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世界のカケラ  作者: viseo
王宮編
72/171

春の宴 5

「だから、アーラ。私は貴女に一つお願いがあって参りました。」


 ひとしきり話したあと、渇いた口を潤すために飲んでいたお茶をカップに戻すと、ロワンは私に改まって向き直る。 

「どうかシルヴィアをシルヴァンティエ様に戻さないで頂きたい。」

 その思っても見なかった発言に、氷の塊を飲んだような気になる。


「今の貴女は王宮で、時の人です。取り入ろうとする人間、排除しようとする人間はもちろんのこと、これだけ愛らしいお嬢さんだ。言い寄る男も多いでしょう」

 時の人とは、どういう事。疑惑は晴れたんじゃないの?

 ひっそりと暮らしたいだけだと慌てて反論しようとした私を、やんわりとした手振り一つで制される。


「シグルスから養女になる気は無いと伺っています。それでもお気持ちが変わる事もあるでしょう。もしそうで無くても、あの館で見聞きしたものを不用意に話せば、シルヴィアとシルヴァンティエ姫を同一人物とみなす人間も出てきます。」

 脳裏に、すっかり忘れていたカマキリ男、コッドフィールを思い出す。

 ああ。あいつなんて王城で出会ったら最悪そうな部類だ。

 シルヴィアが王族の血を引く人間だと知ったら、真っ先に青くなって、その後、面識があるとばかりに、言い寄ってきそうな人間にみえたし。


「ましてや今、王宮はクリストファレスのスパイを探す事で、だれもかれもが疑心暗鬼になっています。」

 思わず押し黙った私に、さらにロワン老は言葉を重ねる。

「スパイと言うと、私が疑われていた?」

「そうです。しかも先日には王城の書庫への侵入が、認められています。今一歩のところで取り逃がしましたが、年若い魔術師であることだけは分かっています。――そして今現在、もっとも疑わしいとされているのが…ユーン公爵一門。」

「ユーン公爵家が?どうしてですか?」

 訝しげに思い、尋ねる。

 だって筆頭公爵家がスパイ容疑なんて…あるの?

 スパイなんてしなくても、最も国から益を得ている一族のはず。一番可能性が薄い気すらしたのに。


「通常ならば、その前にたどり着くことさえ出来ない、国家機密の集まる書庫への進入。…その様子は、まるで忽然とシルヴァンティエ姫が誘拐された時そのもの。…他にも犯行細部が、あまりにも酷似しているのですよ。」

 そういえば、ついにユーン公爵家の内部犯は捕まらなかったと言ってなかったっけ?

 そして当時、死亡した誘拐犯は光の教団の人間。

 絡み合う、幾つもの共通点。背中に冷たいものが走る。


「さらに北方の国境侵害には、シルヴィアが目的だったのではという意見もあります。…陛下がシルヴィアの意思を踏みにじっても、王都に保護せざるを得なかったのはここにあるのです。」

 ユーン公爵家につながるシルヴァンティエ姫。

 そしてその手元にいた身元不明な少女。

 ごく一部の人間しか知らないとは言え、その助手の少女は魔術師としての可能性も捨てきれない。

 王宮と遠く離れた地にいたはずだが、膨大な魔力と資金をかければ転移陣などもあると聞く。

 ――私がスパイ容疑をかけれらたのは、こういう事だったのか。


 まさに、ぐうの音も出ない。

 それではまた彼女の生活を脅かしたのは、王宮であり、光の教団であり、ユーン公爵家の人間であり、そして何よりも私なの?

