再会の白亜城 10
寝室と言うより一つのホールと言わんばかりの部屋の中、高く高く取った天井から、淡い光が優しく差し込んでいる。
天井まで届く巨大なガラス窓の向こうには、朴訥とした造りの庭ながらも春の花々が百花繚乱と咲き乱れ、その田園的な美しさを競いあう。
室内はまるで庭続きであるかのように調えられていて、小川を模した深い緑の大理石の上を本物の水がさらさらと流れている。
淡いペールグリーンの壁紙には繊細なアラベスク模様。踏むのが惜しいほどの絨毯は、草原や花を模した芸術性の高い逸品だ。
そんな部屋の中を呆然と見渡せば、故郷ではついぞ見たことの無い豪奢な寝台が、ぽつんと東屋の様に佇んでいた。
ここは王室の治療御所。
シルヴィアの病室だ。
けれどもここは、あまりにも私の知る病室とは違って、とまどいを隠しえない。
それでもフォリアに背中を押され、密やかに枕元に近寄れば、天蓋の中に昏々と眠り続ける人の姿があった。
最初に目に入ったのは、長い銀の髪と痩せぎすの体。そして生気の無い、陶器の様な白い顔。
それは豪華すぎる寝台の上では、よく出来た人形のようにすら見える。
その白い肌の上には、薄絹を幾重にも重ねて作られた天蓋を通る柔らかな光が、淡い光の競演を生み出していて、美しい。
それはまるで子供に読んで聞かせた、眠れる姫君そのもの。
けれども、目元に広がる赤くひき攣れた傷跡を見れば、痛々しくも切なさが湧き上がった。
「どうして…こんな事に。」
最初に見た時から年齢不詳だと感じていた。
それには深刻な理由があったとは知らなかったけれども、今初めて見る彼女の素顔には、彼女の人生の苦悩が見て取れた。
「それは目のことか?それとも昏睡状態に陥ったことか?」
いつの間にか、そっと後ろに立っていたフォリアの問いに、何も言えなくて小さく首を振る。
その生気の無い顔色に思わず口元に手をやれば、指先に微かな風の動きを感じて、泣きたい気持ちになった。
――生きていてくれている。
それが何よりの救い。
熱く感じる目頭を、ゆっくり瞬く事で、その熱を散らす。
微かな風を感じる指先を、壊れ物から手を離すようにゆっくりと胸に抱えると、そっと後ろに下がった。
結局身元引受人としてフォリアが認められ、緋の間の会議は幕を閉じた。
色々話したいことも、聞きたい事もあったけれども、王宮では人の目が在りすぎる。
本当ならば早く王城を辞した方が安全だ。
ほんの少しのジェスチャーで私にそれを伝えてきたフォリアは、それでもシルヴィアに会いたいならば会わせてやると、この場に連れて来てくれた。
危険は承知の上。
体も気持ちもぐちゃぐちゃだったけれど、どうしてもシルヴィアにひと目会いたかった。
フォリアはそんな私の気持ちを掬い上げてくれたけれど、本来は面会謝絶。その硬さは到底、身内特権だけでねじ込める程ではない。
結局、同じく面会に来た元王宮医師のラルシュが名乗りをあげてくれ、ラルシュとフォリアの付き添いを条件に、ほんの短時間だけ面会を許される事となった。
「顔を見れて、少しは安心したかの」
何かあったらいつでも対応出来る様に、広い広い部屋の隅に控えている治療専門の魔術師や医者、看護婦。
彼らとひとしきり話をしていたラルシュが、杖の音と共に近づいてきた。
上手く声にならなくて、小さく頷けば、ベールをよけた額にざらりとした皺だらけの手を当てられた。
「やはり少し熱が出ておるようじゃの。また熱がぶり返して感染症にでもかかれば、その分、肩の治療は遅くなる。今日はもう帰って安静にせい。」
不機嫌そうに言いながらも、その口調はあたたかい。
何だか風景がにじんで見えるのは、熱が上がったせいなのかな。
そう思ってみれば、どっと疲労感とも倦怠感ともつかないものに襲われる。
緋の間の会議が終わった事、フォリアに会えた事、シルヴィアの無事を確かめられた事。
余りにも色々な事がありすぎて、もう何も考えられてないに等しかった。
「わしも、久々の王都。この機会にエルザに色々見せてやりたいものもあるしの。花祭りまではシグ坊の所におるから、調子が悪ければいつでも声をかけなさい。」
ぽんぽんと私の頭を軽く叩くと、ラルシュは小さな子どもに念を押すように、薬の服用回数を繰りかえし伝える。
「さ。ここは病室じゃて、そろそろ退散するとしよう」
そのままラルシュに促されて控えの間に行くと、フォリアが流れる様な仕草で老医師に頭を下げた。
「改めて、お初にお目にかかります。フォリア・ネル・ウィンス。アーラ嬢を助けて頂きましたこと、大姉シルヴィアに代わりまして、御礼申し上げます。」
「ふむ。魔剣士として名高いフォリア殿じゃな。一度、花祭りの御前試合でお見かけした事がある。」
御前試合。
やっぱりフォリアは剣士としても優秀なのか。
「まぁ。こうしてアーラが顔見知りの人間に会えただけでも、安心したわい。大分体力が落ちているでの。まだ無理はさせんように。」
小首をかしげて、ぼんやりとしていた私を、黒檀の杖の柄で指し示すと、心得たようにフォリアが頷く。
そんな二人を見ていた私の耳に、少し硬質な感じのする涼やかな声が聞こえた。
「お久しぶりです。ウィンス卿」
……いつの間に。
シグルスは上背も体格も存在感のある男。
部屋に入ってきたなら、まったく気がつかない訳が無い。
それでも振り返れば、そこには老医師を迎えに来たらしいシグルスの姿があった。