破られた沈黙 7
「国議貴族院ですか?」
「うん。どういう組織なのかなと。」
ふわりと甘い香りを漂わせた、ムースケーキを口に運ぶ。
味気ない病人食ばかりだったので、気持ちが塞ぎますでしょう?と、エルザがわざわざ作ってくれたケーキだ。
シロップをしっかりと抱え込んでいるスポンジ部分も、ほろほろと淡雪の様に口の中で溶けていく甘さを控えたムース部分も、何ともいえず美味しい。
そんな美味しいケーキに力をもらって、先延ばしにしていた問題をエルザに問うた。
「私も詳しくはないのですが、国のありようを議論する組織…と言ったら良いんでしょうか。」
「貴族が集まって王様と法律を作ったりするような議会…みたいな解釈であってる?」
「そんな感じです。ただ貴族なら誰でも参加できるわけでもありませんし、逆に言えば貴族以外でも商人ギルドや魔術ギルドの長なら名前を連ねていたはずですわ。」
つまりは一部の権力者があつまる伏魔殿ですか。
「…そっか。」
ケーキをもう一口含んでから、考える。
たしかシグルスは何て言ってたっけ?
シルヴィアが正式な後見人になった。とか何とか。
それから、私が王宮に行くのは、国議貴族院の総意である?
…つまりは、どういうことだろう。
日本に置き換えると、正式に皇族が誰かの後見人になったら、衆議院や参議院で相手に質疑応答をする感じ。。。
……んな訳はないと、あれこれ事例を変えて考えてみる。
駄目だ。どんなに形を変えても、そもそも日本に置き換える事自体が無理がありすぎる。
そもそも、どうしてシルヴィアは私の後見人になったんだろう。
シルヴィアが意識を取り戻して、私がいないと気がついて、保護を目的に言い出した?
そこも良く分からない。
大体、王族なのにあんな所で一人で住んでいた時点で、充分異常なんだろうしなぁ。
私が知らない事情が山ほど、ありそう。
考えるには、あまりにも手持ちのカードが少なすぎた。
「王宮に行かれるのは、そんなに不安ですか?」
眉間に皺を寄せていると、心配そうにエルザが尋ねた。
「…うん。」
これがシグルスだったら正直に頷けなかったけど、あまりに素直な問いに、首を縦に振る。
エルザは私が王宮に呼ばれているのを知っている。
そして私がその事に拒否感を持っている事も、良く分かってくれていた。
「けれども王宮なら、アーラ様をご存知の方がいらっしゃるかもしれませんよ。」
気を引き立てるようにエルザが明るく言う。
う~ん。残念ながら、いるわきゃないんだな。
「私は普段から王宮に伺候出来る身分ではありませんが、もし不安でしたら、兄や先生に色々お話を聞かれると良いと思いますわ。」
シグルスとは、あの日以来会っていない。
それはラルシュが面会謝絶にしてくれたお陰でもあるし、彼が直ぐに王宮に舞い戻ったせいでもある。
出来るのならば、会わなくて良い。
まさに、気分はドナドナだ。
「…今度の診察の時にでも、ラルシュに聞いてみます。」
小さく答えてから、エルザの心尽くしのケーキの、最後の一片を口に含む。
口に広がる、その甘酸っぱさを感じながら、風が緩んできた窓の外を眺める。
シグルスに会った日から、今日で7日。
いつもよりも、ほんの少しだけ慌しく感じる館と、出されたケーキ。
そしてエルザが書き上げた、記憶の状況整理の診断書。
きっと、近日中にでもシグルスが帰ってくるのだろう。
私を王都に連れて行くために。
そして勿論私に拒否権なんて無いのだ。
胸に去来する様々な気持ちを、ケーキと共に飲み込んだ。
* * *
あれ?薬が無い。
明かりも落として、寝るだけの部屋で暫く考える。
こちらの世界の薬は、漢方に近い。色々な薬草や木の実をすり潰した、まさに生薬。
飲み方も西洋薬で一般的な食後服用とは違って、漢方と同じく空腹時に飲む。
だからいつも忘れないようにと、寝る前に飲んでいたんだけど、あれれ?…無い。
えーっと、どこだっけ?
