春の宴 3
「おや、これはこれは。」
予告どおりに春の日差しと共に訪ねて来た老紳士は、応接室に入った私を見て、にこやかにソファから立ち上がる。
今日のロワンは王城からの帰りではないらしく、いつものかっちりとした魔術師の正装ではない、ローブ姿だ。
瞳の色に合わせた渋い緑のローブをさらりと着こなしながらも、その動きは優雅。
年を感じさせないその動きに感心しながら、紅茶色のドレスの裾をもって、軽く一礼した。
「お待たせして申し訳ありません。アーラ、お呼びと伺いまして、参上致しました。」
「ああ。そんなに固くならなくて結構。どうぞ楽にして。その後、お加減は如何ですかな。」
柔らかい微笑を浮かべながらも、老魔術師は少し心配そうな表情を見せる。
「ありがとうございます。フォリアとレジデに治療してもらいましたので、もう殆ど支障はありません。」
そう言いながら、今やかすり傷一つ無い手を広げてみせると、一瞬驚いた顔を見せてから、それは良かったと笑みを浮かべられた。
相変わらず、春の陽だまりのように笑う人だ。
初対面だったら、人の良い好々爺か上品な老紳士にしか見えないだろう。
まぁでも、そこも含めての大狸なんだろうなとも思う。
魔術師三人が、そろいもそろって曲者だと表現するなんて、中々無いよね。
シルヴィアの塔での彼のタフ・ネゴシエーション力を思い出して、微笑を浮かべながらも、気を引き締めた。
「先日も思いましたが、こんな可愛いお嬢さんだとは。……シルヴァンティエ様の館では、すっかり失礼してしまいましたな。」
静かに応接ソファに納まった私を見て、話かけられる。
「こちらこそ、その節は失礼致しました。――シルヴィ…失礼。シルヴァンティエ様の具合は如何ですか?」
「他に咎める人もいません。私の前ではシルヴィアで結構ですよ。」
にこやかに笑顔で言われてもなぁ。
額面通りに受け取っていいのだろうか。
少し困り顔の私を気にもせず、シルヴィアの現状を説明してくれる。
「まだ意識は回復していませんが、ようやく複雑に絡み合った治療魔法の解析が終了しました。後は体に負担の無いように、魔方陣を組み替えていくだけです。時間は掛かりますが、経過は順調ですよ。」
意識は回復していないけれど、経過は順調。しか意味が分からない。
思わず首をかしげる。
「解析……ですか?」
「おや、これは失礼。もしかしてシルヴァンティエ様が意識不明になられた経緯を、ご存じなかったのですな。」
「はい。緋の間の会議に立つまで、本当に何一つ知りませんでした。…シルヴィアが倒れていた事も、私にスパイ容疑がかかっていた事も、養女のお話も全てです。」
下手に知ったふりをしても仕方ない。
素直に答えた私の言葉に、何か納得したように大きく頷きながら、そうでしたかと返される。
「あの日は何故、口裏を合わせて下さったのですか」
本当は、この人にも沢山聞きたい事がある。
けれども、藪をつついて、むやみやたらと蛇を出したくは無い。
姿勢を正して、改めて問いかけた質問は、結局、当たり障りの無いものだった。
「ふむ。フォリアからは何と聞いておりますかな?」
「――魔術学院としては、天才技師シルヴィアが盲目のシルヴァンティエ姫と同一人物と知らしめたくないのだろう。つまりは利害関係が一致した。――と言っていました。」
口の悪いフォリアの言い分を、何重にもオブラートに包んで答えた。
でも、相手もそれも分かっているみたい。利害関係との言葉に、少し眉を上げ、笑った。
「フォリアらしい物言いですな。…確かに魔術学院としては、天才技師のシルヴィアを手放す事は惜しかった。それは素直に認めましょう。…私は魔術学院の長として、シルヴィアには身元不明の”孤高のシルヴィア”のままでいて欲しかった。その気持ちは確かにありました。」
「――それだけでは無いのですか。」
思わず質問を重ねた私に、老魔術師は相変わらず微笑を浮かべながら、逆に問う。
「シルヴィアの過去の事件は、どこまでご存知ですかな。」
う。
やはり、シルヴィアもフォリアも、レジデですら狸と答えた人物だ。
YESかNOで答えられる質問ではなく、何を知っているかを問われる事が多いのは、ただの偶然ではないだろう。
そこに悪意も作為も感じさせないのは、流石としか言いようが無いけれど、さて、どこまで答えようか。
そう少し考えてから、先程と同じく、素直に答えることにした。
私が数十年前の事件の詳細を知っていた所で、フォリアの館にお世話になっているんだし、情報ソースは知れている。
そう開き直って、指を一つずつ折りながら、答えた。
「シルヴァンティエ姫が誘拐されて光を失ったこと。継承権を失ったこと。死亡した犯人が光の教団の信者であったこと。ユーン公爵家の内部犯が最後まで見つからなかったこと。ぐらいですか」
さらに重ねるなら、嘆きに嘆いたレイラ姫。
ユーン公爵は一族の中で、大々的な犯人探しを重ねたが、それでも内部犯は見つからなかった。
結果、疑心暗鬼になった公爵家内を納めるために、ユーン公爵は一門から3人も同時に側室を取る事になる。
――その家から側室を取る事は、その家の潔白が証明された事でもあったからだ。
そして、その三人の中で一番後ろ立ての弱かったのが、フォリアのお母さん。
彼女は野心も欲も無い、ただ一家の潔白を証明する為に側室に上がった、いわば人身御供だったらしい。
この件がなければ、もっと他に嫁いで、幸せな結婚生活を迎えられたろうと皮肉気に話すフォリアの姿には、父親へのそれとは違って、紛れもなく家族に対する情愛を感じた。
フォリアが、3人の弟達の中で一番年長にも関わらず、今も母方の姓を名乗っているのは、だからなのかと今は思う。
「ふむ。殆どご存知のようですな。」
トレードマークの様な、白く長い髭をしごきながら、そこで一旦言葉を区切る。
上手に年を重ねたものが持つ円熟味と、子どものような、つぶらな瞳。そして何よりも、人を安心させるような優しい柔らかな雰囲気。
たとえ警戒するなと言われても、緊張してしまうであろう灰色狼と違って、この人の前にいると、無意識に警戒を解いてしまう恐ろしさがある。
だから油断できないぞ、気をつけなくてはいけないぞと、自分に言い聞かせていた私に、相変わらず優しい、耳当たりのいい声が語りかける。
「それではシルヴァンティエ姫が、その治療の過程で、子をなす事が出来なくなったこと――これもご存知でしたか?」
その言葉に、思わず息がとまった。