破られた沈黙 11
「お前の言いたい事も分かる。確かに、シルヴァンティエ殿が天才技師シルヴィアであることを知る者は、極わずかだ。盲目の天才技師を保護するだけならば、王宮では無く王都に適当な館を用意する事は出来たはずだ。」
半分以上八つ当たりの発言を、その瞳と同じ温度の声が返す。
まさか同意されるとは思っていなかったので、思わず目を見開く。
じゃぁ、今からでもせめて王宮ではなく、閑静な住まいを王都に用意してあげられないの?
今更あの館に戻れないのは仕方ないとしても、王宮にいたいとは思えない。
そんな思いをこめて、シグルスを見つめる。
「しかし。口悪く言えば、王家にも公爵家にも捨てられた身とは言え、元総領姫である事もまた事実。
世俗から忘れられた不運な盲目姫ではあるが、此度の事で国王陛下の関心が高い事が判明したからな。王宮に伺候している者達も無関心ではいられまい。」
私の淡い期待を打ち砕く、冷静な分析。
一度戦場に立てば軍師の役割も兼ねる、騎士団長と言う地位にいるせいなのか。
王宮の様子も、この人の口から語られると、まるで王と言う駒を中心とした盤の上の話しに聞こえる。
「そして、そのシルヴァンティエ殿が、一人の少女に正式に後見人の名乗りを上げた。」
まっすぐに、その瞳に射抜かれる。
「もはや既に辞退の手紙一つで事がすむ話では、無くなっている。……どちらにせよ、一度王宮に出向く事は必須。ならば、その後どうするのかは、その時に考えれば良い。」
冷静に淡々と話すその声が、王宮の関心の高さを表しているようで、かえって恐ろしい。
後見人の辞退という一手をも失敗してしまった私には、その言葉に負けを否が応でも認めざるをえない。
チェックメイトか。
もはや王都に行くしかないのだ。たとえそこで何が待とうとも。
今から無闇に不安がるなとのシグルスの言葉に小さく頷きながら、胸の内で己の敗北をかみ締めた。
「出立は明日だ。また具合を悪くされても適わん。そろそろ部屋に送ろう。」
コンと音を立てて、最後に残った飴色の液体を喉に流しこまれたグラスが机に置かれる。
結局、明日出立なの!?
最後にさらりと重要な事項を伝えてきた。
だからこの男は、油断がならない。溜息をつく私に、影が落ちる。
部屋が暖まり、いつの間にか肘のところまで落ちていたストールを、近づいてきた大きな手が肩上まで巻きなおした。
ん?
首をかしげて、少し硬質な感じがするその顔を見つめると、あまり表情を出さないその顔に、苦笑めいた色が浮かんだ。
そのまま上目で見上げた私の顎先に、剣を持つのが似合う男の指が当てられる。
「成人女性だと言い張りたいのならば、少なくとも、あまり男の部屋で無防備になるものじゃない。それが寝台の上では殊更な。」
すうっと顎先から二本の長い指が下ろされ、首をなで下りながら鎖骨の間のくぼみまで線を書く。
ストールの下に隠されたネグリジェには、そういえば下着を着けていない。
暗闇の書斎と違って、暖炉に火の灯った寝室。
暗に言わんとしている事を察して、かっと顔に血が上る。
シグルスの目に、色艶が無い事は分かっている。
無表情とも取れるその顔の裏で、この男は完全に私をからかっているだけだ。
さっきとは違った種類の怒りが、瞬間的に体を支配した。
ききりと睨みつけながら、押し殺した声で、今更ですし。と言い放つ。
どうせあんたには、下手すりゃ全裸見られてても不思議は無いですしねっ!
心中でも盛大に悪態をつく。
けれども、睨みつけられた男は、ピクリと眉を動かしただけだ。
「相変わらず気が強いな。」
低い声。
喉元に当てた指を動かし、そのまま大きな手を喉の上に覆いかぶせてくる。
女の手ではありえない、ごつごつした手の平が、喉全体に絡みつく。
ちょっ……!
気道を鷲づかみするような動きから、本能的な恐怖を感じて身をよじる。
けれど、不自由な体は後ろにそらせた体勢を維持出来ない。
「…っ!」
あまりに簡単に寝台に落とし込まれた私の喉に、まったく力は入っていない、大きな手が乗る。
「気が強く、こちらをガチガチに警戒しながら見ていると思えば、あまりにも無防備な姿をさらす。……王宮で同じ事をすれば、身の保障はせんぞ。」
片手で私の首を絞めることも、陵辱するのも容易いと、言外に告げる。
そして初めて気がついた。
騎士団長という言葉の意味。
声を荒げているのでも、脅しているのでも無いけれど、アイスブルーの瞳の中に見えたその色は、他者の命を奪った事のある人間だけが持つものだ。
圧し掛かるわけでなく、本当に片手一本、手のひら一つで私を押さえ込んでいる、この男は、私の知らない世界を生きている。
あまりにも狭い世界で守られてきた私に、ここが異世界である事を否応無く突きつけられた。
ぎしりと音を立て、喉に置かれた反対の手が顔の横に置かれる。
「…それが戦略ならば別だが、な。」
間近とも言える腕の先、表情の無い男の顔に、今までと違う種類の恐怖を初めて感じて、思わず息を飲んだ。
怖い。
やはり心のどこかで私の事を疑っていると、とっさに脳裏に浮んだ考えは、今突きつけられた恐怖に押しのけられる。
自由になる左手で、シグルスの腕を押しのけようと掴むと、ふと相手の表情が緩んだ。
「これに懲りて、少しは自重しろ。」
私の顔に恐怖の色を見つけ、満足したのだろうか。
首に置かれた手が後頭部にまわって、掬い上げるように体を起こされる。
痛めた肩に配慮してくれたんだと思う余裕は、当然無かった。
「明日は早い。早く休め。」
動揺が収まらないまま、送られた自室の扉の内側に体を預けて、そのまましゃがみこむ。
やっぱりこいつ苦手だ!
立ち去る足音を耳に、胸の内で叫んだ。