 先程から何度も抑えた、やるせなさや怒りがぐちゃぐちゃになって私を襲う。

 必死に冷静さを保とうと、思わず俯いた私に、ロワンは優しく語り掛けた。


「…この状況は、シルヴィアだけではなく、貴女にとってもお望みの事ではないはず。――私はあえて、貴女の素性は問いません。それでも皆が皆、無関心ではいられませんでしょう。…人によってはそれだけ、彼女は利用価値の高い人間なのです。」


 …そうきたか。流石は魔術学院の長だね。

 心の中で思わず苦笑いする。

 優しいだけでなく、からめ手で来るところに、ちらりと狸の片鱗が見えた気がしたよ。

 ああ、でも後悔なら幾らだってあとで出来る。今私に出来る事を考えなくては。


 必死に胸の内で荒れ狂う気持ちを押さえつけながら、うな垂れていた顔をあげて、失礼にならない程度に、はっきりと言い切る。

「言われるまでもありません。私は養女になる気も、資産を継ぐ気もありません。」

 そんな私にロワン老は何を見たのか。ふと、微かに驚いたような顔をした後、ひとつ小さく頷くと、深々と頭を下げられた。

「これは失礼をしてしまったようですな。」

「ひとつ聞かせて下さい。意識が戻ったら、またシルヴィアはあの生活に戻れますか?」

 その問いには、沈黙が答えた。

 やはり、そうなのか。

 ぎゅっと小さく手を握り締める。 

 確かにここまで人の注目を得てしまって、彼女がすんなり元の生活に戻れるとは思えない。

「私がいなければ……ここまでシルヴィアは人に注目される事も、無かったのでしょうね。」

 綺麗に整えられた爪が、ぷつりと皮膚を突き破った。

 思わず口から出た言葉は、後悔と言うにはあまりに重いもの。そして掛け値無い本音だ。

 

 けれども。

「そんな事を言ってはいけません。」

 ロワン老の年を重ねたものだけが持つ、深い瞳が向けられる。

「魔術学院の小さな部屋からあの塔に篭るまでの間、僭越ながら私はシルヴィアの肉親のような気持ちで接してきました。――あの後見人の文面は本人にしか書けない物。人間嫌いのシルヴィが、身を挺してまで貴女の行く末を心配し、作ったものでしょう。…貴女がシルヴィのその気持ちを否定してはいけません。」

 その、シルヴィと呼んだ声が、必死に冷静さを保っていた私の気持ちに、雫のように波紋を広げる。

 くやしくて、悲しくて、何よりも申し訳なくて。

 そのまま何も言えないで押し黙った私が、我に返ったのは、コツンと机の上に置かれた銀色の腕輪が立てた音だった。


 ――これは?

 視線を上げれば、ロワンの優しげで情のこもった眼差しと目があう。

「これはシルヴィの面会許可証。――壁の向こうで聞き耳を立てているフォリアと共に、明日は王宮へ登城なさい。」

 明日の午後なら、ラルシュ医師も治療御所においでになります。

 その言葉に、瞠目する。

 これが面会謝絶の、シルヴィアの面会許可証?

 まじまじと老紳士と、机の上の腕輪を見つめる。


「何故、ここまでして下さるのですか。」

 気がつくと転がり落ちていたその言葉に、ふと笑みが返された。

「特に理由はありません」

 煌く4つの水晶を抱える腕輪の上に、ロワン老が手をかざすと、ぽうっと音を立て、そのひとつが緑色に淡く光る。


「しいて言えば、あなたに興味があったのですよ。 決して人を寄せ付けなかったシルヴィアの助手であり、難物のフォリアを身元引受人に名乗りを上げさせ、決して王城に寄らなかったラルシュ医師まで貴女の為に登城しました。 しかもそれを手助けしたのが、陛下の懐刀、アルテイユ騎士団長シグルス。」

 さらさらと見知った名前を挙げられる。


「さらには先程お聞きましたが、あのレジデも貴女の肩の治療をしたとか。」

 レジデ?

「彼は人当たり柔らかく、全てを受け入れる事で、全てを拒絶する人間です。…フォリアとは仲が良いようですが、積極的に人に関わることを嫌います。」

 彼もまた、あまり自分を語らない人間ですとの言葉に、もはや頭がついていかない。

 それは本当に私の知っているレジデ?

 何も言えない私に、改まった声がかかる。

「貴女の、人と成りは見せていただきました。」


 どうぞあの子の傍に、いてやって下さい。


 まるで祖父の様な慈愛のこもった顔で、彼はそう、最後に呟いた。

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