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世界のカケラ  作者: viseo
流浪編
48/171

破られた沈黙 8

 暗闇からいきなりかけられた声に、ぎょっとして開けたままの扉を振り返る。

 そこに誰の姿も認められなくて、慌てて部屋の中を見渡せば、連なる本棚に寄りかかるようにして一人の男が立っていた。


「…いつから。」


 部屋に入った時にはいなかった筈だ。

 後をつけられていたの?思わず呟いた言葉に、落ち着いた、けれども少し呆れたような声が返ってきた。

「人の部屋に忍び込んできて、後をつけたも無いだろう。」

 シグルスの部屋!?

 目をむく私に、その人影が近づく。月明かりの入る窓辺まで来ると、今までの騎士服とは違ってラフな洋服を着たシグルスが立っていた。


「ここは書斎だが、俺の部屋と繋がっている。…逃げ出すには不適切な場所だな。」

 少し皮肉気な口調と共に鈍く光る短刀を鞘に収めるのを見て、思わずごくりと唾を飲み込む。

 不審者が進入したと思われたのか、それとも伸びやかに枝を広げる常緑樹を伝って窓から脱出すると思われたのか。

 窓辺にいて良かったのかもしれない。闇の深い位置にいたら、あの刀身を押し当てられていても不思議じゃないと、背中に冷たいものが走った。


「それで、一体ここに何の用だ。」

 静かに、けれども有無を言わさぬ声で、改めて聞かれる。

 う。また尋問タイム突入ですか?それは流石に勘弁して欲しい。

「お薬を…取りに来ただけです。」

「薬?こんな夜更けに、一人でか?」

 不審そうな声に、少し罰が悪くなる。

 やっぱり勝手に部屋を出るんじゃなかった。後悔先に立たずだ。

 やめときゃよかったと思いながら、逃げ出そうとした訳じゃありませんと、憮然と言い返す。

 こんなに体力が落ちている状態で、騎士団の人間がウロウロしている館から逃げれるとは思っていない。

 逃げるなら王宮への移動時かな?とは、ちらり考えていたけれど、走って逃げる所か、一人で歩くのもようやっと。

 現実的には無理だと分かっているさ。

「連日私の看病でエルザもお疲れみたいでしたし、薬ぐらいなら自分で取りに行こうと思ったんです。」

 少し不貞腐れた私に、一瞬考えるような間があってから、涼やかな水色の瞳が問う。

「…暗褐色の薬瓶か?」

 知ってるの?

 迷いながらも隠してもしょうがないと、小さく頷く。


 シグルスは苦手だ。

 自分に後ろ暗い事があるのも原因の一つだけど、彼の冷静さと揺ぎ無い意思による強引さが、掴み所の無い、何とも言えない雰囲気を醸し出している。

 こちらを警戒しているとか、疑っているとか、もっと分かりやすい感じだったら良いのに。

 冷静に静かにこちらの様子を見ていたなと思ったら、一気に絡め手で来るような、そんな油断のならなさがこの人にはあった。 


「その瓶なら俺の机においてあった。誰ぞが間違えて運んだんだろう。」

 それでも初めてラフな格好のせいか、月明かりの下のせいか、いつもと違う印象を感じた。

 その違和感に何故だろうと首をかしげ、ふと、この人の髪は濃い灰色じゃなくて、暗い銀色なんだと気がついた。

 月明かりの下で、淡く光る。

 厚い胸板も、見上げる程の長身も、かっちりとした騎士服をまとえば威圧感のあるものに変わるけれど、今みたいにシンプルな服に身を包んでいると、そのスタイルのよさを強調する物でしかない。

