春の宴 2
「ロワン魔術師が?」
小さくちぎって口に運んだパンをごくんと飲み込むと、チーズとハーブが練りこんであるバターが、口の中でふわりと広がる。
今朝の朝食は、お手製のジャムに合う様に作られた色々な種類のパンに、絶妙な半熟のベーコンエッグ。サラダはぱりっと新鮮で、さらりとしたヨーグルトの上には結晶化されたハチミツが小さく砕かれ、きらきらと甘みと彩りを添えている。
手に取ったグラスには、目の前で絞られたばかりの、爽やかな柑橘系のフレッシュジュース。
――シリアルに牛乳だった昔の朝食とは比べるべくも無い。いつもながら、豪華な朝食だ。
「あぁ。今日の午後に尋ねてくる。シルヴィアの容態に進展があったら連絡をくれるように頼んであるからな。何か変わりがあったのかもしれん。」
もしかしてシルヴィアが意識を取り戻したの?
そう一瞬顔を輝かせるも、意識が戻ったわけではないらしいがなと、無情にもフォリアに続けられてしまう。
何だ。そうなのか。
気持ちちょっと、しょんぼりする。
期待した分、残念な気持ちが上回った私に、フォリアの意外な言葉が重ねられた。
「もしかすると、トーコに合うのが主目的かもしれんな。」
私?
…何故ゆえに?
小さく首をかしげていると、さらりと濃紺の髪に縁取られた瞳と目が合う。
中庭が見れるように大きく窓を取った明るい部屋の中で見ると、強い意志を持つ夜色の瞳は、深い海の底のように、包み込むような柔らかい色合いになる。
きりりとシャープな顎と形の良い口元は、いつものように少し皮肉気に歪められているけれど、以前よりもその瞳は優しい。
その事に気がついたのは、いつ頃だろう。
何とは無しに、すこし気分が落ちつかない気持ちになる。
まぁ、フォリアとは声でのやり取りはあっても、実際に一緒にいた時間は僅かだしね。
そう考えれば、出会いの時の殺気のこもった顔や、厳しい顔しか殆ど見ていないのだから、脳内の彼のイメージと、今の彼の印象にずれがあるのはしょうがないのかな。
きっとその内、この違和感も消えるだろう。
「先日の緋の間の会議で、口裏を合わせる条件の中に、一度二人きりでトーコと会わせると言うのがあったからな。そろそろ来る頃だとは思っていた。」
うわっ。その二人きりって言うのは、何故。
思わず目をむく。
「何故でしょう?…何だかプレッシャーなんですが。」
団長の屋敷にいた時に比べると、今の私の警戒心なんて、比べるべくも無い。
フォリアやレジデがついていてくれるとは言え、――何かまた、やらかしてしまうんじゃないか。
そう思えば、どうしたって緊張する。
しかも相手は、魔術学院一の大狸だ。冷徹な灰色狼とは違った意味で気が抜けない相手だよね。
自然に眉間に皺がよってしまう。
もちろん今だって館の中には、メイドさんや庭師など他の人も大勢いるよ?
だから会話をする時には最低限の注意は怠らないけれど、基本的にみんな良い感じに無関心。
ああ。何か訳ありなんだなと思いつつも、基本スルーしてくれる。
また若様が何かはじめたんだぐらいの、手馴れた感じすら受けた。
それにしてもロワン老か。
ティカップの中に、白く長い髭を蓄えた上品な顔を思い浮かべ、ため息をつきたくなる。
私の必死の推測なんて焼け石に水程度だと、先日身にしみて思い知ったばかり。
しかも以前よりもずっと複雑な現状を思えば、もはや何に注意をして良いのだろう。
辺鄙な場所を「こんな素敵な場所は無い」と口角泡を飛ばしていた気持ちが、今ならば良く分かるよ、シルヴィア。
もう皆、私達を放っておいて。ひっそりと暮らさせてくれ。
無関心な、この館の人たちを見習って。
…そう考えてから、カップを持つ手が一瞬止まった。
――基本的にみんな良い感じに無関心?
いや、違うな。
綺麗なAラインの紅茶色のドレスを見ながら、訂正する。
お世話をしてくれているメイドさんの言葉を繰り返すなら、これはフォリアの好きな色と形のドレス、そしてこの一部の髪をゆるく上げた髪形は、レジデがとても似合いますと褒めてくれた髪型だ。
メイドさん達は、若いながらも筆頭公爵に連なる血筋の家で雇われるだけあって、みな品が良く優秀。いつもとっても良くして貰っている。
ただ、やはりどこの世界でも、若い子は美形が好きなわけで。
秀麗な顔立ちなフォリアが人気なのは勿論のこと、魅力的なヴァリトンボイスのレジデも点が高いみたい。
…レジデは男性としてではなく、観賞用としての人気だろうけどさ。気持ちは分かるよ。
でも、私を無闇やたらに二人好みの格好に仕立てあげるのは、一体何の代償行為?
えーと、度々人払いをして、フォリアと二人きりで部屋にこもる事があるのは、そういう理由じゃないんですってば。
大抵、本広げて眉間に皺寄ってますよ?
人気の無い、庭の隅で語らっているのは、愛ではなくて政治の話ですよ。わかってますかーっ。
ふう。
まぁお世話になってる自分が、彼女達の娯楽の提供になるなら、勝手に思ってもらっても良いけどさ。
ただいつも毎回、どうせならお二人のお好きな格好に致しましょう!!と、メイドさん達に鼻息も粗く仕上げられるのは何とかならないもんかなぁ。
「そう固くならなくても大丈夫ですよ。トーコの故郷がばれたわけでもないですし、ロワンは基本的には優しい方ですよ。」
押し黙りながら、つらつらとそんな事を考えていた私を見て、レジデがフォローするように優しく言う。
あぁ、ごめんなさい。意識が明後日の方向に行っていました。
「とりあえず、何に注意しないといけないのか、どこまでロワン老がご存知なのかを教えて下さい。――具体的には、私はどうしたら二人を不利な立場に追いやらないですみますか?」
今日珍しく二人が揃っているのは、そのせいでしょう?そう続けた私に、レジデとフォリアが驚いたように目を見張る。
「――かないませんね、トーコには。」
苦笑するような、はにかむような、何ともいえない顔で笑うレジデ。
私だって、守られるだけじゃない。
二人を守りたいんだ。