春の宴 1
ぱちんと、早朝の庭園にハサミの音が響く。
微かに聞こえる鳥の鳴き声と共に、大きく息を吸い込めば、心地良い朝の空気と花の香りが胸いっぱいに広がった。
今日はピンク色でまとめようかな。
手の中におさまった、薄い紫の彩りを持つ白い花を手元のカゴに収めると、今度は隣の花壇の薄桃色の花を手に取る。
朝食のテーブルに置く花を選ぶ――私の幸せな朝の日課だ。
ユーン公爵がフォリアの母に贈ったこの邸宅は、シグルスの王都の屋敷よりもずっと小さい。
けれども人目がつかないその内側には、見事な庭園を隠し持っていた。
あまり詳しくないけれど、イングリッシュガーデンって言うのかな。
直線的で整然としている庭じゃなくて、春の日差しをあびて花や蔓が舞い踊る、秘密の花園みたいな庭。
長い長い軟禁生活を終えて、こうやって自由に春満開の庭を散歩できるのは、私の最も好きな時間でもあり、最も贅沢と感じる時間だ。
ひとしきり庭をめぐって朝の日課を終える頃、庭園の薔薇のアーチの向こうから、ちょこちょこ歩くレジデの姿が見えた。
「おはようございます、トーコ。今朝の朝食は久々に三人ですね」
どうやら朝食の準備が出来たと、呼びに来てくれたらしい。ちょこっと眠そうな顔で、瞬きを繰り返す。
「おはよう、レジデ。随分遅くに帰ってきたみたいなのに、よく起きれたね」
「トーコの手作りジャムと新作スコーンが出来たと聞いたので、寝坊なんて勿体無いこと出来ません。」
レジデのしっぽが、嬉しそうに左右に揺れる。
二人はこの館には出たり入ったりだけれども、こうやって、どちらかが必ず一緒にいられるように、配慮してくれている。
嬉しさ反面、小さな子どもじゃないんだし、何もそこまでしなくても大丈夫と最初にやんわり断ったら、私達の精神衛生上の問題ですと、笑って返された。
本当は多忙なのだろう。二人が殆ど一緒にいないことを見れば、今のこの気遣いが私の事を心配してくれてのことだと、充分分かっている。
私に出来るのは、お茶好きのフォリアや甘党のレジデの二人が喜ぶお茶菓子を、こうやって作る事ぐらいだ。
二人と再会してから、どれだけ自分が、ガチガチに警戒して息を潜めながら生きていたのかを、身にしみるほど実感した。
シルヴィアと過ごした日々は、笑って過ごしながらも、春を待って寄り添う小動物のようで、どうか無事に春を迎えますようにと、安穏とした生活を破られませんようにと、音を立てずに祈りながら暮らしていた気がする。
未だにシルヴィアの意識は戻らないけれど、もし意識が戻ったら、この春の日差しを浴びさせてあげたい。
シルヴァンティエとしてで無く、シルヴィアとして、またあの笑顔を見れる日を、今はただただ祈るばかりだ。
そんな事を考えていると、しゃがみこんでいた私に、すっとレジデの手が差し出される。
小さな紳士のさり気無いレディファーストが、何だかとても可愛らしくて、思わず笑顔がこぼれた。
「ねぇ。レジデも、もしかして貴族なの?」
紅茶色のワンピースの裾についた汚れを軽く手で払いながら、その小さな手をとって立ち上がる。
そんな私の問いに、地面においてあった花かごを拾っていたレジデは、一瞬可愛らしく目をまんまるにした。
「違いますよ。私はしがない貧乏学者です。フォリアと出会ったのも魔術学院ですし。…フォリアの本来の身分を考えるならば、親友と言うには少しおこがましいんですけれどね。――彼もひねくれ者ですし、何だかんだと馬は合ってます」
花切りバサミや細々した道具をカゴの中にしまいながら、レジデはちょっと悪戯っぽく笑う。
同級生みたいな物なのかな。付き合いも長いみたいだし、ちょっと微笑ましい。
「ただテッラの研究をしている関係で、個人的にはユーン公爵家にも非常にお世話になっています。特に先代の公爵には良くしてもらいました。」
未だに本家のお屋敷に単独で泊まらせて頂く事もありますし、そう言った意味では私も大概不遜ですねと、続けた。
ん?ユーン公爵の家に、何でレジデが一人で泊まるの?
「テッラの研究と、先代――フォリアのお父さんに何の関係があるの?」
思わずぽかんとなりながら、そう尋ねる。
「元々西の森は、広大なユーン公爵家の領地の一角なんです。そこにある、時の館は今でこそファンデール魔術学院が管理していますが、本来はユーン公爵家の物なんですよ」
へぇ。初耳だ。
促されて、さらさらと小さな噴水から流れ出る小路を通って、館に向かう白い花の咲いたアーチをくぐる。
「そのせいでしょうかね。先代のユーン公爵はテッラやカケラについての造詣が深く、希少な書物もお持ちです。その関係で私も公爵家に出入りさせてもらっているんです。――ただ、公爵のお屋敷でフォリアに会ったことは、一度もありません」
レジデはちょこっと困ったような顔で、小さくヒゲをそよがす。
フォリアが本宅に寄り付かないのは、母方の姓を名乗り、そちらの家を継ぐからだけでなく、同い年の弟達と基本的なそりが合わないかららしい。
ユーン公爵家を出奔したシルヴィアが、唯一連絡を取っていた親戚がフォリアだと考えると、公爵家になじめないと言う点で、二人は心情的に非常に近いのかもしれなかった。




