再会の白亜城 15
元の世界では、怪我が瞬時に治らないのは当たり前。
しかも私は自分の意識があるうちに、治療魔法を受けた事が無い。
だから怪我をして、痛みに耐えるのはごく普通のことだよね。
だから今まではこの怪我に違和感を感じたことは無かったけれど、言われてみれば、何故私はこの痛みに耐えてるのだろう。
思いもかけない発言に、思わず思考が停止する。
そんな私を見て「私達も早く治療してあげたかったんですが、トーコの体力低下具合を考えると、もう暫く様子を見た方が良いと思ったんです」と、申し訳なさそうに謝るレジデと「あの団長もそう考えたから、高名な医者をつけたんだろうな」と、続けるフォリア。
確かに、私の怪我を治療魔法で回復させられるなら、シグルスがあんなに無理をして国儀貴族院を押さえる必要も無かったはず。
あの無駄を嫌うシグルスが、治療魔法の手配をしなかったという事は、そういう事なんだろう。
「今の今まで気がつかなかったんですが、何故、私に治療魔法を使えないんですか?」
あまりにも今更な質問に、レジデはちょこんと小首を傾げて悩んでから、そうですねと、分かりやすいように具体例を示してくれた。
「例えば、健康な青年が馬車の事故に巻き込まれ、大怪我をしたとします。この場合は例え片腕が利かなくなるほどの大怪我でも、すぐに治療院に運ばれて治療魔法を受ける事が出来ます。」
「時の館で私が治療魔法を受けられたように?」
「正にそうです。それに対して、病気で長く寝込んでいる人間に治療魔法をかけるのは、難しい。自己回復能力を活性化させようとして、病巣まで活性化させてしまったり、体内の時間を戻そうとして弱りきった肉体に負担をかけてしまう事もあります。」
「治療魔法で、病気まで治るわけでは無いんだ。」
「はい。そして小さな子どもは特にそれが顕著です。他にも妊婦への治療魔法も非常に難しいですし、解毒なども治療魔法では不得手とされる分野ですね。」
他にも治療魔法が使えない例を幾つか挙げられる。それは思ったよりも多くて、医療も治療魔法も完全ではない事を示していた。
なるほど。
「じゃぁ私の外傷を治療魔法で治す事が出来なかったのは、川に落ちて高熱を出していたからなんだ。」
無意識に呟いて、怪我をした方の手を見ながら、ゆっくりと開いて閉じる。
何度かそれを繰り返していると、ふと妙な視線を感じて、顔を上げた。
二人の、何ともいえないその表情。
ん?どうしたの?
「川に……落ちたのか?」
軽く頬杖をついた姿勢から少し顔を上げ、闇色の瞳をきらりと光らせて、フォリアが問う。
ええと?
少し戸惑いながら、ふと根底にある齟齬に気がつく。
そうか。二人は私の記憶喪失が、国儀貴族院をごまかすための、完全に創作であると思ってるのかな。
そう思い至ってから、今更な気がする質問に、軽く頷いて答える。
「はい。シルヴィアの館から、川に逃げ出して船から落ちたみたいです。アルテイユ騎士団のシグルスに助けられたんですけれど、本当にその辺りは覚えてないんです」
気軽に答えた私の言葉に、レジデは小さく瞠目し、フォリアは遠くを見るように、わずかに視線をそらす。
何だろう。何かまずい事でもあったのかな?
その二人の反応に、訳は分からないながらも、何故か少し居心地の悪さを感じるよ?
「でも、川から助けられてから領地に運び込まれるまで、ずっと意識不明だったので、記憶が無いのはほんの短時間なんですよ?」
だから特別大きな問題や失言をしていないと思いますと、気持ち焦って続ける。
そんな落ち着かない私に、レジデが確認するように、質問を投げかけた。
「ええと、トーコ。不慮の事故で、木に衝突したのでは無いのですか?」
「木というか、正確には難破した舟の木片ですね。」
どうやら少し情報の食い違いがあったらしい。走る馬車から逃げ出そうとしたとか、そういう風に思ってたんだろうか。
尋ねるレジデに訂正して、身振り手振りで答えていると、ぼそりと呟く声が耳に入った。
「……面白くない、な。」
はい?
思わず振り向いて、今のは聞き間違いかと首を傾げていると、今度は横から静かに同意の声が上がる。
「――そうですね。」
えっ。ちょっと、今のはレジデの声?
魅力的な、けれどもいつもよりも数段低いヴァリトンボイス。
その声に、動揺しながらレジデのほうを振り返れば、これ以上無いほどの優しい極上の笑顔。
何故だかその笑顔に、背中に冷たいものが走る。
私、もしかして何か大きな失態でもしたのかな。
二人の雰囲気に思わずおろおろすると、肩の上に手が乗り、レジデと私の間に二つのカップが置かれる。
いつの間に入れたのか。私の好きな気持ちが落ち着くハーブティ。
それを置いたまま、立ったままお茶を口元に運ぶフォリアと、少し熱そうに両手でカップを運ぶレジデ。
別々の方向を向いた二人の魔術師は、そのまま同時にカップを傾ける。
「――ある程度体力が戻ったら、一番最初に傷跡の治療をするか。」
「…ですね。勿論、私にも異論はありません。」
そんな二人に異議を挟めるわけも無く、訳が分からないまま、なるべく早く傷の手当を受ける約束をさせられた。