がさがさとナイトテーブルを漁ってみる。
暫く考えてから、エルザと過ごした書斎に置き忘れていたのを思い出した。
記憶の状況整理の質問をする為に、本の置いてある書斎で過ごす事が増えたから、薬もあっちに持って行ったんだっけ。
このまま寝てしまおうかな。と、一瞬考えてからラルシュの破傷風云々を思い出す。
こちらの世界には、抗生物質みたいな強力な薬があるわけじゃない。
体力も落ちてるんだから、薬ぐらいきちんと飲んだ方が良いはずだ。
誰かを呼ぼうと、目に付いた呼び出しのベルを手に取る。
けれども一瞬考えてから、再び机に戻した。
この辺が日本人気質丸出しだと思うけど、メイドさんにお願いするのも、エルザの手を煩わせるのも未だに慣れない。
だってお風呂なんて、湯船を部屋に持って来るんだよ?!
病み上がりの私を慮ってくれて、わざわざ部屋で入浴するのかと思ったら、なんとこれが普通なんだそうな。
勿論入浴するのにもメイドさん達が髪を洗い、服を着せ、爪の手入れまでする。
一事が万事そんな感じ。
今もきっとお願いしたら、薬を持ってきてくれる人と、部屋を明るくして暖めてくれる人、そして薬を飲みやすいようにと蜂蜜割りにしてくれたりする人で、三人は来そうだ。
寝込んでいる真っ最中は気にならなかったけれど、体調を取り戻してきた私には少し負担だったりもする。
夜に一々お願いするのも申し訳ないし、書斎なら辛うじて場所がわかる。
…寒いけど、自分で取りに行くかな。
部屋から出るなとも言われていないし、取りに行ってもいいよね。
ベッドから降りて、柔らかい室内靴に足を通すと、ストールを巻きつけてから、静かに廊下を出た。
誰もいない夜の廊下をゆっくりと歩く。
王宮では色々猜疑の目を受ける事になるんだろう。盲目の王族に取り入った、記憶喪失、身元不明の女なんて好意的に受け入れてもらえるはずが無い。
だけれど、まだ最悪の事態、つまりはテッラ人とばれていないのは、今この廊下に人が立っていない事からも分かった。
軟禁に近い状態だけれど、見張られている訳では無いみたいね。
そんな事を考えながら、自由に動かせる左手を壁に当てて、少し寒い廊下を進む。
一人で歩けるようになったとは言え、体力の落ちっぷりも凄まじい。
異世界生活は体力勝負。早く体力戻さないと、何かあった時に危険だ。
ゆっくりと時間をかけて長い廊下を渡り、階段を下ると目的の部屋の扉が見えてきた。
静かに扉を開けると、案の定、部屋は暗い。
ランプの一つでも持って来れば良かったかなと、少し後悔した。
でも利き手側の肩を怪我したせいで、今は殆ど右手を使えない。左手で火のついたランプを持ってくるのは、抵抗があった。
目が慣れない薄暗い部屋で、そこだけ異様に明るい窓辺に向かうと、窓の向こうの雪は止み、雲の間からは冴え冴えと輝く月が見えていた。
…あぁ、綺麗だな。
吸い寄せられるように、こつんと窓に額を当てる。
街灯の一つもない世界で、月星の光を受けて雪がキラキラと輝く。見惚れるような美しさだ。
以前こうやって月を見上げたのは、どの位前だろう。
こちらの世界に来て、こんなにゆっくり夜空を見たのは、初めてじゃないだろうか。
シルヴィアは、レジデやフォリアはどうしているかな。
ひんやりとした感触を楽しみながら、故郷の夜空に思いを馳せていると
「…また逃げ出す気か?」
誰もいない筈の暗闇から、静かな声がかかった。