 思ったよりも長い睫も、潔癖そうな唇も、薄く筋肉のついた張りのある太い首筋も、今初めて見た気がする。

 緊張はするけれど、この人を見て怖いと思わなかったのは初めてだ。

「…ついて来い。ここは冷える。」

 だからだろうか。

 返事も聞かずに踵を返す姿に、素直について行く気になったのは。



 * * *


 図書室というには少なすぎる、けれども書斎というには多すぎる書棚を抜けると、微かに明かりが灯る部屋への扉が開いていた。

 ここがシグルスの私室なのだろう。

 頼りない蝋燭の明かりだけで照らされた部屋は、領主様の私室にしては思ったよりも広くない。

 寝台にソファに少し大きめの机。

 壁には暖炉と備え付けのクローゼット。

 何か書き物をしていたのか、机の上には小さなランプが灯っている

 必要最低限の物しかないけれど、無意味に広い、豪奢な部屋よりは余程居心地が良い気がした。


 シグルスは入り口付近で立ち止まった私に構いもせず、そのまま熾き火にしてあった暖炉に向かうと、新たな薪を投げ入れる。

「少し話がある。体が辛くないなら座れ。」

 暖炉の上のマントルピースに向かったまま、後ろ向きに声を掛けられた。

 座れ…と言われても、ソファには投げ出された長剣と服が掛けてある。

 ずっしりと厚みのある鋼の剣は、右手の使えない私が片手で持てるほど軽いものではない。

 さりとて書斎机の椅子に座るのも変だしなぁ。

 右へ左へと視線を動かす。

 何だかこの所在の無さは、初めて男の部屋に行った時に近いかもしれない。

 結局悩んだ末、ベッドカバーのかけてある寝台の隅にちょこんと座った。


 薬瓶はマントルピースの上に置いてあった。

 振り向いたシグルスの手にあったのは、見慣れた薬瓶と水差しが乗った銀のトレイ。それと飴色の液体が入ったグラスだ。

「ここで宜しかったでしょうか。」

 指で剣の置いてあるソファと、書類の散乱している書斎机を交互に指差すと、少しだけ驚きを映していた瞳が、納得したように頷いた。

「あぁ。構わない。」

 取り合えず飲め。と、ベッドの上にトレイを置かれる。

「また倒れられて、エルザに五月蝿く言われると適わん。」

 へぇ、意外。思ったよりも兄妹仲、良いのか。

 部屋に帰ってから飲もうと思っていたんだけど、ここまで用意されたら飲むしかない。

 遮光性の高い暗褐色の瓶から、何とも言えないドロリとした黄土色の薬を取り、意を決して口元に運ぶ。

 相変わらず強烈な味の薬を水で流し込むと、あまりの不味さに悪寒がした。

「ラルシュの薬は効能第一だからな。大の男でもその飲み難さには辟易している者も多い」

 水差しの水を全部空けてから目を上げれば、いつの間にかとろりとした飴色の酒を傾けているシグルスと目が合った。

 長い足を交差させて書斎机に寄りかかりながら、ゆっくりとグラスを傾ける。そんな姿が、嫌味なくらい様になる男だ。 

 口の中の薬の残滓に、思わずシグルスのグラスと濡れた唇に目が行く。

「やめとけ。極寒の地で飲まれる火酒の一種だ。前回と違う意味で倒れるぞ。」

 物欲しそうな視線を感じたのか、女や病人が飲む酒じゃないと先手を打たれてしまった。

 フォリアだったら奪い取れる酒瓶も、シグルスじゃ相手が悪い。

 うう。でも口が不味い。

「止血用の魔術布を使ってはいるが、お前の右肩の傷は頚動脈一歩手前だ。出血多量で死にたくなければ諦めろ。」

 至極正論を突きつけられ、返す言葉も無い。


「酒が飲める年齢ではありそうだと思っていたが、自分の年齢を覚えているのか?」

 聞かれた質問に、思わずそのまま実年齢を答える。

「28才あたりだと思っています。」

 成人女性の口調に、寝巻きとは言え女性物の服。

 フォリアに驚愕されたときとは訳が違う。

 納得してもらう自信はあったのだけれど、不審そうに寄せられた眉に、記憶喪失ならば覚えていませんと言うべきだったかなと、すこし後悔する。

 そんな私の前で、シグルスは目を細めながらグラスを口元に運んだ。

「18ならともかく、28は有り得ないだろう。」

 断言されたよ!?

 絶句する私の前で、納得したようにゆっくりと数回頷くと、シグルスは独り言の様に呟く。

「考えた嘘ならもう少しまともな物をつく。…確かに記憶混濁が詐病ではないというのは、確かなようだな。」


 ……なんか、嬉しくねぇ。

 

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