春の宴 4
上品にまとめられた応接室で、穏やかに、そして少し困ったような笑みを浮かべる老魔術師の顔を、まじまじと見つめる。
少し開けられた窓辺からそよぐ微かな春風が、さらさらと噴水のたてる音と共に、ふわりとレースのカーテンを揺らす。
それはあまりにも心地良い春の一日。
そんな暖かな春の日差しをうけながら、あまりにも今の話は重たくて。
思わず絶句した私に、やはりご存知ありませんでしたかと、老魔術師は一つ目を瞑ると、穏やかに言葉を紡ぎはじめた。
「シルヴァンティエ姫が光を失ったあの当時の争いは、それはそれは醜いものでした。――通常、失った光を取り戻させるほどの治療魔法は、子どもの体にはあまりに負担が大きすぎるのです。本来ならば治療不可能。それで終わっただけの話です。……それが分かっていても、尚、周囲はシルヴァンティエ様の光を取り戻したがりました。」
本来ならば、最も堅固に守られていた筈の場所で、最愛の娘が誘拐され怪我を負った。
その事に誰よりも深く傷ついたレイラ姫を巧みにあおり、王族の特権により、シルヴィアは慎重かつ無理な治療を重ねる事になった。
「今考えれば、利権を求める人間に、子供を思う母の気持ちに付け込まれたのでしょう。――そして王宮の治療御所で無理な治療を重ねた結果、シルヴァンティエ様は光だけでなく、子をなす能力も全てを無くしてしまいました。」
もちろんこれは極秘ですがと、老魔術師の口からため息をつくように紡がれた言葉を、必死に受け止める。
あまりのことに、喉に声が引っかかって上手く言葉が出ない。
「どうしてですか?治療魔法が体に負担がかかるとしても、どうしてそれが……」
「あまりにも何度も体内時間を、無理矢理動かしすぎたのでしょう。――むごい話です。」
シルヴィアが子どもを産めない体だとは知らなかった。
その血筋の尊さから、例外的に筆頭公爵家の総領姫になったシルヴィア。
つまりは、その血筋を次に伝えていけるからこその総領姫。
それがもし、子どもが産めないならば?
そこまで考えて、吐き気がこみ上げるほどの嫌な考えが浮かぶ。
盲目になっただけでも反対派には格好の標的だ。
それを抑えるために支持派は何としてでもシルヴィアの視力を取り戻そうとする。
そして、それを阻止する反対派。
もしくは支持派のふりをして、強行に治療を重ねさせ、子どもを産めない体に「故意に」持っていったとするならば?
――子供を思う母の気持ちに付け込まれた
――むごい話です
それは私の推測が、真実に近しい所をついているという事じゃないの?
人間は他者の痛みに鈍感だ。
引き摺り下ろそうとする人間と、既得権を手放すまいとする人間。大金が絡んでいるとなれば、なおさらだ。
大人になって自分の意思で、一人で生きていく事を選択したのとは意味が違う。それは自分の一部を殺されたも同然で。
やるせなくて苦しくて、無意識に唇をかみ締める。
ここまで彼女は自分と言うものを蹂躙され、あの場に独りで立っていたのか。
私の前で、無防備に童女のように笑う姿を思い出す。
あの笑顔が出るようになるまで、どれだけの辛苦を味わい、涙を飲んだんだろう。
子供ながらに最も醜い争いを見てしまったのだろうシルヴィアが、あそこまで厭人的になったのも、はっきり言って無理が無い。
そんな私に、静かにロワン老の言葉が重ねられた。
「そうやって、シルヴァンティエ姫は大人の権力争いに巻き込まれ、光も将来も、そして一時期は言葉も表情も全てを無くされ、魔術学院の私の所に来ました。」
「シルヴィアが魔術学院に?」
そういえば、そんな話をどこかで聞いた。あれはいつだっけ。
「名目は、治療院で受ける事の出来ない、最先端の治療を受けさせるとの事でした」
つまりは建前ってことか。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、思いがけず真摯な顔つきの緑の瞳と目が合う。
本当は?との意味をこめて問えば、予想通りの答えが返ってきた。
「レイラ姫は、王宮にも公爵家にも姫を置いておきたくなかったのですよ。」
その気持ちは、よく…分かった。
その後、このロワン老がした事は、当時まだ確立されてなかった特殊治療魔法を使って、小さな小さな魔法結界を作り上げる事だった。
試行錯誤の結果、ようやくその中でシルヴィアが光を取り戻したとき、再び彼女の失われた時が進み始めたらしい。
結界内で、少しずつ表情の戻ったシルヴィア。
光を失った小さな姫君は、もともと魔術耐性の強い高貴な血筋。
そして結界内から出られない事も手伝って、魔術を習いたがった彼女は、スポンジが水を吸い込むように貪欲に知識を吸収していった。
また命を狙われないようにと、その存在を隠されていた事も功を奏したらしい。
そうして頭角を現したシルヴァンティエ姫は、人知れず天才技師のシルヴィアへの道を歩むことになる。
「あの事件から30年近くが経ちました。当時の治療魔法の限界は20年。そろそろ弊害が出る頃だから一度治療魔法の再構築をしに王都に戻るようにと、ここ数年、シルヴィアには再三言っていたのですよ。」
それでもどうしても、王都には来たがりませんでした。
そう言って、少し切なそうに、少し困ったように笑う老魔術師に、ふと、だからあんなにも無理矢理、助手候補を置いていこうとしたのかと、思い出す。
「実際、本人も不調を感じていたのでしょう」
彼女の体内に施された治療魔法には、後から自己流で複雑に修復した後があった。
あの館に組み込まれた特殊治療結界から出なければ、まだしばらくは普通に暮らせたのも本当だし、逆を言えば、もう限界が来ていた。
そう考えれば、今この時点で治療を受けている事は、不幸中の幸いとも言える。
とつとつと、そう続ける老魔術師を見つめながら、私には、この話が本当なのかは分からない。
けれども、先程のあの真摯な瞳が嘘をついているというならば、私は騙されてもいいと思った。