストファレスは何かを焦っている。――雪深い時期にもかかわらず、山賊や旅人に見立てた国境侵害。光の教団独自の問題だと言い放つ、時の館の不正侵入。捕まえ損ねた王都書庫への密偵。」
「………」
「確証は無いが、クリストファレスは焦って何かを”探して”いるように思うた。――この状況下で、北の国境傍に住むシルヴィアを放って置くことは出来ぬ。」
「………」
「もし国境侵害の目的がシルヴィアならば、昔の誘拐事件と同じくシルヴァンティエ姫として探していたのか、それとも天才技師を欲していただけのか。……問題の切り分けをする必要がある。」
ゆったりと話される、ひとつひとつがあまりにも筋が通っていて、返す言葉すらない。
それでも。
「天才技師を欲するために、国境侵害まですることがあるのでしょうか?」
ようやっと返した質問には、さらりと是と答えられる。
「クリストファレスは魔術具が正常に動かない国だ。もし、再三天才技師を要請したのにも関わらず、頑なに拒否され続けたなら、実力行使に出たとしても不思議ではない。」
そう、そうなのだ。
クリストファレス。北の巨大軍事国家のもう一つの大きな特徴。
それは精霊の気性が荒く、精度の高い魔術具でないと動かす事が出来ないということ。
その為、魔術具を日常使いできる他国の労働階級と違って、クリストファレスの労働階級は滅多にその恩恵にあずかることは出来ないのだ。
それはつまり、クリストファレスの貧富の差が激しい事をも示している。
光の教団がクリストファレスの国教になったのは、そんな土地柄だからだろうとシルヴィアに聞いた事がある。
「それはお主の方が詳しいであろう。塔ではそのような兆候は無かったのか。」
「わかりません。少なくとも、私が見ていた範囲ではそのような来訪者も連絡もありませんでした。」
その答えに、国王は一つ頷いて答える。
「幸い春祭りが近い。各国から使者も来る。――もちろんクリストファレスからも正式に使者が来よう。もしシルヴァンティエ姫を探しているならば、必ず何かを起こす。」
その言葉の裏の意味。
「つまりは現状、シルヴィアはクリストファレスへの囮…なのですか。」
ぽろりと唇から零れ落ちた。
その言葉に、国王の顔に苦笑めいた笑いが浮かぶ。
「王侯貴族には、それぞれ課せられた責務と言うものがある。それは、たとえシルヴィアが公爵家を出奔したとしても、それでも残るものだ。」
畑に鍬を入れる代わりに、勉学にいそしめる時間を持ち、飢饉の時にも真っ先に食料が確保される。
その恩恵にあずかって生まれ育った以上、例え総領姫では無くなっても、シルヴィアには依然としてその義務が残っているのだ。
「とは言え、問題の方向によっては、そなたが言うようにシルヴァンティエ姫の死亡説を流したほうが、事はスムーズに進むやもしれん。」
自分の無力さに悄然とうなだれていた私は、その言葉に一条の光を見る。
「ならばっ」
「シルヴァンティエ姫の養女候補として、そなたが春祭りで”鳥”になり、そしてクリストファレスの本意を探る事ができるのであれば。――可能な限り、そなたとヴィアの心情は汲み取ろう。」
「………!」
つまりは”鳥”と言うのは、密偵や諜報活動を行う人間の事。
私の言葉をゆるく遮って、問われた言葉の意味は重い。
――私が囮になり、シルヴァンティエ姫の養女候補として王宮に伺候する。
誰よりも王宮から距離を置きたいと思っているのに、そのどろりとした大きなうねりに飲み込まれる自分を感じて、くらりと世界が揺れた。
「シグルス。フォリア。参れ。」
決して大きくは無いその声に、当然のように二人が部屋に入ってくる。
いつの間に控えていたんだろう。
いつものように表情に色の無いシグルスの横で、ほんの一瞬、フォリアの瞳に燃えるような苦悩するような色を見る。
けれど、それも二人が膝を突けば、確かめる事すら出来ない。
「アーラ。汝に改めて問う。」
一度も伝えていないはずの名を呼ばれ、ゆるゆると顔を上げる。
「シルヴァンティエの為、その身に火の粉が降りかかるのを承知の上で、”鳥”になる気はあるか」